第4話ー天然な主と過保護な従者ー
それからフィーゼは着替えるために席を外すと、途端に部屋は静寂と紅茶の香りに包まれた。
緩やかに流れる時間の中、残されたシンシアとキーユは、言葉を探すようにして向かい合っていた。
「さっきの風の魔法、見事でした!さすがは
「ぜ、全然大したことは…。あんなの初歩中の初歩ですから」
「それでも、誰かの傷を癒せるなんて、素晴らしいことです」
風の魔法の一つ、“ 癒しの風 ”。
それを褒められた少女の頬が、紅茶の色をうつしたように淡く染まる。
「そういえば、フィーゼとは長いんですよね?」
「えっと、私が6歳の頃、学園へ入る際に屋敷の執事長が連れてきたのが彼でした…。それから同じ学年に入学して、ずっと一緒です」
「同じ学年に…?彼は16歳ではないのですか?見た目はそのように見えますが、」
「それが…、私もよく知らないんです」
「…ご自分の従者なのに?」
ごもっともなキーユの問いに、シンシアは小さく肩をすくめて苦笑いする。
紅茶の表面にうつる彼女の顔が、揺れる瞳の輪郭を柔らかく縁取っていた。
「フィーゼは
覚えたことをそのまま繰り返すような口調に、キーユはわずかに眉を寄せる。
「———ぇ、それだけ?」
思わず口をついて出てしまった言葉に、慌てた彼は手で口を抑えた。
「す、すみません」と小声で謝る彼に、シンシアは首を振る。
「いぇ、私の方こそ。本当にそれくらいしか知らなくて…」
気まずそうに眉を歪めるシンシア。その表情には柔らかな困惑が漂っていた。
「なぜもっと尋ねないのですか?もぅ10年も一緒にいるのでしょう?」
「彼、自分のことは話したがらないんです。だから私も無理に聞かないようにしてて」
その言葉に、キーユの胸がキュッと締め付けられた。
力なく微笑むその人をキーユはただじーっと見据える。これまでの二人の様子からそっと想像を巡らせる。
———まさか、従者が怖くて聞くに聞けなかった…か?
「気になっているなら、素直に聞けばよいのでは?彼はあなたの従者なのだから、答えるはずです」
「他人には話したくないこともありますから、それを無理に暴くのは、きっと違う気がして」
その言葉から、キーユの心に浮かんでいた風景は、まるで風が吹き抜けていくように一瞬で打ち消されてしまった。目の前の少女の沈黙の奥には、静かな誠実さと優しさが宿っていたのだと知る。
———嗚呼、この人は、聞けなかったのではない。
聞かなかったのだ、と。
♢
そんな会話の最中、シンシアがお手洗いにと席を外すと、入れ替わるようにフィーゼが部屋に戻ってきた。
彼は何も言わずにシンシアの冷めた紅茶を入れ替えるとドカっとキーユの正面に腰を下ろした。
ちょうどケーキを食べようとしていたキーユは動きを止めたままポカンとフィーゼを見つめる。
「…何か?」
「まどろっこしいことは抜きにして単刀直入に聞く。
お前、ウチのお嬢たぶらかして何が目的だ?」
静寂が一瞬にして張り詰める。だがキーユはまるでその緊張さえ楽しむかのように微笑した。
静かにフォークを置き、姿勢を正す。
「たぶらかす、だなんて物騒な物言いですね。僕はただ———」
一拍おき、紅茶の表面を見つめながら静かに言葉を落とす。
「シンシアさんともっと仲良くなりたいだけですよ」
「それが怪しいっつってんだ。クラスの連中を見たろ?
みんなお嬢を煙たがって、声をかけるどころか、近づくことすらしねぇ。
それなのにお前は———」
「それは君のガードが堅過ぎるからでは?見たところ、かなりの過保護のようだ」
「か、過保…っ」
歯に衣着せぬ物言いに、フィーゼはモゴモゴと口ごもる。
その反応にキーユは口元を緩め、穏やかながら底の見えない瞳で相手を見据えた。
———氷の檻の中では、どんなに美しく咲いた花でも、凍えてしまう。
シンシアとフィーゼの関係性に、キーユはそんな姿を映し出していた。
「…けれど、お嬢様の従者が君のような人でよかった。
そのくらいの警戒心があれば安心だ」
「っ…、俺はただ主を守ってるだけだ!」
「ではなぜ、放課後に主をひとりにする?」
「ぇ…?」
思いがけない一撃に、フィーゼは言葉が止まる。
紅茶の表面は薄氷が張ったように凪いでいた。
「守る者が守るべき時にそばにいない。
言っていることとやっていることがチグハグ過ぎる。
お前は一体何がしたいんだ?」
その冷ややかで正確な指摘に、フィーゼは息を呑む。
しかし、やがて視線を伏せ、ポツリとこぼした。
「俺が四六時中そばにいたら、あの子だって息が詰まるだろ?
だから少しでも自由になれる時間、作ってやれたらと思っ、て…」
頬を掠めた赤が、彼の誠実さを物語っていた。
キーユはフッと目を伏せ、その横顔を見つめた。
———なるほど、それが君なりの “ 気遣い ” か。
言葉を飲み込んだ気配を感じ取ったのか、フィーゼが不貞腐れたようにぼそりと呟いた。
「なんだよ、なんか言えや…」
「フフッ、君はわかりやすいですね」
「は?」
「僕は普通の人間より耳がいいのでわかります。
君は主のことを語る時、呼吸も鼓動も速くなる。
想いを吐露して、照れちゃいました?」
「っ、な、何言って———。お前は一体何者なんだ?!」
冗談めかした言葉に、フィーゼの顔にはうっすらと朱が差した。
警戒心と微かな動揺が絶妙なバランスで交差する。
「僕はただ、シンシアさんの友人ですよ」
キーユはそう言うと一拍置いて、紅茶を口に運ぶ。
「…少なくとも、今は、ね」
その一言が、空気をわずかに振るわせた。
まるで遠くで金が鳴ったように、胸の奥に残響が広がる。
キーユは目を細め、掠れた声で問う。
「君こそ…何者なんだ?あの子に———、一体何をした?」
その声は低く、目つきは途端に鋭いものへと変わっていた。
「…何を、言っている?」
「まさかあの子の記憶をいじったのか?」
そう問うた一瞬、フィーゼの瞳に影が差した。
キーユはその繊細な揺らぎを見逃さなかった。
「バカか…?普通の人間に、そんなことができるわけがないだろう?」
あくまで冷静に淡々と返された言葉に、キーユはゆっくりと息を吐き、微笑を浮かべた。
「っ———そう、ですよね。普通の人間には、できるはずがない」
その言葉の “ 普通 ” という響きに、フィーゼはなぜか胸の奥を針で刺されたような痛みを覚えた。
「すみません、少し取り乱しました、忘れてください」
一瞬の沈黙。
それからキーユは穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「そういえば、僕が何者かと聞いていましたね。
僕はただの異国の学生です。
——— “ クロノス帝国 ” からきた、キーファン・ヘウンという人間に過ぎません」
「…っ、お前、帝国人なのか?」
その国名にフィーゼの表情が一変する。
声には警戒と、わずかな恐怖が滲んでいた。
「このことは、どうか彼女には言わないでください。
“ 帝国 ” という言葉だけで、彼女は僕を遠ざけてしまうでしょうから」
その声音には、どこか焦りにも似た震えがあった。
この世界には中央の “ クロノス帝国 ” を頂点に、東西南北に四つの大国がある。
それらは帝国の庇護下にある従属国であり、人々は帝国の民を” 神に最も近き者 ”と崇める。———それゆえに、距離は近くて遠い。
「———まぁ、うん、わかった」
「ありがとう、フィーゼ!」
わかりやすく身体の緊張を解いたキーユに、フィーゼは苦笑いをしながら小さく息をつくのだった。
♢
———そんな時、静かに扉が開いた。
「楽しそうに二人で何を話してたの?」
穏やかな笑みとともに部屋に戻って来たシンシアに、二人は思わず肩を跳ねさせる。
「なに、そんなに驚くことないでしょう?私の顔に何かついてる?」
「…いや、別に。俺の主様は相変わらず、可愛らしいお顔だなと思って」
「っ、もぅ、またそうやって!」
「ハハッ、冗談だよ。ただ、現文学の宿題の答えを聞いてただけ」
咄嗟のフィーゼの切り返しに、キーユの強張った表情がゆっくり緩む。
「ちょっ、ダメでしょ?自分の宿題くらい自分で考えなきゃ」
「いいじゃないか。こういうものは学年首席殿に聞くのが一番早いんだよ」
「すみません、キーユさん」
「いえ、むしろ光栄です。それに、僕も勉強になりますし」
軽口の応酬に笑いが混じる。空気が柔らかく溶けていく。
「キーユさんは読解、お得意なんですか?」
「得意かどうかは…。でも本はよく読みます。
昔、近くに本好きな方がいらっしゃった影響で。
———そう言えば、この学園の図書館はとても立派ですね」
「はい、国中の本が集まる場所でも有名です。私もよく利用しているんです」
「僕も気に入ってるんです。あの空間は、部屋にいるより静かで落ち着くので」
「お部屋は従者さんが賑やかなんですか?」
「…まぁ、そういったところです」
素朴な疑問に少し濁した答えが返ってくる。
その一瞬、シンシアの視線がどこか寂しげに揺れた。
「ぁ…じゃあここは少しうるさかったですか?」
申し訳なさそうに問う少女に、キーユは慌てて首を横に振った。
「いぇ、そういった意味じゃなくて…。ココはとても暖かくて、心が安らぎます」
「あれ、お部屋、暑かったですか?」
「ぇ、ぁ、いや…」
予想外の返しにキーユは苦笑いすると、フィーゼが小さくため息をついて耳打ちする。
「お嬢にはあんま言葉を修飾しないでやってくれ。
何も考えずそのまんまを受け取る所があるから」
と彼の耳元でコソッとフォローを入れる。
「フフッ、なるほど。君の主はとても純粋で素直なお方なのですね」
キーユはフワッと笑ってコソッと返すのだった。
そんな2人のやり取りを見て、
「…また何か変なこと、言いましたか?私」
シンシアは少し不安そうな表情を浮かべる。
その姿を見て、キーユは穏やかに微笑みかけようとしたが、
「お嬢こそ、もう少し読解力を身に付けなって話」
否定しようとしたキーユを遮って、従者は少女をからかうようにニッと笑って言った。
目の前で繰り広げられるやり取りに、キーユは思わず笑い声を漏らしてしまう。
シンシアとフィーゼは意外そうに目を丸くする。
特にシンシアの方は、初めて見るその無邪気な笑顔に胸が熱くなるのを感じていた。
「あ、すみません。お二人を見ていると楽しくて、つい。
いつまでもここにいたい気分です」
「…では、またいつでもいらしてください」
以外にも、その言葉を口にしたのはフィーゼだった。
思わぬ招きにシンシアとキーユは目を合わせ、彼は照れ隠しのように続けた。
「 あ、手土産は宿題の答えってことで」
「フフッ、君という人は」
キーユは口元に手を添えて小さく笑みをこぼした。
「キーユさん、フィーゼが言う通りです。よかったらぜひまた来てくださいね!
あ、その時はもちろん手ぶらで全然構いませんから!」
「ありがとうございます」
それから暫くしてキーユは静かに部屋を後にしたのだった。
♢
キーユが部屋へ戻った瞬間、執事服の女性が慌てて彼を出迎えた。
「キーファン様、一体こんな時間までどちらへ?」
「すみません、道に迷ったもので」
えへへ…と後頭部をポリポリしながら苦笑いの主人の姿に、彼女は小さくため息をついた。
「っ…、お急ぎください。お客様がお待ちです」
詳しいことは何も触れず淡々と告げられ、キーユは頷く。
その客人とやらを出迎えるため部屋の奥へと歩みを進めるのだった。
♢
キーユが去った後の部屋で、シンシアはフィーゼが淹れ直した紅茶をゆっくり嗜みながら先ほどまで彼が座っていた席を目で追っていた。
「キーユさんは、従者さんと仲良くないのかな?」
「何でもかんでもごちゃごちゃ喧しい従者だって言ってたからな」
キーユが使っていた皿やカップを片付けるフィーゼに、そこまで言ってなかったでしょとツッコむ少女。
「…でも、意外だった。フィーゼがあんなこと言うなんて」
その言葉にピタッと手を止めて主を見る従者。
「また来てくださいって」
「っ、そ、それは———」
「何だかんだ言って、フィーゼもキーユさんのこと気に入ってるんじゃない」
どこか安心したように、楽しそうに話すシンシアを前に、フィーゼは顔を背け低く呟く。
「…っ、うるせぇ」
誰のためだと思ってんだよ…。
言葉そのままに受け取る主に、ため息を落として心の中でそう呟く。
シンシアはそんな彼の背中を見つめ、カップの紅茶が淡い琥珀色に光るのを眺めた。
まるでほんの少し前までここにいた誰かの気配を映しているかのようだ。
「…また、来てくれるかな?」
その呟きにフィーゼは何も言わず、そっとワゴンを押してテーブルを離れた。
その数歩先で彼はぎこちなく足を止める。
「…お嬢、」
振り返らずに低く呼びかける背中に、シンシアが顔を向ける。
「ん?」
「あなたは俺のお嬢、だからな」
不意に告げられた言葉に、シンシアは瞬きをした。
しばしの沈黙の末に、従者は軽く咳払いをして奥のキッチンへと消えていった。
その背中を見つめながらシンシアは小さく笑った。
胸の奥ではなぜか一雫、温かいものが広がっていた。
♢
その夜、シンシアは瞼は閉じるもののなかなか眠れなかった。そんな彼女の胸の奥で、静かに声が囁いた。
【———お前の心が誰かを想う時、その風は必ず世界へ届く】
少女は胸元に下げている、幼い頃にもらった祖母からの“御守り”をそっと握り締める。
音のない夜の中で、かすかな光が石の奥に瞬いた気がした。
それが、この日、彼女の運命が静かに動き出した瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます