第46話 きらきら瞬く

きらきら瞬く


 私と京の指にお揃いの指輪が嵌められているけれど、しばらくは結婚しないことになった。しないというか、できないと言うところが本当だ。京は京で忙しいし、私は私で仕事とピアノの練習、日曜日のレッスンと、それなりに過密なスケジュールをこなしていて、土曜日の夕方に会えたら会うという感じだった。でも大体、土曜日は京の仕事が入ってたりするから、たまに平日の夕方に会いに来てくれたりする。


「那由、ご飯食べよう」と仕事中にメッセージが入ったら、割と焦ってしまう。


 今日は家に帰ってピアノの練習するだけだから、とあまり化粧も髪の毛も特に何もしていない。理美がそんな私の様子を見て「どうしたの?」と声をかけてくれる。そして仕事終わった後、綺麗に髪の毛を編み込みしてくれたり、化粧直ししてくれて、送り出してくれる。


「ありがとう」


「なんの、なんの」と明るい声だ。


「あの…理美…、本当にありがとう」


「何? それ」と笑いながら言う。


「友達に…なってくれて」


「そんなの…感謝することじゃないよ。那由がいい子だから友達になりたいだけだから。お互い様だよ」


 私は理美の顔を見ることはできないけれど、きっと優しい顔をしているんだろうなと思う。だって、今、また泣いてしまった私の涙を拭いて、ファンデーションを塗ってくれたから。


「もう、せっかく綺麗にしたんだから」と割と真剣に怒られた。


 そして町田くんは来年の三月で仕事を辞めると決めたようだった。びっくりしたけれど、海外青年協力をしてみたかった、と言っていた。


「児玉さんのおかげなんだ」


「私の?」


「うん…。やっぱり…あ、ごめん。なんか、分かってると思うけど。児玉さんのこと…好きだったから…」と言われて私はどうしていいのか分からなかった。


 親切にしてくれた町田くんに私は結局、何も返せない。言葉も気持ちも何も。


「でも児玉さんがちゃんと自分の気持ちに素直になれて…それで、ピアノも続けるって聞いたから…僕もしたかったこと挑戦しようかなって思って」


「挑戦…」


「だからありがとう」


「え?」


「君が勇気をくれたから」


「私が?」


「いつも一生懸命頑張ってる姿が…力をくれたから」


「そんな…。町田くんこそ、いつも親切にしてくれて。お菓子もくれて」


「お菓子なら、好きなだけあげるけどね。じゃあね」と話を終わって、昼休み休憩から去っていった。


 私は公務員になるって決めて、ここで働いていることが間違えたんじゃないかって思うこともあったけれど、ここで働かなくてはこの二人に会えなかった。そう思うと、ここで働いたことは私にとって、優しい世界を広げてくれる、必要な時間だったと思えた。何もかも…私にとって必要なことだったんだと今は思える。私はいつまで働くのか決めていないけれど、専攻科を受ける準備を一生懸命している。働いていたら練習時間が足りないんじゃないかと不安になるけど、いつか入れたらいい、と思って、来年じゃなくても、再来年でも…、そしたらお金も貯まるだろうし、といいことを考えて気持ちを落ち着かせている。



「那由」と京の声がする。


 入口付近で待っていてくれたようだ。私は声のする方に向かう。


「可愛い髪型、どうしたの?」


「あ、友達が…理美がしてくれたの。京と会うからって」


「そっか。良かった。朝からそんなに可愛い髪型だったら、ちょっと嫉妬してる」と言われてしまった。


「朝はそんな時間ないよー」


「練習進んでますか?」と京に聞かれる。


「うん。まぁまぁ」と私は濁した。


 今、私のピアノの上には桜木さんのサイン入りCDが置かれている。私は見えないけれど、そこに桜木さんのCDがあると思うだけで気が抜けなくなった。


「もっと練習が必要だね。練習量が足りなさ過ぎる」と言われた言葉を胸に練習している。


 桜木さんのスパルタな言葉のおかげで太田先生を喜ばせることができるようになった。


「児玉さん、ようやく…」と言葉を詰まらせている。


 でもピアノの上のCDは太田先生にも京にも内緒だ。


「海沿いのレストラン行こう」と京の車に乗せてもらう。


 シートベルトの時に必ずキスをされる。キスされるとレストランどころじゃなくなるのに、って思いながら私も京の首に手を回してしまう。


「那由…帰り遅くなるって…那由のお母さんにメッセージしておいていい?」とわずかに鼻にかかった声で言う。


「どうして京がするの」


「じゃあ…那由が電話してくれる?」


 私は渋々と家に電話をかけて、お母さんに連絡をしながら、私は京にまんまとその後のことを受け入れさせられていることに気がついた。


「あ…あの、お母さん?」と言った瞬間、京が携帯を取り上げて「今日、遅くなってもいいですか? ちゃんと家まで送るので」と言っている。


 京とお母さんが喋っているのを聞いて、私はなんだか恥ずかしくて仕方がない。


「え? そうですか? はい。ありがとうございます」と言って、すぐに電話を切る。


「京?」


「帰るの、朝でもいいって」と京が弾んだ声で言う。


(お母さん!)と私は心の中で思わず叫んだ。


「京…。あの…遅くなっていいから…夜のうちに帰りたい」


「はー、那由と一緒に寝たかったのに」とため息を吐かれる。


「冬休みに旅行に行きたい。京は忙しい?」


「うーん。それは絶対行けるようにするけど…。今日も一緒に眠りたかったな…」とぶつぶつ言う。


 私も京の温もりを感じながら寝たいのは山々だけど…、明日も仕事なので、一度、家に帰ってリセットしたい。そうでなければお仕事をちゃんとできる自信がない。


「それは…私も…なんだけど…あの…お仕事もあるし…」としどろもどろに言うと、京がくすくす笑った。


「本当に那由は真面目で頑張り屋さんだな。そう言うところも、全部好きだけど」とおでこにキスをされて、車がようやく発信した。


 そういった日々を送りながら、秋はあっという間に終わって、冬になった。


 桜木さんと京が出演するクリスマスのチャリティコンサートに私も参加させてもらえることになった。年末もずっと家に帰られない患者さんのために病院の院長が企画しているコンサートだそうだ。ラジオ局の人も来ていて、放送されてると言うので、ほんの少し緊張する。

 病院は真っ白な建物だと言うので、私は自分が目立ちたくなくて、白いワンピースを選んだ。病院と一体化できると思ったから。でも京が「すごく綺麗」と言ってくれる。変に目立ちたくなくて、今度は桜さんに見てもらった。そしたら、髪の毛を綺麗に編み込みしてくれて、淡いピンクのバラを髪に差してくれているらしい。


「さらに綺麗になった」と京にまた言われる。


「でも…目立ちたくないの」と私が言うと、「今日は患者さんとその関係者しか入れないから」と後ろから桜木さんの声がした。


 私は急に恥ずかしくなる。


 私はクリスマスキャロルを歌う子供の伴奏と、京と一緒にアヴェ・マリアを弾いた。病院の天井は高くて、音が響く。そして光がたくさん入るように設計されているのかとても明るかった。


 子供たちの歌の伴奏をするのはとても楽しかった。みんな本当に綺麗な声で私はうっとりしながらピアノを弾いた。桜さんも一緒に来たけれど、何もすることがない、とちょっと寂しそうだった。患者さんには差し入れが不可だったから、医療者の方におにぎりを持って行っていたけれど、確かにこんな素敵な機会に参加させてもらえて、私は本当に幸せだと思う。桜木さんの演奏はやはり素敵で、私はもっと聞いていたかった。


 途中で院長が声をかけてくれて、私にショパンのノクターンを弾いて欲しいと言ってきた。ショパンの中でも難易度は高くないが、ショパンは音が飛ぶので苦手だ。でも断らずに弾くことにする。


 演奏は二部に分かれていて、少し休憩がある。休憩の間にラジオ局のDJさんが面白おかしく話している。私は必死でその時はショパンの音源を聞きながら指を動かしていた。京は一緒にいてくれて、何も言わずに横で座ってくれていた。


「いつもは桜木さんとお仕事させてもらっているんですけど、今日はチェリストの西澤さんもきてくださっている様なので、何か即興で演奏してもらってもいいですか?」とDJさんに声をかけられた。


 京が立ち上がって、去っていく。私はそれでもずっと手を動かし続ける。


「頑張ってたね」と桜木さんの声がして、私は肩が上がった。


「あ、ごめん。邪魔して」


「いえ…」


「練習してきたの…すごく伝わったよ。まだ足りないけどね」


 厳しいけれど、すごく嬉しくて、私は「はい」と思いがけず声を出してしまった。


「ショパンのノクターン弾く時、夜の星空をイメージして弾いたりするんだ」


「え?」


「ほら、冬の星がきらきらしているそんな感じ。だからゆっくり弾いたらいいから」


 夜の星…。私は光いっぱいのこの場所で私は夜の星を思い浮かべた。きらきら瞬く星を私は音で投げられるだろうか。


「ありがとうございます」


 音源を切って、指を動かす。頭の中で流れ出す音楽を指で辿る。


 きらきら


 一つ一つの星が空で輝けるように。


 今、私がここでピアノを弾くということ。遠回りしたような気も少しあるけど、でも遠回りした道にも優しい世界があって、私はそうやって少しずつ前に進む。京と出会って、泣いたり笑ったり…愛されたり、愛したり…見えなくなった視界が鮮やかになってる。

 なんとか自立しようと頑張った私も、すぐ泣いてしまう私も、人に頼って生活する私も全てを受け入れて、今は誰にも彼にも「ありがとう」を伝えたい。


 この胸のきらきらが届くといいな…。


「もうすぐ二部が始まるよ」と桜さんの声がした。


 アニメソングを弾き終えた京が来て、私の手を取って、ピアノの前まで連れて行ってくれる。光がたっぷり降り注ぐからなんとなく分かるのだけど、それでも京に手を引いてもらってピアノの前に着いた。お辞儀をして、ピアノの前に座る。


 きらきら瞬く星を音に変えて、投げかけた。



              〜おわり〜

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お茶の時間が過ぎても かにりよ @caniliyo

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