第35話 写真の謎
それから俺がアヴェマリアを送ったとしても那由からは返事はないだろうと思っていたが、アンコール曲を送り続けていた。
そんなある日、那由からメールが届いた。俺は急いで開けると、一枚の写真だった。
「なんだ…これ」
何を狙って撮っているのか分からないが、いちごショートケーキが半分とウィンナーコーヒーが写っている。那由が自分で撮ったというのは分かるが、その意図していることが分からない。
俺のチェロへのお礼だろうか、と思って、じっとその写真を眺めた。見ていると、不思議な気持ちになる。
「お前じゃない」とふと大学の頃に那由が言ったことを思い出した。
まだ仲良くなる前だったし、まさか付き合うことになるなんて思いもしなかった頃だった。「お前」と言ったら、怒られた。俺は定演のために那由になんとか練習をさせようとしていた。
あの頃から、随分、時間が経ったようにも思えるし、そうでもないようにも思える。
俺はあの頃と同じようにずっとチェロを弾いているし、那由は…もうピアノは弾いていないんだろうか。それでもお茶の時間を取っているんだな、と思うと、なんとなく那由らしくて、可愛く思えた。
俺はいつから那由を好きになっていたんだろう。那由はきっと俺のことをそんなに好きじゃなかったはずだ。
そう思うと、思わず「ごめん」と呟いてしまう。
何に対してのごめんか自分でも分からない。ただ…あの頃の気持ちが懐かしさと共に胸に迫ってくる。
初めてキスをした日。
那由からキスをしてくれたこと。
遠くて、届かない時間を懐かしんだ。
そして俺はコンサートがある度に、アンコール曲を舞台袖で録音してもらって、それを那由に送るようにしていた。
メッセージをつけたかったが、何を言ったらいいのか分からない。でも曲で、那由に気持ちを伝えられるような気がしていた。場所によって音響も違う、お客の反応だって、違う。本当は近くにいて、聞いて欲しかったけれど…、それは叶わなかった。
本当は心が折れそうで、コンサートなんて演奏したくなかったけれど、それを那由が後押ししてくれる。舞台に上がる前は必ずその柔らかい声を思い出す。
そうしてなんとか演奏をして、最後のアンコールを弾く頃にはここまで引っ張ってくれた那由に感謝の気持ちを込めてアンコールを弾く。
その日によって、演奏する曲は違っていたが、どの曲でも那由を想って弾いた。
週に一、二回、曲を送信する。
そうすると必ず日曜日に那由から写真が届く。その写真はぼけていたり、よく分からない構図だったりするのだけれど、ケーキとドリンクを写しているようだった。ただ、半分切れていたりする。たまに那由の太もも部分が入っていたりすると、思わず胸が縮まって、意味もなくそこを拡大したりする。別にミニスカートを履いてるわけじゃないので、ただのスカートの布が写っているだけなんだけれど、那由がどうやら写したいと思っているケーキよりも俺は那由のスカートの方が見たい。
そんな煩悩で写真を眺めていると、ある時、気がついた。
写真が送られる時間はほぼ同じ時間。内容もケーキとお茶。
推理すると、毎週、那由は同じ時間、同じ場所でお茶をしているようだった。数枚の写真から見るに、どうやら一人でお茶をしている。
「一人で…お茶…」と俺はその写真を見ながら呟いた。
一枚の写真からお店の刻印が入った紙ナプキンが写っている。
俺はそのお店をネットで調べると、那由の最寄駅ではない場所にあり、乗り換え駅に入っているお店のようだった。一体、毎週、那由は何のためにそこへ行っているのだろう。ケーキは特別美味しそうと言うより、ごく普通の一般的なケーキに見える。お店もおしゃれなお店というよりは、古くからある喫茶店のようだった。外観に惹かれて那由が選ぶことはないから…、一体、どんな理由で那由が毎日曜日通っているのか…、と考えて、俺は思わず固まってしまった。
もしかしてイケメン店員がいるのではないか、と。イケメン…はないか。那由は目が見えないから、たまたま入った喫茶店で親切にされて、それで好きになったのではないか、と俺は思った。
いや、それはないか。その親切店員が毎週、那由に来るように誘っているのではないか。那由は単純だからお菓子に釣られてたりして。
「無料チケットをあげるから」って言って、那由を誘っているのかも知れない、と言う想像をして思わず「は?」と声が出た。
いくら那由が可愛いからって、食べ物で釣って…まさかデートに誘って…そのまま…と想像すると「あ″ー」と声が出てしまう。
日曜の朝に那由から届いた写真を見て、俺はベッドの上をなす術もなく転がる。
俺がアンコールを送る。
毎週日曜日の午前中に那由から変な写真が届く。
今日はフレンチトーストが半分切れている写真とカフェオレだった。伝票が写り込んでいる。伝票があると言うことは…奢りじゃないのだろうか、と、いやでもそれは分からない。
お茶とお菓子、お茶と…、
お茶とお菓子…。ふと大学の記憶が蘇る。那由が一人でベンチで食べていたおやつ。
「…これ、もしかして…俺がお茶に誘われてる? のかな?」
一瞬、甘い思いが胸に広がる。でも首を横に振った。
「いや…。ないか。それは…ないな」
ないない、と繰り返しながら、それでも毎週、決まった時間に送られてくる写真が意図的にしか思えなくて、再会の可能性を考えてしまう。
(でも…日本に帰ったら、時差を計算して、この店に偶然を装って行ったら、那由に会える…。それって…やっぱり…会いに来てって…ことかな?)とちょっと、いや、大分、気持ちが明るくなる。
今日がヨーロッパで最終のコンサートだ。今までにないウキウキ感が出ていたようだった。
「あれ? 今日、京はすごく機嫌いいね」とヨーロッパのコーディネーターに言われた。
「もうすぐ帰れるから」
「あぁ、なるほどね。じゃあ、最後、頑張ってね」と言われて、舞台に送り出される。
アンコールも張り切って、二回応えた。
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