第29話 葉の影に生る実③


 学校と公園などでのかくれんぼの大きな違いは選択肢の豊富さだろう。

 公園では遊具、ツツジなどの低木植物の茂みなどを利用するしかなく、参加人数が多いと隠れ場所の取り合いになる。

 それに比べると学校は教室だけでも、教壇の中、カーテン、掃除用ロッカーなど。ホコリにまみれる可能性を捨てればいくらでも選択肢が増やせる。

 もしも、先生に怒られるリスクを考えないで学校を舞台にかくれんぼをするならどこに隠れようかな。

「(無駄かもしれないけど、いちおう小細工しておこう)」

 影ちゃんの気まぐれで鬼ごっこがかくれんぼに変わったあと、ボクは大きな靴音を鳴らしながら廊下を突っ走る。

 このまま進むと階段があるが、スタート地点の階段が土で塞がれていたので反対側も使えないだろう。

 そうなると、突き当りにはトイレしかないのだが、ここで無策に体力を削るほどボクは甘くない。ぶっつけ本番になっちゃうけど、一つ作戦がある。

 両目をつぶって二十数えている影ちゃんのカウントダウンが五になった直後、ボクは女子トイレのドアを開け放つ。

 同時に勢いのあるドアの解放音に合わせ、髪飾りに触れた。

「……解放 肆」

 聖剣ブリージアの特性は物理法則を無視した形態変化。その変化は記憶された五つの形にも及ぶらしく固定させた形に無理をしない程度のイメージを付与しつつ魔力を込めると、更に変化させることができる。

 例えば、番傘はワンサイズ大きくしたり、小さくしたり。スライムは分裂させたり、強度を上げたり。

 ここでイメージしたのは二つの水玉に分裂したスライムだった。

 ボクは二つのスライムを両足で踏むと、すぐ近くにあるドアの空いていた生物室に向かって歩き始めるが足音は全くしない。

 ボクの考えた作戦は靴をスライムで包むことで消音材にして、耳を頼りにしている影ちゃんにトイレに隠れたと思わせること。

 作戦は概ね順調。

 しかし、いくら汚れしらずのスライムとはいえ、心が痛い。帰ったらお風呂で洗って労おう。

『じゅうごー、じゅうろくー』

「(まずい。ドアの音しないからここにしたけど、隠れられる場所が……)」

 足音の無い移動方法を手に入れたとはいえ、時間はギリギリ。おまけにスライムの弾力で何度も転びそうになっている。

 多目的棟の固定された大机を一列づつ通り抜けながら隠れる場所を探すが、すぐに見つかってしまいそうなところばかりで困る。

 もう突き当りの標本棚の一番下か掃除用ロッカーしか選択肢がないけど、どっちにしようか。

『じゅうななー、じゅうはちー』

「(ここでいっか)」

 悩んでいる時間はなく、ボクは標本棚の一番下の横開きのドアを静かに引くと中に潜りこんだ。結構ほこりっぽいけど我慢我慢。

『じゅうくー、にじゅう!』

『さて、桐子さん始めますよ!』

 廊下の端から端まで影ちゃんの声が響くが返事はしない。本当に声も声量も三葉と同じなんだよな。

 コトの時代にはドッペルゲンガーなんていなかったけど、絶対に戦いたくない相手だよ。

 ドアを引いて暗闇に身を任せると廊下を進む足音がはっきりと聞こえる。

 影ちゃんは鬼ごっこの時と同じようにゆっくりとした足どりでトイレの方へ向かって歩きはじめたようだ。

「(そういえば、三葉どうしてるかな?)」

 鬼ごっこにかくれんぼと考える暇がなかったけど、三葉はまだ物理室にいるのかな。

 外に出たら影ちゃんと目が合う可能性があるから出られないよね。

『みつはー、ちゃんと目つぶってる?』

『つ、つぶってるっすよ!』

 コンコンと遠くでノックの音。これは位置的に物理室か?

 ドアを引く音と共に影ちゃんの悪戯っぽい声が聞こえてくると、三葉の驚いた声が続いた。

 え、怖!? 何考えてるのあの子。

 予告はしてたけど、それで目が合っちゃったら、今遊んでる意味無くなるよね?

 影ちゃんはそのまま教室に足を進めたようで、靴の音が中から聞こえてくる。

「早くお帰りくださいっす!」

『つれないなー』

「だって見たら死ぬんでしょ?」

『たぶん』

「えぇ……」

『とにかく、もうちょっとしたら遊んであげるから待っててねー』

 物理室から出てくる足音は相変わらずゆっくりとしていてマイペースさを感じさせる。

 三葉、今日は災難続きだね。

「とりあえず、奥の方まで行ってみようかな」

「(よし!)」

 こちらの策にかかってくれたみたいでまずは一安心。暗闇の中で右手をグッと握る。

 しらみつぶしに物理室から順にドアを開けて回るみたいな力技に出てくれなくて助かったよ。

「さてさて、トイレに隠れた桐子さんはいるのかな?」

「(いないよ)」

 廊下の端まで足音が行ったことを耳で確認しながら、少し笑う。

 両目をつぶった状態でカウントダウンをするときに頼りになるのは耳だけだ。

 外でかくれんぼをするときも周りの音が混じってしまうが、足音でどっちの方向に走っているのか考えるのは鉄則。

 今回はそれを利用させてもらったよ。

「失礼しまーす」

 ギィっとトイレのドアが開く音がして、影ちゃんは中に入っていく。

「あれ? いない。鍵のかかってる個室にいると思ったのに全部開いてるや」

「(そうそう、いないんだよ)」

 さすがに時間がギリギリ過ぎて、個室の鍵をかけたまま脱出するという細工までは間に合わなかった。

 二十秒間でフェイントをかけつつ、足音を消して別のところに隠れるという功績を残しただけでも、ボクとしては成長を感じてるけどこれからどうしよう?

 見つからない自信は正直ないんだよな。

「うーん。ここだと思ったんだけどな」

「(ふふ)」

「やれやれ、あとは総当たりしかないか」

「(あ……)」

 トイレから出てきた影ちゃんはつま先で廊下をトントンと叩きながら言う。その声はもうすぐ家に帰る子どものように残念そうだ。

 ここで気づいてしまった。このゲーム、影ちゃんとの間に明確なルールを決めていない。

 というか急にスタートしたのでそんな余裕はなかったが、時間制もしくは探せる場所の数を決めるぐらいの提案はすればよかった。

 かくれんぼはルールを決めていない限り、鬼が隠れている子を見つけるまで終わらない。

 つまり、ボクはかくれんぼに移行した時点で詰んでいたんだ。

「とりあえず、端から端まで探しますか」

 影ちゃんは、ボクが隠れている生物室の隣の教室に入っていった。

 ボクがいるのはちょうど壁一枚隔てた場所なので、後ろからは机を動かす音やロッカーを開けたり閉めたりする音がハッキリと聞こえる。

「桐子さん、います?」

「(まずい、カーテンもちゃんとめくってる)」

「(もうすぐここに入ってくる)」

 逃げようとすると音で気づかれてしまう。かといってこのまま見つかるのは嫌だ。

 ここで負けたら三葉が……。

「いないか……。次は生物室だね」

 しょうがない。

 こうなったら少しでも時間を稼いで、三葉に逃げてもらおう。

 ボクは影ちゃんが生物室に入ってきたのと同時に、隠れていた標本棚の一番下の収納スペースから出た。制服や髪にほこりがついてるけど気にしない。

「失礼し、隠れてないとダメじゃないですか」

「ルールを決めなかった時点でボクは君に負けているからね」

「でも、見つかるまで楽しいのがかくれんぼですよ」

「ボクは緊張しっぱなしで楽しくなかったよ」

 呆れた態度で影ちゃんはくすくすと笑う。

 ずっと暗いところにいたからか、最初に影ちゃんに会った時よりも気持ちが落ち着いている。

 体力も多少は回復しているし、これならいいとこまでいけるかな。 

「ところで、その靴のブヨブヨはなんです?」

「これはスライムだよ」

 影ちゃんがボクの足元についているスライムを見て、ちょっと気持ち悪そうな顔をした。

 傷つくなぁ。汚れないし、ぽよぽよで気持ちいのに。

「そして、剣でもある」

「はい?」

「解放 壱」

 靴からスライムを剥がすと両手で抱えて魔力を込める。

 スライムは短剣に変わり、剣先は影ちゃんに真っ直ぐ向かう。

 ここからは戦いだ。

「なんなんすか? それ」

 影ちゃんは目をパチパチさせながら、自分に向けられた短剣を見て、三葉の話し方で驚く。

「まぁ、勇者の剣かな」

 なんか自分で言ってって恥ずかしくなってくる。勇者って柄じゃないのに……。

 そうだ、今のうちに三葉に知らせないと。

「三葉、ボクがこの子の相手をしてる間に逃げて!」

「階段は塞がれちゃってるけど、三葉なら窓から下の階に行けるでしょ」

 物理室にいる三葉に聞こえるぐらい大きな声で叫ぶ。

 多目的棟の窓の外はバルコニーになっているから身体能力が高ければ下の階に移動するのは簡単だ。

 影ちゃんを倒すまではいかなくても、逃げるまでの時間稼ぎは絶対にしてみせる。

「さて、遊ぼうか」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっす! いろいろと理解してないけどタイムっす!」

「今さら、三葉のふりしたって……」

「いや、私は三葉っすよ!」

 彼女は両手を高く上にあげると、降参のポーズをとってその場に座る。

あとは頑張るだけと、短剣を握って影ちゃんに近づいたら、思わぬリアクションが出てきたのでボクも戸惑ってしまう。

なんか、嘘言ってるようには見えないんだよな。でも、そうなると物理室にいるのは影ちゃんってことになるし。

「仮に君が三葉だとして、どういうこと?」

『三葉、何がどうなって…。本当にどんな状況よ』

「八実、一緒に説明するっすよぉ」

 生物室のドアから姿を見せた影ちゃんに三葉が抱きつく。

姿を見ても大丈夫みたいだけど、どうなってるのはこっちのセリフだよ。

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