第28話 葉の影に生る実②
物理室や生物室がある多目的棟の最上階。
窓の外は夕日が出ているというのに廊下は影が降りたように暗く、室内灯は点いていない。
そんなところをボクは走っている。
先生に見つかればお説教は確実のこの状況。簡単に説明すると、ボクはある約束をして鬼ごっこをする羽目になった。
「はぁ……、はぁ……」
鬼役を引き離そうと頑張ってみたはいいけど。
案の定、絶望的な体力不足ですぐに限界が来る。
だけど、こつこつとトレーニングをしていた甲斐はあって、少しはバテる時間が伸びているのはこんな状況でも嬉しい。
それも数秒しか持たなかったけどね。
『走ると危ないですよ。転ばないように気をつけてくださいね』
「誰のせいで走ってると」
もう走るのが辛いので、息を整えるように歩きつつ、後ろを振り向くと、鬼役の少女が頭の後ろで両腕を組みながらこちらを見ていた。
『いや、あたしのせいじゃないんですけど』
窓の外の明かりにぼんやりと照らされるその姿も、ボクに向けて発される声も、榛木 三葉そのものだが彼女は別人で、ドッペルゲンガーという存在らしい。
ドッペルゲンガーは長いので影ちゃんと呼ぶことにする。
「けほっ……」
『付け焼き刃の体力で無理しましたね。体育の成績が温情で2だった時から変わってない』
「なんで中学校のときのボクの成績を知ってるの!?」
『あたしは三葉のドッペルゲンガーですからね。記憶もそっくりそのままコピってるんです』
いつもの元気な三葉の笑顔のはずなのに、影ちゃんが笑うと悪戯っぽいのは性格が違うからだろうか。
というか、ドッペルゲンガーについては詳しく知らないけど性格も写らないの?
『もう少しで手が届いちゃいそうですよ。約束守れないじゃないですか』
「っく」
視界が悪いのでそれを補うように耳が冴え、ゆっくりと踏み込まれる靴底の音が鮮明に聞こえる。
会話を挟みながらも必死に逃げるボクに対して、影ちゃんはこの瞬間を楽しむように一歩一歩リズミカルに近づいてくる。
あと何歩で彼女の手がボクを掴むだろうか?
「え?」
ハンティングの獲物にでもなった気分でなんとか体を動かし、下の階に続く階段までもう少しというところで、暗がりに慣れた目があり得ない光景を捉えた。
「階段が無い」
下へと通じる階段があるはずの踊り場は夜目に慣れていなければ、元々そこには何もなかったと錯覚してしまうほどにみっちりと何かで覆われて役割を失っていた。
「これは土?」
更に近づいて触れてみれば、壁は指先で削れるほどに脆く、土のひんやりとした感触がした。
『どうしたんですか? 足止まっちゃってますよ』
「しまった!?」
不意に現れた土壁に気をとられてボクは足を止めてしまい、影ちゃんの急接近を許してしまう。
キュッキュッと勢いよく床を踏み抜く足音が連続して暗闇の廊下に響き渡り、そして止まった。
いま彼女はボクのすぐ後ろにいる。振り向けば体と体がぶつかってしまうくらいの距離だろうか?
走ろうとしてもタッチされて終わりだろう。
ごめん、三葉。約束守れなかったよ……。
「?」
おかしい。
既に勝負はついているはずなのに、一向に影ちゃんがボクに触れる様子がない。
彼女からすれば、こんな遊びはさっさと終わらせて三葉のところに向かいたいはずなのにどうして。
『……』
「どうして、触れないの?」
『一方的過ぎて、なんだか可哀想になってきたんです』
「わ、悪かったね。貧弱で」
少し膠着状態に入ったあとに出てきたのは、呆れたような感想だった。
お返しに軽口を叩いてみたが、気が変わってタッチでもされたら元も子もないので慎重にいかないと。
『本当に貧弱です。そのくせ人の役に立とうと先走るものだから、たちが悪い』
「それ、三葉の気持ち?」
ドッペルゲンガーは現し身。
もしも、抱いている感情も写しているなら、今の言葉は……。
『さてどうでしょう? あたしに勝ったら教えてあげますよ』
「いじわる。もう勝てないじゃん」
『あの』
「は、はい」
何かされると思って声が上ずってしまった。恥ずかしい。
『体力はハンデがありすぎたので優しいあたしがチャンスをあげます。次はかくれんぼにしましょう。二十数えますので頑張ってください。あ、階段は塞いでるので、この階だけですよ』
「ん?」
『では数えます。いーち』
突然のルール改変。
拒否する間もなく、影ちゃんは大きな声でカウントダウンを始める。ツッコミの一つでも入れたいところだけど時間が惜しい。
ボクは少しばかり回復した体力を使って、両手で顔を覆う影ちゃんの反対方向へ駆けだした。
本当にどうしてこうなった?
◇ ◇ ◇
話は昨日の夜に遡る。
中間テスト後から実践的になった浜凪とのトレーニングで疲れている体をストレッチでほぐしたあと、ボクは大鎌の流れるような刃を乾いたタオルで拭いていた。
形状や切れ味は記憶されているので、とくに意味はないのだが、すでに日課となっていることをやらないのは気持ちが悪い。
ちなみに、もう一つの日課に大鎌を持ち上げるというのがあるけど今日も失敗している。
やっぱりまだまだ筋力が足りないんだなぁ。
そんな癒しの時間を楽しんでいると、ノックも無しにドアノブが回って真理夏が入ってきた。
ボクがノックしないで入ると怒るくせに自分はしないのは、本当になんとかしてほしい。
片手間作業は危ないので、タオルを握る手を止めてから真理夏の方を向いて抗議する。
「ちょっと、ノックしてよ」
「あ、ごめん。お楽しみ中だった?」
「別にお楽しみじゃないけど」
「ならよかった」
漫画でも読みにきたのだろうか?
真理夏は軽く謝ると、本棚から数冊を抜き取ると床に積んで読み始める。
いつもの慣れた光景なのでボクも気にしないで、大鎌に当てているタオルをまた動かし始めた。
「あのさ」
「なに?」
ページをめくりながら真理夏が話しかけてきた。
今度は手は止めずに応答する。
「三葉ちゃんがさ、遊べてなくて大分調子でてないんだよね」
「三葉が?」
「最近さ、姉ちゃんと浜凪ちゃんばっかで行動してるじゃん?」
「うん」
「最後に遊んだのいつだっけかなって話になったんだよ」
「いつだっけ?」
思いかえせば、ここ最近は浜凪や姫香ちゃん、ワコちゃんたちと遊んでて三葉と行動した記憶がない。
それに加えて、中間テストの後から浜凪と道場で武器の扱い方から体力づくりをしていたせいで一緒に登校もしていない。
数えてみると、一か月ぐらい三葉と会っていなかった。
「だいぶ、時間経ってた……」
それに気づいたとき、タオルを持つ手が止まる。
記憶が混ざったあと、再会したときに泣きそうになっていた三葉の顔を思い出すと胸が痛い。
ちょっと放っておき過ぎたという罪悪感も芽生えてくる。
「姉ちゃんさ、鍛えるのもいいけど三葉ちゃんにも構ってあげな。慕ってくれる後輩少ないんだから」
「うん。今からメール送っておく」
大鎌を髪飾りに戻して着けると、携帯のキーを操作して「明日、一緒に登校しよ」と短いメッセージを送る。
その後、三分と待たずに「了解っす! 迎えに行きます!!」と顔は見えないけど嬉しそうな返事が返ってきてホッとした。
とりあえず一安心。
「そういえば最近さ。多目的棟で心霊現象が起きてるらしくて、三葉ちゃんが行きたいって言ってたよ」
携帯の画面を見て落ち着いたのもつかの間。
ニマニマと笑いながら真理夏は漫画で口を隠しながら言った。
「えぇ、オバケ嫌なんだけど」
コトのときから、ボクはゴーストが苦手だ。
剣も打撃も当たらず、聖なる祈りや魔法の加護が無いと倒せない。しかも消える寸前で呪いをかけてくる。
あと、死者ってところがなんか全体的に受け付けない。
「知ってるよ。だけどさ、可愛い後輩のためじゃん」
「ちなみにどんな心霊現象?」
「物理室に置いてある鏡に映った自分の姿が勝手に動くってやつらしいよ」
「鏡ね」
急に背後から…とかのビックリ系じゃないのはいい。
でもそれ、後から呪われる系では?
直接しかけてこないやつが一番厄介だったりするんだよ。
「真理夏は行くの?」
「行かないよ」
ページをめくる手を止めて、何を当たり前のことを? という顔で返された。
真理夏もホラー系ダメなの知ってるんだぞ、裏切者め。
「ちょ、ちょっと。前みたいに付与魔法かけに来てよ!」
「今の私じゃ使えないんだってば! ていうか出てこない相手にそんな攻撃通用しないし!」
「じゃあ、付いてくるだけでも」
「やだよ。みんな呪われて解呪出来ませんとかになったら困るし」
「解呪も出来ないなら、付いてきても問題ないじゃん!」
「じゃあ今から、解呪の魔法覚えてくる!」
「前にその魔導書持ってないって言ってたよね。どうやって覚えるの?」
ボクは大鎌を、真理夏は読んでいた漫画を置いて、付いてくるこないの言い争いに発展してしまう。
お互いに苦手なものなので、言い合っているうちに熱が上がって、声も大きくなる。
「ちょっとー。静かにしてくれるー?」
「「ごめんなさい」」
下の階からお母さんの抗議が入ったので、声のトーンを落として静かに口論続行。
「大丈夫だって、行くの三葉ちゃんだけじゃないみたいだし」
「でも呪いが……」
「呪われた子がいるなんて、わたし言ってないんだけど」
「じゃあ付いてきて」
「やだ」
否定のときだけいつもの声のボリュームだった。
ほんと、しょうがない子だよ。
◇ ◇ ◇
そして次の日の朝。三葉はいつもより早く家に来た。
早く着きすぎたので真理夏の部屋に行こうとしたら追い出されたので、ボクの部屋でくつろいでいる。
「久しぶりの先輩の部屋っす!」
「登校の準備するからちょっと待っててね」
「はいっす!」
着替える必要があったけど、三葉だから別にいいかと思ってパジャマを脱ぐ。
男性であるコトと混ざった副作用みたいなもので、ボクは同性の前で着替えるのが恥ずかしい。見るのも見られるのもダメだ。
以前から体育の授業のときは更衣室の端っこで着替えるタイプだったんだけど、今は壁に向かって極力視界に何も入れずに着替えないと顔が真っ赤になってしまう。
浜凪とのトレーニング後にシャワーを借りてるけど、それも無心で済ます。
真理夏とか年下なら大丈夫なんだけど、意識しないからかな?
「桐子先輩」
「なぁに?」
「胸大きくなってません?」
突然の発言に思わず、片腕でブラジャーを隠す。油断した。
まさか、三葉にそんなこと言われるとは思ってなかった。
「えぇ!? どこ見てんの?」
「いや、胸っすよ」
「二度も言わなくていい!」
「やっぱり、鍛えてるからっすかね?」
意識すると三葉の視線がボクの胸部に注がれてるのが分かってしまう。
邪な気持ちじゃなくて、ただの興味なのに、恥ずかしがるのはちょっと変かな?
「運動してなくて脂肪がついただけじゃないかな」
「その割にはお腹プニってないっすよ」
「こら、つつかない!」
三葉はそばに来て、ボクのへその辺りを人差し指でつついて回る。
ちょっと恥ずかし過ぎるのでやめてほしいな~。
これ以上の追撃は回避しようと手早く制服を着てしまうことにした。
「桐子先輩は成長性ありっすね。いいなー」
「三葉もあるんじゃないの?」
ボクはそういうのちょっと分からないけど
「私はちょっと……。あとマリも」
「三葉ちゃん、それは聞き捨てならないよ!」
ちょうど準備が出来たのか真理夏が部屋のドアを開け放って大きな声を出す。
真理夏、胸のことコンプレックスだからな。
怒られそうだけど、マリーのときも小さめだったし。
「姉ちゃんが大きくなるなら、私も大きくなる可能性はあるんだよ!」
「だから、ドアはノックしてよ!」
朝から声を出したせいで疲れながらも登校はしないといけない。
道中、浜凪も迎えに行って久しぶりに四人で通学路を歩くとなんだか懐かしい気持ちになってきた。
「えへへ、なんか気分がいいっす」
「こっちは最悪手前なんですけど」
「なにがあったの?」
嬉しそうな三葉とは対になるように不機嫌な真理夏。
さっきの出来事をまだ根に持っているようだ。
「三葉が真理夏の前で胸の話したの」
「ああ、マリってペタン子だもんね」
「ちょっとはあるんだけど!!」
浜凪のデリカシーのない発言が真理夏の火に油を注いだ。
イライラしているときの真理夏は、普段の落ち着いた雰囲気がどこかに吹き飛んでところかまわず噛みつく。
この状態になるとめんどくさいんだよな。
「そんなことより、久しぶりに四人登校だね」
「そんなことよりって言うな!」
「まぁまぁ、真理夏おちついて」
「姉ちゃんは無い奴の気持ちなんか分かんないから平気でいられるんだ…」
真理夏は肩を下げて、今度はしょぼんとしてしまう。
前世とはいえ、歴戦の魔法使いもこうなるとただの女の子だ。頭を撫でて慰めておこう。
「浜凪先輩と桐子先輩って最近忙しかったじゃないっすか? 何やってたんすか?」
「えっと、ランニングしたり。木刀で素振りしたり、筋トレしたりしてる」
「運動部みたいなことやってるんすね」
三葉の質問に浜凪が日々のトレーニングを思い出しながら答えていくが、やっていることはほぼ剣道部だ。
実はそのトレーニング内容に浜凪が一方的に木刀で攻撃してくるのをよけ続けたり、ブリージアの機能の試運転とかが入ってるんだけど。
「誘ってなかったけど、三葉もやる?」
「いいんすか?」
それはいろいろとマズいかもしない。浜凪に近づき、耳打ちする。
「(ちょっと、三葉にバレちゃう)」
「(いいんじゃない?)」
きらきらと目を輝かせている三葉を見ると心が揺らぐ。
確かに秘密にしてるのはちょっと棘が残ってたし、これからもトレーニングは続けたいからもう秘密を打ち明けちゃってもいいのかもしれないけど…。
「真理夏はどう?」
「勝手にすれば」
すんとした表情で真理夏は言った。
イライラが続いているのかちょっと投げ槍になってない? いいの?
「なんの話っすか?」
「あー、後で言うから。ちょっと待ってて」
『もったいぶりますね』
「ごめんて、あれ? 話し方変えた?」
「そう、一瞬だけそんな気分だったんす!」
三葉は口を押えて、苦笑いを浮かべた。
たしかに三葉の声だったけど、なんか三葉っぽくなかったんだよね。
なんでだろ?
「そういえば三葉。心霊現象見に行きたいんだって?」
「え、付いてきてくれるんすか?」
「うーん。まだ気乗りしないけど、行ってもいいかなって」
『じゃあ、今日の放課後にでもどうっすか?』
「早くない?」
『善は急げっすよ』
「いや別にいいことじゃないしなぁ…」
急に押しが強くなった気がするな。そんなに行きたいのか。
いや、でもなぁ……。オバケ嫌なんだよなぁ。
「いいじゃん、行けば」
「浜凪、オバケ大丈夫だっけ?」
「そこそこ」
「戦える?」
「向こうに意識があれば、降参するまで斬りつけるつもりだけど」
「頼りになるよ」
言ってることは結構怖いけど。
最近で一番、浜凪がすごいと思った瞬間だった。
「真理夏さん、三葉さん、おはようございます!」
中等部校舎と高等部校舎の境目に着くと、褐色の肌に白い髪を乗せた背の低い少女が立っていた。
真理夏と三葉を呼んでいるってことは二人の同級生かな。
「スガラちゃん、おはよ」
「おはようっす!」
「真理夏さん。今日はいつもよりも距離が近いのですが、どうかしましたか?」
「いや、私にはスガラちゃんしか仲間がいないと、朝思い知ったんだ」
スガラちゃんと呼ばれた少女の後ろに真理夏は隠れるように引っ付く。
その意味は胸部を見て理解する。
まだ怨みが晴れないか。
「三葉さんの後ろにいらっしゃるのは件のお姉さんたちですか?」
「ん、そうそう。そっちのおっぱい大きいのがうちの姉ちゃんで、そこそこのが浜凪ちゃん」
「真理夏、へんな紹介しないでよ!」
「そこそこね」
真理夏の挑発的な紹介で回りの視線を気にしてしまう。
男子生徒も結構いるじゃん。やだなぁ。
ていうかちょっと浜凪も気にしてない?
「初めまして、真理夏さんと三葉さんのクラスメイトの土田 スガラと申します」
「ボクは結舞 桐子。スガラちゃん、真理夏と三葉をよろしくね」
「朝木 浜凪だよ。マリの苦手な物なんでも教えてあげよう」
「っく、浜凪ちゃん卑怯だよ」
「仕掛けたのはそっちからだけど?」
スガラちゃんを挟んで真理夏と浜凪のにらみ合いが始まる。
普段は浜凪から仕掛けてるけど、こればっかりは真理夏が悪いよ。
スガラちゃんはそんな二人を無視しつつ三葉と会話を始める。
「想像よりもちゃんとしていました」
「私たちと一緒にいますしね」
「何の話?」
「真理夏さんたちから、桐子さんは初対面の人と話すときにビビりだから面白いと伺っていたのです」
スガラちゃんは淡々とそのときのことを教えてくれた。
二人ともなんて説明してるんだよ。
確かに初対面の人は苦手だけどさ。
「あ、確かにならなかった。人馴れしてきたのかな?」
「いや、そういえば先輩って小さい子にはお姉さんオーラ出すから平気だった説があるっす」
「確かに私は小さいですが。土で盛っておいた方が良かったかもしれません」
スガラちゃんは首をかしげながら、小さな手で体をペタペタと触る。
その動きが小さい子みたいで可愛らしい。
「土を盛る?」
「私は人の身ではありますが、ハーフゴーレムでして。土を纏ったり操ったりできるのです」
「スガラちゃんはそれでお母さんのお手伝いもやってるんすよね」
「はい。あとはお母さんがベッドで寝ようとしないときも重宝しています」
力こぶさえ浮き上がらない褐色の腕を見せてスガラちゃんは笑った。
お母さん想いなんだな。ていうか土田ってことはこの子もしかして。
「スガラちゃんのお母さんってサハナ先生?」
「そうっすよ」
「はい。いろいろと混ぜるのが趣味の変人ならば、それがうちのお母さんです」
「あー。じゃあ合ってる」
サハナ先生といえば、前にワコちゃんに付いていって、事故ブレンドした飲み物をマズそうに飲んでいた姿を思い出した。
スガラちゃんも結構キツめに言ってるし、そこは好まれてないのかな。
話し込んでいると、予鈴のチャイムが校舎に響いた。
「まずい、走らないと教室まで間に合わないやつじゃん」
「では、私たちも失礼します。桐子さん、またゆっくりお話ししましょう」
「またね、スガラちゃん! 浜凪走るよ」
「オッケー! マリ、今日うち寄ってきなよ」
「ふん、受けて立つよ」
なんか、真理夏と浜凪は変なスイッチ入ったまんまだな。
待った、今日の放課後はマズくない?
『桐子さん。放課後待ってます』
「え、うん」
教室へ向かおうと走るボクの背中に向けて、その声は投げかけられた。
丁寧なんだけど、スガラちゃんとは違って悪戯っぽい。くすくすと笑っているようなイメージすら浮かんできそうだった。
三葉に確認したかったけど、時間はそれを許してくれない。
◇ ◇ ◇
放課後は、早々に教室を立ち去ろうとした浜凪の鞄を掴むところから始まった。
そんなに真理夏に挑発されたのが嫌だったのか、抵抗する力が強い。
「はまな‼」
「ごめん桐子、私行かないと」
「そんなの後日でいいじゃん!」
浜凪は首を振って、ボクの肩を優しく叩いた。
「マリが売った喧嘩だから逃げないうちにやっつけておかないと」
「やっつけるなら真理夏よりオバケをやっつけてよ」
「そっちは三葉となんとかしてきて」
「えー」
「じゃあ、また明日」
浜凪はボクの制服に左手を入れると、人差し指で脇腹から這うように撫で上げた。
ちょっと気持ちいいのとゾワっとした感覚が同時に来て、鞄を掴む手が緩んでしまう。
「ひゃん!」
「あとよろしくー」
ボクという枷を無力化した隙を逃さず、浜凪は風のように教室から去っていった。
逃げられてしまってはもう追いつけないので、この後どう切り抜けるか悩んでいると周りの視線がこちらに向いてるのに気がつく。
普段とは違う声を出したので注目の的になってしまったようだ。
「あ、あはは。みんなまたねー」
こみ上げてくる恥ずかしさに押しつぶされそうになったので、ボクも軽い挨拶を済ませて教室からそそくさと撤退する。
浜凪め、明日覚えておけよ!
なんとか視線から逃れようと教室を出ると、三葉がこちらに手を振ってやって来た。
真理夏が一緒にいないってことはあの二人、本当に帰ったな。
「桐子先輩、顔真っ赤にしてどうしたんすか?」
「三葉、迎えにきてくれたの?」
「誘ったの私なんで、それに桐子先輩と一緒にいられると思うと時間が惜しくて」
「三葉!」
寂しさからか、感動からか、人目も気にせず廊下で三葉を抱きしめた。
ボクを置き去りにしたあの二人よりずっと良い子だぁ!
こんなに優しい後輩を放置してたなんて、ボクはなんてことをしていたんだろう。
これからはもっと接してあげないと。
「嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいっす……」
「あ、ごめん」
「場所変えましょう、例の心霊現象の現場の近くまで行っておきません?」
「う、うん」
「ところで三葉」
「はい?」
「怖いの大丈夫?」
「大丈夫っすよ。こういうのって大抵は妖怪族の悪戯っすから」
少し遠回りをしながら多目的棟まで足を運ぶと違和感に気づいた。
人に全然すれ違わないのだ。
確かにこっちは部室も少ないし、授業も終わっているから用事のない生徒は近づかないけど。
それにしたって人がいなさすぎる気がする。
「みんな、噂につられて来てるものだと思ったのに」
「まぁ、実際に行ってみたがる人は少数派なんじゃないっすか?」
「三葉が行きたいって言わなかったら、ボクは行かない側に居たよ」
「でも、付いてきてくれる桐子先輩、私は大好きっすよ!」
今日の三葉は本当に可愛いな。
素直に気持ちを伝えられるってすごい事だけど、どうして受け取る側は恥ずかしくなってしまうんだろうか?
本当は浜凪みたいに逃げ帰ってしまいたいけど。
そうすると三葉を裏切るし、一人にしてしまうので逃げることもできない。覚悟決めようか。
「お邪魔しまーす」
「暗いっすね」
物理室に入るとカーテンで遮光されていて、影も溶け込んでしまうほどに薄暗く不気味さを出していた。
「これが噂の鏡?」
「みたいっすね」
鏡は縦長の姿見で、ボクと三葉の全体をはっきりと映し出すくらいのサイズで物理室の後方に鎮座していた。
どういう用途で授業に使われるのか不明なくらい大きい。
鏡に向かってみたものの虚像の自分たちが動き出す様子はなく。
不気味さからくる嫌なかんじだけがまとわりついてくる。
「ところでさ、これって時間制限あったりする?」
「分かんないっす」
鏡の前でずっと棒立ちというのも変だし、異変もないならもう帰ってしまいたい。
「こういうのって帰ろうとしたら起こったりするよね」
『怖いの苦手なのにいいところ突きますね』
「!」
「誰っすか?」
「今の声、三葉じゃないの?」
「私じゃないっす!」
『こっちですよ』
三葉の声は横から聞こえるのが普通なはずなのに、今の声は教壇側から聞こえてきた。
明らかに異質だ。
「み、三葉はそのまま鏡見てて」
「桐子先輩は?」
「黒板の方見てくる」
本当は怖いけど、後輩に全部任せるなんてボクにはできない。
胸のところを手のひらでポンポンと叩きながら、ふぅっと息を吐いた。
さぁ、行こうか。
「三葉?」
「はい?」
「いや、もう一人のほう」
後ろを振り向くと鏡には映らないところに彼女はいた。
銀色でボブカットに切りそろえた髪型も、動きやすく外に出しっぱなしのワイシャツも背格好も同じ。
ボクの右隣にいる三葉と全く同じ存在が物理室の出入り口に背中を預けて手を振っている。
「どういうことっすか?」
『見えてないけど、こんにちは三葉。あたしはあなたの影ですよ』
「え、もう一人私がいるんすか!?」
「そうなんだよ」
「見たいっす!」
『あ、振り向かないでね。目が合うと何が起こるか分からないから』
流石の三葉もそう言われては振り返れないが、見たい気持ちが抑えられず鏡の前で首を動かしている。
曲げられるギリギリまで首を捻り始めたので、止めに入ろうか。
「ほら、首痛めるからやめなさい」
「でも、私の分身が」
『分身というかドッペルゲンガーですね。見たら死ぬって噂されてます』
「死!?」
見たら死ぬと言われて三葉はすぐに目をつぶって、両手で顔を覆った。
これでとりあえず三葉はノータッチで大丈夫。
あとはもう一人のほうか。
『さすがはあたし、素早くて賢明な判断ですね』
「ねぇ、ドッペルゲンガーちゃん」
『はい』
「どうしたら帰ってくれる?」
答えてくれるか分からないけど、ここはシンプルに聞いてみた。
見た感じ実体があるタイプだけど、影だというのならなんとかする方法もあるだろう。
最悪の場合、ブリージアを変形させて短剣か大鎌で威嚇するか、番傘で目くらましして三葉と逃げる。
『……ふふ』
『あはは、どうしたら帰ってくれるですか。ドッペルゲンガーにそんなこと聞いちゃいます?』
ドッペルゲンガーちゃんは一瞬ポカンとした顔をして固まっていたが、ボクが言ったことを理解して笑い始めた。
なんか話し方も違うし、性格も三葉っぽくなくてガワだけ借りてるかんじがするな。
もしかして話が通じるタイプ?
「だって、三葉を死なせたくないし。できれば穏便に済ませたいんだ」
「桐子先輩!」
『穏便にですか、浜凪さんならまだしも桐子さんじゃあ戦いになりませんもんね』
「っく」
「たしかに先輩じゃ勝ち目ないっす」
「三葉、思ってても言わないの!」
急な三葉の手のひら返しに思わずツッコんでしまう。
ドッペルゲンガーちゃんは荒事になっても負けることはないと言わんばかりに胸を張った。
隠し武器のことは知らないだろうけど、それでも身体能力が三葉の生き写しだから勝ち目はないかな……。
『でも面白いので、あたしを満足させてくれたら考えてあげてもいいですよ』
「ほんと!」
「先輩、何するか聞いてから喜んだ方がいいっすよ」
「そうだった」
内容も聞かずに喜ぶなんて、だいぶ疲れてきてるな。
でも、無茶苦茶なことじゃなければ大丈夫だよね。
「何をすればいいの?」
『桐子さん、鬼ごっこしましょう』
「「はい?」」
こうして、ボクとドッペルゲンガーちゃんの三葉を賭けた危険な遊びが始まったのだった。
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