第26話 甘い時間をあなたと


 ここは日中でも店内が夜のように暗いことで有名な喫茶店Muthukiむつき。私、日向 沙良は小さなテーブル席で温かいコーヒーを啜りながら人を待っている。

「今日はどれくらい待つかな?」

 時間にルーズな人なので、容赦無く一時間早い時間を指定したのに彼女はいなかった。ちなみに私はここに本来の予定時間から十分前に到着して、今は二十分経過している。

 待ち合わせ相手の先輩には「あたしが遅れたら奢ってあげるよ!」と昔から言われては伝票を奪い支払いをしている私だが、今回は久しぶりの再会だし、お言葉に甘えさせてもらおうかな。

「うん、奢らせよう」

「すみません、季節のフルーツタルトを一つ」

「かしこまりました!」

 先ほど『今日は先輩のお金でケーキパラダイスですね、先に楽しんでます。バイキングじゃないですよ?』とゾッとするメールを送っておいたのだが、携帯のメッセージボックスには連絡が来ていない。日曜の昼下がりなのにあの人は何をやっているんだろうか、寝ていなければもう家は出ていると思うけど……。

 到着したフルーツタルトの先端部分を口に含んだ頃、携帯が二度震えた。

『ごめんなさい』

『ねてました。いまでましう』

 急いで打ったのだろう、二通目のメッセージは予測変換も間に合わずに送られてきた。

 キウイフルーツとタルト生地を味わいながら、なんと返信しようかと考えた結果、こちらも端的に答えることにする。

『ギルティ』

「さて、後は待つだけ……」

「すみません、ショコラズコットとアイスコーヒーを一つづつ」

「かしこまりました」

 先輩の家はMuthukiのある商店街から近いが、外は五月の半ばとはいえ気温が夏手前ぐらいまで上がっているので、冷却の準備はしておこう。

「はぁはぁ、うぇ……」

 注文したアイスコーヒーより先に白いワンピースを着た少女が到着した。汗で銀色の髪が顔に張りついていて、トレードマークの純白のベールもしっとりしている。

 正確には少女に見えるだけで立葵 銀佳先輩は私の一つ年上だけど。

 先輩は席に座るとワンラウンド終えた後のボクサーのように下を向いて息を整え始めた。

「お久しぶりです。先輩」

「うん、久しぶり。ごめんね、遅れちゃって……」

「大丈夫です、慣れてるので。ところでハンカチ使います?」

「ありがと」

「た、体力が無さすぎてここまで走っただけでツラい」

「部屋に引きこもってるからですよ」

 先輩が私から受け取ったハンカチで顔を拭いていると、海藻のように張りついていた髪が離れて幼い顔が露わになる。

 童顔というか、先輩は吸血鬼の特性で外見が高校生で止まっている。端から見れば、私たちは教師と生徒の面談のように見えているだろう。

「沙良、どうしたの?」

 汗の始末を終えた先輩がこちらを見ている。出会った頃から髪型は変わったが、それ以外はあまり変化のない外見に時の悪戯を感じた。

「いや、先輩が制服着ててもキツいって言われないんだろうなって」

「おいっ!?」

「凄んでも可愛いだけですよ、銀佳さん」

「うー、バカにしやがって。ハンカチは洗って帰す」

「そうしてください」

 先輩は見た目のことを気にしているので少しかわいそうだけど、むくれる姿は年ごろの女の子みたいで可愛い。

 腕を組んで不機嫌な先輩をなだめていると店員さんが注文したケーキとコーヒーを持ってきてくれた。これで機嫌を直してくれるといいんだけど。

「お待たせしました。アイスコーヒーとショコラズコットでございます」

「ありがとうございます。はい、先輩どうぞ」

「私の好きなの頼んでおいてくれたんだ!」

「ええ」

 先輩はアイスコーヒーにミルクを垂らすと混ぜずにストローで吸った。一口目はそのままで、その後混ぜるのが先輩のこだわりだ。

「あー、冷たくて美味しい!」

「機嫌直りました?」

「上手く操られてる気がするけど、直ったよ」

 先輩は肩肘をつきながら、カラカラとグラスの氷をかき回して言う。

「ところで、今日はなんの用?」

「先輩がぜんぜん外に出てないって姫香さんに聞いたもので、思い出話のついでに」

「姪っ子に売られたか……」

「心配されてるんですよ。いい家族じゃないですか」

「姫香も陽花もあたしにはもったいないぐらいだ」

「なら釣り合うように自分を引き上げてください。このままいくと、三姉妹の三番目って言われそうじゃないですか」

 既に姪っ子二人に身長は抜かれてしまっているし、見た目は女子高生なので手遅れかもしないけど。

「それは嫌だ」

「ベール持ってるのに外出ない先輩が悪いと思いますよ、なんなら浮島学園に転入でもします?」

「あたしから尊厳すらも奪うつもり?」

 両手を前に出したまま、青ざめた顔で拒否されたのでイジるのはここまでにしておこう。

「あんなに優しかった後輩はいったい何処へ……」

「あんまり変わってないと思うんですがね」

「えぇ、違うって、例えば」

『先輩、中学生の制服着ても全然大丈夫ですね』

『なんでこんなにだらしないんですか、これじゃ私のほうが先輩みたいですよ』

『銀佳ちゃん、お姉ちゃんが守ってあげるからね』

「……」

 何を思い出したのか知らないが、先輩はムスッとして、手を付けていなかったショコラズコットを大きく切り分けて頬張り、数回もぐもぐしたあと飲み込んだ。

「確かに変わってないわ」

「でしょう?」

「そういえば先輩、新刊おめでとうございます」

「沙良に言われると恥ずかしいな」

「主人公のモデルがバレてるからですか?」

「……そうだよ」

 先輩は顔を赤くしてアイスコーヒーを少し口に含んだ。小説家である先輩の書く吸血姫シリーズの主人公は実は先輩自身がモデルになっている。本人は秘密にしたいらしいが、親交のある人だったらとっくに気付いているだろう。

「でも、魔法使いのモデルは沙良だからな」

「えっ」

「顔赤くなってきたけど、知らなかったの?」

 優位に立っていたと慢心していたら不意のカウンターを喰らった。

 吸血姫を助け、ときにイジる。あの魔法使いの少女のモデルが私!?

「分からなかったです……」

「いや、あれ、まんま沙良じゃん」

「意外と自分がモデルのキャラクターって分からないものですね」

 顔の熱が引かないのでコーヒーを口に含む。アイスコーヒーほどではないが、先輩と話しているうちに冷めたので少しは熱冷ましになるだろう。

「そういえばさ、沙良が自分の毒で弱って頼ってきたことあったじゃん。あれ可愛かったなー」

「……あのときはまだ未熟だったんです」

 フルーツタルトも食べておこうと思ってフォークを手に取ると、心を落ちつかせる間もなく、優位に立った先輩が攻め込んでくる。

「そのとき、沙良なんて言ったか覚えてる?」

 あのころの私はいろいろあって故郷を離れ、三葉の家に居候して学校に通っていたが、毒を使う生徒は珍しく、そして怖がられた。そんな私に普通に接してくれたのが銀佳先輩だった。

 ある日、下校中に軽い麻痺毒で体の自由が効かなくなった。今より毒の耐性が無く、まぜこぜさんに手袋を作ってもらう前で毒の制御も毒についての知識も未熟だった私はついに終わりだと勘違いし、重い体を引きずって銀佳先輩の家に向かった。

 最後に会いたい想いでなんとか先輩の家にたどり着くと、最後の力を振り絞って先輩に抱きついた。そのときに言った言葉は……。

「先輩、大好きでした」

「正解!」

「忘れるわけないじゃないですか、黒歴史なんですから」

 恥ずかしい話だけど、これは今も私と銀佳先輩を結ぶ大切な思い出。大好きって言ったのも本心だし…。

「あの後、あたしにも毒が回ってて、次の日は二人して学校休んだもんな」

「三葉もお姉が死んじゃう!って騒いで大変でしたね」

「そういえば、三葉ちゃん元気?」

「ちょっと待ってくださいね」

 話を遮って、先ほど食べるのを中断したフルーツタルトを小さく切って口に入れた。ブルーベリーの酸味が楽しい時間にスパイスをくれる。

「元気ですよ。八実もそろそろ出てこれると思います」

「二人で一人の体もそろそろおしまいか、桐子ちゃんたちは知らないんでしょ?」

「あの子、まっすぐなのに自分の種族のことや八実のことは頑なに秘密にしてるみたいなので」

 私の妹分、榛木 三葉の秘密。それは自分の中に双子の妹である八実を隠していること。

「あと、影に関係してる魔族なので、先輩の家にお世話になるかもしれません」

「そのときは任せな! 部屋は余ってるから二人でも三人でも面倒見るよ」

「先輩の面倒を見ることになりそうですがお願いします」

「それ、ありだな」

 先輩は顎に手を当ててにやりと笑う。今のうちに姫香さんに根回ししておこうかしら。

「ケーキもう一つ食べる?」

「いいんですか?」

「テストの採点大変だったでしょ? 労ってあげる」

 中間テストのことなんて言っていないのに見抜かれてたか。先輩は子どもっぽく笑っているが、そこには大人っぽさも確かにあった。

「先輩には敵いませんね、じゃあこのストロベリーパフェを」

「高けぇやつじゃんか、それ!」

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