六 清澄
ハーゲルとアイリスが教会に戻ると、レイン、スオウ、ローゼン、ブルーデジアが正堂で頭を突き合わせて作業していた。
近付いて見てみると、全員でしめ縄を編んでいるようで、ブルーデジアだけは独自に縄を結んだりほどいたりして遊んでいた。
いつもならそろそろ誰かが気付いてハーゲルに飛び付いてくる頃なのだが、皆余程集中しているのか、気付かず黙々と手を動かし続けている。
ハーゲルとアイリスはその様子に顔を見合せると、そっと彼らに混じって座り、縄を編み始めた。
☔☔☔☔☔
次の日の早朝、出来上がった特大のしめ縄を抱えて、ハーゲル、レイン、スオウの三人はひっそりと森へ向かった。
早朝の森は朝露が降っていて肌寒かった。レインは堪らず、羽織ってきた
ハーゲルが物憂げに森を見渡すと言った。
「若い木々は、やはりほとんど流されてしまったんだね」
「嵐の時点で土台がまだ未熟だったものは流されてしまったでしょうね。残念だ。時期が違えばもう少し残ったでしょうが」
「仕方がないね」
ハーゲルは首を降って立ち止まり、老齢の大きな木を見上げた。
「彼らにはもう少し頑張って貰うしかない」
ハーゲルが目を逸らして再び歩き出すと、レインは地面に溜まった水を、音を立てないように蹴り上げた。
水が四方八方に飛び散り、老木に降り掛かる。
乾燥してパキパキと音を立てていた木皮が、その水を一瞬にして飲み込み、若々しく潤う。
しかし直ぐに吐き出してしまった。
「……」
レインはそれを見て一瞬目をすがめたが、直ぐに思い直して歩き出した。
普段なら踏み入ることのない森の奥まで至った頃。不意にスオウが呟いた。
「――滝の音」
「うん。そろそろだね」
ハーゲルの言うそろそろとは、雨境のことだろう。そろそろ雨境が近いのだ。
ハーゲルが振り返ってレインを見たので、レインは頷いて、持っていたしめ縄の一端スオウのほうに押し込み、持ってきた傘を広げた。
三人は余裕で入りそうな大きな傘だったが、レインはそれをハーゲルとレインの間に掲げて持った。
「レイン……」
「大丈夫です」
「まだ何も言ってないし、大丈夫じゃないと思うけどな……」
「大丈夫です」
二人が押し問答を繰り返していると、スオウは傘を不思議そうに見上げて訊いた。
「何の話です? 雨が降らないこの森で、また何で急に傘を差し――」
突如、スオウの言葉が轟音に遮られた。
のみならず、レインたちの視界からスオウの姿が消えた。
まるで滝の中に入ってしまったかのように降り注ぐ水。叩きつける水。視界いっぱいの水だった。
レインは轟音の中で何か言っているハーゲルの腰を抱いて、傘の中心に目一杯引き寄せた。
20歩ほど進むと、視界が開けて再び森に出る。
傘を閉じたレインは、ハーゲルが濡れていないか確認しながら訊いた。
「大丈夫ですか?」
「これが大丈夫に見えるかよ……」
レインは振り返りもせずに言った。
「大丈夫なんじゃないですか。無事出られたんですから」
「クソ……」
スオウは取り繕いもせずに汚い言葉を吐く。そこに先ほどまでの好青年的な雰囲気は全く感じられない。
戸惑ったように辺りを見回していたハーゲルは、ついに弱々しく頭を抱えると言った。
「レイン……」
「ハーゲルお兄様、私がわかりますか」
「わかるよ、だけど――君って子は」
困ったように苦笑して、ハーゲルは滝の中からしめ縄を手繰り寄せ始める。レインはスオウから縄の端を掠め取り、ハーゲルに見せた。
「ハーゲルお兄様」
「あれ、落ちてた?」
レインは少し黙って頷いた。
「はい」
「じゃあ、こっち側には来てるのか」
立ち上がったハーゲルは再び周囲を見回して声を張りあげる。
「スオウ!」
「は~い。ここに居ますよ、牧師様」
「スオウ、何処に居るの!」
せっかく手を振って答えたスオウにハーゲルは見向きもしない。
「スオウ!」
「ここに」
レインの背後の気配が近くなった。
「居ますってば」
「戻っておいで!」
森に入っていくハーゲルにレインは仕方なく着いていく。
「スオウ!」
「はい」
スオウが答えているというのに、ハーゲルは一切振り向かない。振り向かないで、スオウを探している。
突然背後から手が伸びてきたのでレインは驚いて立ち止まる。奇妙に真っ白な手だ。
ハーゲルはどんどん先へ行ってしまう。レインはやむを得ず叫んだ。
「ハーゲルお兄様!」
「スオウ、ここは」
「はい」
「この森は」
「ええ」
まるでレインとスオウの声だけ滝に掻き消されてでもいるようだ。
もしくはハーゲルだけ未だに滝の中なのか。
「――危ない」
ハーゲルの声が遠くなっていく。
「ええ」
すぐ背後でスオウは返事をしている。
悲鳴。
「ハーゲルお兄様」
滝の音。
「――悪魔が出る」
そう聞こえた。
ハーゲルの声だ。
「――この森には悪魔が出る。スオウ、戻って来なさい」
スオウはここで返事をしている。
「はい」
レインの背後に立っている。
「悪魔が出る」
「はい」
「悪魔が」
「はい」
「悪魔」
「はい」
返事をしている。
レインは背後に向かって思い切り体当たりすると、即座に声のするほうへと駆け出した。
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