五 祭と儀

「町の完全再生を祝して、パーティーが催されることになった」

 ハーゲルがそう言って配ったチラシには、でかでかと「雨の町復活祭」と書かれていた。

 それを見たブルーデジアが、身体が千切れるのじゃないかという勢いで跳び跳ねる。

「お祭りー!」

 座椅子の上で踊り出した彼女をアイリスとローゼンが下ろそうとするのを横目に、レインは密かに溜め息を吐いた。

 正直、またかと思ってしまう。

 と言うのも約半年前、レインがこの町に辿り着いた日、正にその日にも、「雨の町復興記念祭」なるものが行われていたのだ。

 忘れもしない。薄暗く湿っぽい森を歩いていると突如現れた、ポツポツと輝く橙色の灯り。その中へ突如介入してきた自分を見る彼らの、淀んだ眼。

『――おかしなことを言うな!』

『出ていけ! この町から出ていけ!』

『この悪魔! 出てけよ!』

 ここにきてからの日々が平和すぎて、あの日のことが嘘かに思える。

 しみじみと周りを見回せば、ローゼンがブルーデジアに向けて繰り出した頭突きが、的を外れてレインに向って来ていた。

「……っ」

「あーあー、今のは避けなかったレインが悪いぞ」

「レインちゃん、大丈夫?」

「はい……」

 ブルーデジアがキャッキャと楽しそうに笑う。ここ数日毎日のように外遊びをして上機嫌だ。

 ハーゲルが言う。

「短い期間にこうして天災に襲われたのは初めてのことだからね。水神様の聖心を鎮めることが第一だから、地鎮祭の意も兼ねているらしい」

 せっかく肉体労働を完遂したというのに、早くも大仕事だ。水神の浄化ともなれば牧師ハーゲルの仕事に他ならない。

 レインの隣でチラシを逆さにしたり横にしたりして見ていたスオウは、ハーゲルの言葉に眉を潜めると言う。

「復活祭と地鎮祭を兼ねるんですか? それは少々――おざなりなのでは」

 確かに、例えるなら葬儀と誕生日会を同時にやるようなものだ。意味がわからない。

 レインは長らく見なかったスオウの顔を今日漸く見た。

 町に行く機会が増えたのを利用して、レインは図書館で過去の嵐の際に起きた被害や異変を調べてみた。しかし、人が入れ替わったというようなことはどの文献にも書かれていなかった。

 わかったことと言えば、嵐の起きる頻度が少しずつ狭まっていることと、毎回必ず複数名の行方不明者が出ていることくらいだ。

 考えてみれば、もしもある人物の入れ替わり、すり替わりが起きていたとしても、レインのようにのなら、一人二人が言っていることは誰にも気にされず、文献に残る筈もない。

 結局、何が起きているのかハッキリとはわからないまま、レインはスオウと距離を置いて過ごしていた。

 しかし――。

 スオウと目が合う。

 これは探りを入れる絶好の機会じゃないだろうか。

「半年前の祭りではどうしたんです?」

 スオウは一瞬きょとんとしたようだった。当然だ。あからさまに避けられていたのに、大勢人がいるなかでわざわざ自分を選んで聞いてきたのだから。

 スオウはカランコエに成り代わっているが、カランコエ本人ではない。彼女が居た頃に起きたことを、彼は知らない筈なのだ。

 しかし、スオウは遠慮がちに笑うと、

「お兄様の話を聞いていなかったんですか? 地鎮祭は、この短期間で二回も嵐が来た為に、この土地が穢れてきている可能性を考慮して、例外的に執り行うんです。嵐が来る度やっている訳じゃない」

 ……ボロを出させるつもりが、逆に完膚なきまでに論破されてしまった。

 レインはごまかすように咳払いしてから、「そうじゃなく」と少し強めに言い直した。

「地鎮祭は……を……事前にやることは、出来なかったのですか?」

 噛んだ。

 子どもたちが横で吹き出す。

 ハーゲルは吹き出しはしなかったが、肩が小さく震えていた。

「……それがね、出来なかったんだよ」

 ハーゲルは困ったようにそう言って、陰鬱そうに目を伏せているスオウを見た。

 何だかモヤッとする。

「――例のお偉い人の甥っ子さんが、死んでしまったんです」

「例のお偉い人……?」

 どこかで聞いたフレーズだ。どこだったか。

「ネガレ町長一族のことだよ。そうだね、スオウ」

「そう、ネガレ町長だ。すみません、ふざけてるわけじゃなく、本当に人の名前を覚えるのが苦手なもので」

 スオウが申し訳なさそうに頭をかく。

「全く、何年ここに住んでいるの? 町長の名字くらいは覚えなさい。せめて……そう」

 そこでハーゲルは思い出したように自分を指差して言う。

「私の名前は? わかる?」

「わかりますよ」

「何?」

「牧師様」

「それは名前じゃないよ」

 ハーゲルがおかしそうに笑う。楽しそうだ。

 レインはその会話を聞くともなしに聞きながら眉を潜めた。

 なるほど、ハーゲルが言葉尻を濁す訳だ。ネガレ町長一族の現当主、つまり現在の町長であるドナ・ネガレとハーゲルは幼なじみなのだが、つい最近、旧知の仲であった二人は酷い仲違いをしている。その原因は他でもないレインなのである。

 レインはそのときに見たドナの怒鳴り顔を思い浮かべた。あの顔で「甥っ子が死んだというのに祭など挙げていられるか!」と憤る様が容易に想像出来た。

 それならば、この時期に催し物が押し込められたのも納得がいく。毎日のように行われていた会議では、これについても話されていたのだろう。我田引水も甚だしい。

 (それにしたって酷い妥協案ですが)

 何ならやらないほうが良いのではないかとすら思うが、このことについてはレインは口出し出来ない。それはハーゲルに失礼だし、ドナにレインが何か言うのは逆効果だ。

 考え込んでいるレインの顔をハーゲルが気遣わしげに覗く。

「ごめんね、レインにとっては嫌な話かもしれない……」

「いえ。大丈夫です」

 しかし、何故ハーゲルはこんなに申し訳なさそうにしているのだろう。不思議に思いつつレインは首を横に振る。

 察しの悪いレインに対しどうやら察したらしいスオウが、ハーゲルに向かって首を突き出して言った。

「それで? 牧師様は俺たちに何をご所望で」

「ご所望」

 ハーゲルは、レインたちに何かを頼みたいのか。

 スオウの予想は正解らしく、ハーゲルが「うん」と頷いてレインとスオウを順に見る。

「今回の祭事に当って、私は二つの仕事を任された訳だ。一つは復活祭における雨神様へのご祈祷、二つは地鎮祭におけるリグネットの厄落とし、且つお清め」

 ハーゲルは話しながら曲げた右手の親指と人差し指を見詰めると、残った三本の指をゆっくり曲げたり伸ばしたりして言った。

「そして祭りは三日後」

「そりゃまた急ですね」

 スオウが呑気に言って笑った。ハーゲルも笑っている。

 また、モヤッとした。

 レインは二人の間に割り込むように肩を突き出した。

「三日で用意なんて無理ですよ」

 いくら小さくても、この町は端から端まで五キロ以上はある。たった三日で、一つ一つの家に祭壇や祭具を設置し、お供え物を用意させるのは不可能だ。

 ハーゲルが「それがね」と苦笑して言う。

「今回は被害の起きた範囲が広くて、町全体が建て替えみたいになったからね。ここら一帯を纏めて祓うことになったんだ」

「ここら一帯って――それは何処から何処までですか?」

「雨境の辺りまで」

 唖然とする。スオウが訊いた。

「それだと逆に範囲が広くなって、用意に時間が掛かりませんか?」

 スオウの言う通りだ。雨境までやるとなると、周りを囲む森のほとんどが対象に入る。それだと一層労力は増えるだろう。

 否。

「確かに大々的な作業にはなるけど、これなら町の人たちには負担を掛けず、私たちだけで大方は終わらせられる。加えて、囲む範囲は広くなる一方で、円は一つで済むからね」

 やみくもに大勢の力を借りるより、信用できる少数で済ましたほうが早いこともある。小さいことをいくつも同時にやるより、大きなことひとつに全集中したほうが効率が良かったりする。

 単純で簡素なほうがわかりやすいし、みんな行動に移しやすいのだ。

「それで、みんなにも手伝って欲しいんだ」

「はーい!」

 子どもたちは当然のように了解する。何なら遊び気分で楽しそうだ。

「いいんじゃないですか」

 スオウも二つ返事で了承した。

 しかし、レインは曖昧に首を揺り動かした。

 方針には納得した。

 しかし、それをずぶの素人がやるというのは不安なところだ。

 本来こう言った儀式は、正式に神のご意志を授かるもの――もしくは神職に就いた御仁が、時間を掛けて丁寧に執り行うべきものだ。いくら事前の段取りにあろうと、そう雑にやるのは信仰の怠慢に当たるのでは――。

 怠慢と言えば、そもそも企画からして雑なのである。

 やはりあまり気乗りしない。

 しかし、ハーゲルが掌を合わせて真剣に頼み込むものだから、レインもそう強く断れない。

 結局、はいともいいえとも言えず黙っていると、ハーゲルはそれを肯定と見なしたようだった。

 安心したハーゲルは、少年のようにあどけない笑みを浮かべて言う。

「それじゃあ、レイン、スオウ。早速お願いしたいんだけど……」

 まるで同級生にお願いするような気軽な口調である。レインに対しては仕方ないが、スオウはあくまでな訳で、その態度はおかしい気がする。

 当のハーゲルも言ってから少し不思議そうにしていた。

 杜撰のオンパレードだ。

 レインは目を閉じた。

 今日に限って少々雨脚が強い。雨の町としては万々歳なのだろうが、ことを成すには些か不利な日であった。


       ☔☔☔☔☔


 作業は三班に別れて行われた。

 ハーゲルとアイリスは買い出しとお供え物の交渉をしに町へ、ブルーデジアとローゼンは雨境の位置がずれていないかの確認に森へと出かけて行った。

 残るレインとスオウは、延々としめ縄を編む係を任された。

 森を丸々囲う縄を作るのだ。延々なんてもんじゃない。

 縄を設置するのに掛かる時間を考えると、今日中、遅くて明日の朝までには終わらせたい。

 一時間で編んだ縄は百センチ。

 祭りは三日後。

 早くも嫌になってきた。

やわいですね」

 そんなのはわかっている。

 この縄は百パーセント、リグネット産の木材から出来ているのだ。柔くないわけがない。

「それに、ぬるぬるしてて……」

 それもわかっている。リグネット周囲の森に生える植物は、生育環境上水の吸収率が著しく高い。そのみずみずしさが売りなのだ。

「滑る」

「黙って」

 レインはピシャリと言った。

「――黙って手を動かして下さい」

「レイン。最近なんか冷たくないですか」

 最近も何も知り合ったのはつい最近、しかも話したのはその一度きりだ。

「俺、何かしました?」

「そうですね」

「え、何しました?」

「私の大切な人たちを、騙しています」

 継続中であることを強調する。

「騙している? 俺が?」

「はい」

「誰を?」

 レインは苛々して顔を上げた。

「私の家族を」

 するとスオウは漸く黙って、レインの顔をじっと見詰めた。

 レインも負けじと睨み返す。

 先に目を逸らしたのはレインのほうだった。

「――いいから手を動かして下さい」

 そう言ったものの、見ればスオウの進み具合のほうが速かった。

「適当にやらないで下さい」

 スオウが編んだしめ縄をレインに差し出す。

「俺、こう言うの初めてやるんで、間違ってたら直してくれませんか」

 レインはしめ縄をおずおずと受け取った。一頻り眺めたレインの表情は、微妙なものだった。

 話しながらやっていたというのに、とても綺麗な網目だ。

「どうです」

「…………まあまあです。もう少し丁寧に編んで下さい」

 そう言ってレインは中途半端なしめ縄をスオウに返した。

 何だか言動共に負かされッぱなしである。

 いや、スオウと同じ班に振り分けられた為に集中出来なかっただけだ。その上彼はずっとレインの気を逸らすようなことばかりしていた。レインの作業が進まないのも当然だ。

 悶々と考えながら夢中で縄を編んでいると、突然指先に痛みが走った。しめ縄の尖ったところに擦ってしまったようで、血が出ていた。

 急いで手を縄から退けたが、縄には血の跡が色濃く付いてしまった。

「――」

 彼のせいだ。

 レインの理想とする家族の輪を、こいつが乱すから。

 ――違う。そうではない。

 レインは思い出す。

 

 ――何故私は、こんなに苛立っている?

 レインは立ち上がった。

 (少し、頭を冷やそう)

「すみません、しめ縄が汚れてしまったので、洗って来ます」

 そんなので血がとれるわけがない。適当なところに捨てるつもりだ。

 レインはふらふらとした足取りで、ひとり森へ向かった。


       ☔☔☔☔☔


 青、緑、紺、白。ここの森にしか生えない色とりどりの茸たち。

 触ると弾力があって、ひんやりとした冷たさがある。はねッ返してくる性格は、どこかの誰かの昔を思い出させた。

 ハーゲルはクスリと笑うと、白い茸を指差した。

「この中なら、これ、ですかね」

 店先で唸っていた女性は、これェ? と言ってハーゲルの指差した茸を手に取る。

「白は、昔から神聖な色として崇められてきました。白い動物や白い植物は、神の遣いであるとも云われます」

「へえー。牧師様物知りねぇ、ありがとう」

 ハーゲルは笑顔で立ち去っていく女性に会釈して、リストに目を落とした。

「さて、次の家は……」

 ハーゲルはアイリスと手分けして、家を立て直した家庭に、復活祭とは別にお供え物を用意するように話して回っていた。ある家でお供え物について相談を受けたので、近くにあった店で一緒に選んでいたのだった。

 次の行き先が分かると、ハーゲルはゆったりと歩き出した。

 往来はそこまで人はいないが、通りすぎる人は誰一人として傘をさしていない。

 当然だ。雨は天から降ってくる。つまりは神からの贈り物なのだから。

 とはいえ服の生地には撥水性の高い素材を使っているし、人々は基本は室内で暮らす。それでも一日に一回は必ず外に出て雨に当り、神様の恩恵に感謝する習わしだ。

 ハーゲルは小さい頃、この習わしが大の苦手だった。

 と言うより、ハーゲルの体質に、この風習が遇わなかったのだ。

 そのことで昔はよくからかわれた。

 それだけが原因ではなかったのだが、その時のハーゲルは、体質以外の自分の問題点に気付かなかった。町に来ることが減った今、もう気付くこともないだろう。

 ゆったり歩くのはそのときからの癖だ。

 直ぐに雨が身体に馴染んだ。

 流れるように足が進む。

 雨音の中に見知った声が聞こえた。

 縦縞模様に人の姿が浮かび上がる。

 人は手を挙げた。

「ハーゲル」

 ハーゲルはにこりと笑って挨拶した。

「こんにちは、ピオさん」

「珍しいな、お前が町に来るなんて。お勤めはどうした?」

「嵐のあとで忙しいんです。それに、皆さんが大変なときに、私だけがのんびり祈っている訳には参りませんから」

「お前の仕事は祈ることだろ。のんびりなんて俺は思わないがな――これはお前にしか出来ないんだから」

 ピオはそう言いながらハーゲルの隣に並び歩き出した。

「そうですかね」

 ハーゲルは惚けるように返した。

「私でなくても、祈りたければ祈ればいい」

「そういうもんじゃないだろ。この町の牧師はお前なんだから」

「ええ」

 確かにそうだ。だが、それでも――自分の役割に甘んじて自分がするべきことを模索しないのは、違うと思う。

 ハーゲルは自嘲気味に言った。

「――意外と暇なんですよ。牧師って」

「ははっ。そうなのか?」

「ええ」

「平和ってこったな。良いことじゃあねえか」

「ええ」

 確かに良いことだ。祈るか子どもたちと遊ぶかという二つの選択肢しかない日々は、簡単で穏やかなものだった。

 そんな平和な日々を享受されることに慣れて、甘えて過ぎていたのかもしれない。

 だから、人が流されている正にそのときも、ハーゲルの積み重ねた日々の中で役立てられるものは、「祈る」しかなかったのだ。

 少しして、ピオが思い出したように訊いた。

「お前んとこのガキらは全員無事か?」

「はい」

 ピオは「よかった」と息を吐いた。

 ハーゲルは、彼にアイリスと同い年の息子がいたことを思い出して言った。

「そういえば、ピオさんのお子さんにはよく遊んで貰っているようですね。楽しそうに話してました。これからも仲良くしてくれると嬉しいです」

「あー、それはな」

「はい?」

「死んじまったから」

 ピオは頬を掻いて、それが何でもないことのように言ってのけた。

 こんな重大なことを。

 まるで世間話でもするように。

 直ぐには言葉が出なかった。

「天に召された彼の平安を心からお祈り申し上げます」

 ハーゲルが漸く返すことが出来たのは、ここ数ヶ月で何度も言って、口に馴染むほど言って、使い果たされた言葉だった。

 在り来たりな言葉だった。

 それが今、直ぐに出てこなかったのは、彼が知り合いだからだろうか。

 それでもいい。

 悩もうが悩むまいが、心からの言葉だった。

「ありがとう」

 こちらも常套句のようだった。ハーゲルは首を振った。

 それから会話は途切れた。

 黙って目的地に向かうハーゲルに、ピオは黙々と着いてきた。

 ピオと話すうちに浮き上がってきていた実体が、再び雨に溶かされる感覚がした。

 アイリスたちが悲しむだろうな、と考えたとき、数メートル後方からピオの声がした。

「ここの酒屋」

 彼の見つめる先には何もない。

「流されたんだな」

「はい」

 とっくに知っていたのでハーゲルは容易に頷けたが、ピオからは驚きよりも諦念のほうが強く感じられた。

「一度目の洪水んときは、残ってたのに」

「はい。二度目はさすがに耐えられなかったようです」

「そうか」

 ピオはハーゲルが初めてこれを見たときのように、ぼうっとその光景を見詰めていた。

 その身体は、雨に馴染めずに、見ているだけで痛々しい。

 ハーゲルは引き返してその隣に並ぶと、彼の背中をそっと擦った。

 自分よりずっと大きかった筈のピオの身体が、ハーゲルの腕に納まって小さく震えているのが不思議だった。

 暫くそうして、ふたり雨に打たれていた。

「お前、仕事は?」

 不意に振り向いてそう訊いたピオに、ハーゲルは首を振って言った。

「気にしないで下さい。あなたが落ち着かれるまで一緒にいます」

 それを聞いたピオは急に厳しい顔をして言った。

「ハーゲル。家を子どもだけにして長く出掛けるな。俺はそれで後悔した。お前にもそうなって欲しくない――」

 ハーゲルは一瞬キョトンとして言った。

「子どもだけではないですよ」

「は?」

 予想外だったらしく、ピオは顔をしかめる。

「――お前、子どもだけでなく大人まで拾って養ってるのか?」

「?」

「おいおいハーゲル――それはさすがに、」

 ――まずいだろ。

 ピオに苦虫を噛み潰したような顔で見られたハーゲルは首を傾げて言った。

「何故、子どもはよくて大人は駄目となるのですか?」

 ハーゲルゥ、とピオは呆れたように叫んだ。

「そりゃあ、悪魔が憑いてるかもしれねぇからに決まってンだろぉ!」

「悪魔、ですか」

 それはまた、予想外の単語だった。

 目を真ん丸くして己を見るハーゲルに、ピオも驚いたようだった。

「知らねえのか」

「知りません」

「お前の師匠は教えてくれなかったのか」

「聞いた覚えがないです」

 子どもに悪魔は憑かず、大人に悪魔が憑く。

 それが本当だとして、ハーゲルには何ら問題はないように思える。

 何故なら魔のモノは雨が苦手なのだ。

 だからここに悪魔は来れない。

 この町も、町を囲む広大な森も、余すことなく聖なる雨が降りしきっていて、悪魔の入る余地など文字通りない。

 だからこそ、師は教えなかった、又は教えるのを後回しにしたのではないだろうか。

 そう言ってみたが、ピオは難しい顔を崩さない。

「とにかく、早く仕事終わらせて帰れや」

「わかりました。ですが――」

「俺のことはいいから! それと、俺は明日、この町を出るから」

 突然のことにハーゲルはぽかんとしてから、はっとして聞き返した。

「出る? リグネットから?」

「ああ。今日は挨拶して回ってたんだ」

 そんなにするやつもいないが、と笑いながらハーゲルの肩をぽんと叩き、ピオは身体を離した。

 ハーゲルはピオを見て、かつて酒場だった場所を見て、ピオを見て言った。

「寂しくなります」

 ピオはハーゲルの様子を眺めていたが、そう言われると嬉しそうに目を細めた。

「そんなにか」

「はい」

 実際、ここ数年会っていなかった人たちに会うたび、ハーゲルは懐かしさを感じると共に、また会うことが出来るのだと知って嬉しかった。

 自分のことはとっくに忘れてしまっていると思っていたのに、皆、昔のようにハーゲルを迎えてくれた。

 自然とハーゲルは次にも期待していたのだ。

 多くの人の死で嫌と言うほど締め付けられた胸が、再び締め付けられたように痛む。

 隠そうとしたが、ピオにはお見通しだったようで、彼はハーゲルに再び近付くと、子どもにするようにグリグリと頭を撫で回し始めた。

「なんだなんだぁ、少し見ない間に随分でかくなったと思ったら、真っ当に子どもらしくなりやがってえ」

「や、やめてくださ、」

「いやぁ、よかった。よかったよ」

 ハーゲルが抗議し続けると、暫くして漸くピオはハーゲルから離れた。

 ハーゲルの頭は、びしょ濡れな上ぼさぼさになってしまっていた。滑稽な姿だったが、ハーゲルはしゃんと立つと礼儀よく頭を下げた。

「――お元気で」

「おう、じゃあな」

 ピオと別れてからも暫く、ハーゲルはひとりで酒場の跡地を見詰めていたが、はっとすると急ぎ足で歩き出した。

 綺麗に建て替えられた木造家屋が見られる一方で、よく見れば中途半端に工事が中断されている家もある。

 家主が行方不明で未だがらんどうの家。一緒に流され、更地が剥き出しになった家もある。

 家が在るのに人の気配がしないのは不思議な感覚がした。

 ハーゲルは半年前の嵐の際に約6年ぶりに町を見たが、そのときにはまだ今より活気があった気がする。それともあのときから、ハーゲルがわからなかっただけで

 六年前、ハーゲルは十六歳だ。記憶と照らし合わせるのは難しい。

 人の出入りがほぼないこの町は、基本的に家を子々孫々に受け継いでいく。その人がいないのでは、いくら建て直しても意味がない。

 ハーゲルはリストを改めて確認して扉を叩いた。しかし、いくら待っても返答がない。

 もう一度叩いたが、やはり人の気配はなかった。

 出て行ってしまったのだろう。

 出掛けている可能性もあるのに、何故かそんな気がした。

 リストに載っているので、祭りについての会議があった昨日までは、必ず居たことになる。

 出掛けていた場合のために、一応メモを残して次へ向かう。

 次の家は、ハーゲルが修繕に関わった家だった。人が居て安心したが、供えものの話をすると気不味そうに首を振ったので、もしやと思いつつ言う。

「何か不可解な点がございましたら、遠慮なくお尋ね下さい」

「違うのよ――気味が悪くて」

「気味が――悪い?」

 彼女は顔を伏せて物憂げに首を振ると、扉を閉めてしまった。

 


 そろそろかとアイリスとの待ち合わせ場所に向かうと、既にアイリスが待っていた。木のベンチに腰掛けて足をぶらぶらしている。

「アイリス、お疲れ様」

「ハーゲルお兄様! お勤めご苦労様でした」

 アイリスはニコニコと笑ってハーゲルを迎えてから、彼が手に提げた袋を見て言った。

「買い出し行って来たんですか」

「うん。供物のご相談を受けて色々行くことがあったから、ついでに」

「持ちます」

 アイリスが袋を取ろうとしたのでハーゲルは慌てて避けた。

「大丈夫、君が持つことはないよ。ありがとう」

 しかしアイリスは譲らなかった。ぐいぐいとハーゲルに迫って言う。

「いえ、持ちます」

「ありがとう。でも重たいから」

「大丈夫です。力には自信があります」

「いやいや、あっ」

 アイリスはパッと跳び跳ねると、ハーゲルの手から袋を抜き取った。

 茫然としたハーゲルは、満足そうに歩き出すアイリスの背中を眺めて思わず苦笑する。

 (うちの子たちはみんな優しくて良い子なんだけど、どうしてこうもこうと決めたら頑固なんだろう)

「ハーゲルお兄様? 帰らないんですか?」

 ハーゲルはふっと吹き出すと、ケープを翻して言った。

「勿論」

 追い付き様に優しく頭を撫でると、心地よさげに目を細めたアイリスの空いているほうの手を取る。

「帰るよ」

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