四 親方! 空からトンカチが!

 それから数日は平和な日々が続いた。

 早朝にハーゲルとスオウが町へ出掛けて行くのを見送り、子どもたちが起きるまでの間に正堂の掃除をする。子どもたちが起きてくると皆で正堂の前席に並び朝の祈りを行い、朝食を食べてからは各々ダラダラと過ごした。

 足が回復してきてからは、子どもたちも連れて森へ茸をとりに出掛けた。久々の外に満を持して遊び駆け回る子どもたちを横目に、レインは木の陰や怪しい場所を掘ったり触ったりしていた。

 茸がそれなりに集まったら、町にふらっと足を運んだ。

 ハーゲルはレインたちが来るのを最初こそ憂慮していたが、レインが雨合羽を着用し、目立たないよう注意しているのを見ると緊張を解いて、嬉しげに迎えてくれるようになった。

 祈り、茸を採り、様子を見て手伝い、時機を見て帰る。

 そんな日々が一ヶ月ほど続いた。

 その日もレインたちが町へ行くと、ハーゲルは作業服を着た中年男性と談笑しながら作業していた。

「ハーゲルお兄様ー!」

「ああ、ブルーデジア。今日もお勤めご苦労様」

 最近のブルーデジアの流行りの遊びは、泥や木の枝を使った建築ごっこだ。言うまでもなく、町で見た家の修復作業の影響である。

 得意げに鼻を鳴らすブルーデジアの頭をハーゲルが撫でる。

 直ぐ横でその様子を見ていた男性は、うわっはっはっと豪快に笑うと言った。

「はっはっはっ。あのちびっこ牧師様が子守りとは。本当に成長したもんだ!」

「やめてくださいよ、ラッジャさん」

 ハーゲルは相変わらず困ったように笑う。しかし、今回は本当に心から困っているようだった。

 レインはラッジャの発言が気になって仕方なかったが、目立つ訳にいかず敢えなく黙って彼らを見る。

 ラッジャはハーゲルの嫌がる様子を面白がっているようで、集まって来た子どもたちを見回す顔は正にイヤらしい大人のそれだった。

「いや本当に。お前もこれくらい小さい頃があったんだぞ。覚えてるか?」

「いえ……」

「ハーゲルお兄様も小さかったの?」

「おう。お嬢ちゃん名前は?」

「ブルーデジア。五歳!」

 手を広げて「五歳!」と繰り返したブルーデジアの頭を、ラッジャはグリグリと撫でた。

「そうかそうか、五歳か! デジアは素直で可愛いなぁ! ハーゲルお兄様のこと好きか?」

「大好き!」

「そうかそうか。ハーゲルお兄様にもな、勿論小さい頃があったんだぞ」

「そうなの?」

「お嬢ちゃんみたいな可愛げはなかったけどな。顔だけはそこらの大人よりよっぽど綺麗で――おっと、噂のお兄様が怖い顔で見てるぞ。お前らもっと寄れ! こっそり話してやる」

 直ぐ横にハーゲルが居るのにこっそりも何もないが、ラッジャは全く気にしない様子で手招きした。子どもたちがワッと彼を囲う。

 こういうことはよくあるらしく、他の者たちは呆れ顔でこちらを見ては、苦笑を浮かべて作業に戻っていった。

 レインは離れたところでその様子を見ていたが、暫くすると俯いて、乾いた地面を軽く蹴りだした。

 コツ、コッ、コツ。

「おい! 嬢ちゃん」

 顔を上げる。

 子どもたちは変わらず頭を突き付けて内緒話に興じていた。レインは足元に視線を戻そうとしたが、声は再びした。

「おい! そこの白い嬢ちゃん!」

 レインは頭上を見上げた。

 先ほどラッジャを白い目で見ていた男が、屋根に張り付いた状態で右腕を逆さに伸ばし、レインを見ている。

「取ってくれ!」

 男の視線を追ってみると、レインから数センチの地面にトンカチが落ちていた。

 危ない。あと少しずれていたら頭がかち割られていただろう。レインはトンカチから少し距離をとった。

「おい! 何でだよ取ってくれ!」

「……」

「おい!」

 見回せば他にも人はいるのに、男はレインにばかりしつこく喚き立ててくる。レインはハーゲルの居るほうを気にして渋々トンカチを拾い上げた。

「よし、持って来い」

 レインは家を指差して言った。

「不法侵入になるのでは」

「この状況で不法侵入もクソもねえよ」

 それもそうだ。レインは潔く頷くと「お邪魔します」と誰にともなく言って、扉のない玄関から家に入った。

 中には当然誰もいなかった。机の上に食器が置きっぱなしになっている。壁を見ると穴を板で塞いだ痕跡があった。

 レインはあまりじろじろ見るのも悪いと、視察もそこそこに奥にある階段を上がった。

 二階に行くと窓が開いていたので、顔を出して叫ぶ。

「持って来ました」

「おう。ちょいと待っててくれ」

 少しすると上から固い革製の靴先が現れる。

「引っ掛けてくれ」

 レインは言われるがままにトンカチを男の靴先に引っ掛けた。ゆっくりと足が消えていくのを確認して踵を返すと、「待て」と引き留められる。

「他にも何か落としたんですか」

「いや、違う。お嬢ちゃん、ハーゲルのところのガキンチョだろ。新入りか?」

「……………だとしたら何ですか」

「そんなに警戒しなくていい。昨日も一昨日も子供らと一緒に来てただろ。仲良いのか?」

「はぁ……」

 そんなことを聞くためにわざわざ自分を呼んだのか。レインはげんなりした様子で、溜め息をぼかしたような相槌を打った。

「さっきは何で一人で居たんだ?」

「別に何でもないですよ。作業の邪魔をしたくないので失礼しても良いですか」

「そう急ぐな。ハーゲルは上手くやってるか? 少し話を聞かせてくれ」

 ハーゲルは随分とこの町のおじさんに好かれているらしい。

 レインは少し迷って言った。

「彼に直接聞いては? 下に居ますよ、呼んで来ましょうか?」

「いや、あんたでいい。似てるしな」

 誰に、とは聞かなかった。最後のは独り言のようだったからだ。

「それなら私もお聞かせ頂けますか」

 男は少し迷っているようだった。しかしレインもこの機を逃すつもりはなく、少し下手に出て言う。

「本人の同意なしに言えないことは言わなくて結構ですよ。私も言いません」

「……わかった」

 答えを聞いてレインは窓際に腰をおろした。


       ☔☔☔☔☔


 先ず、ハーゲルを知る者なら誰もが頷くだろう特徴を上げることにした。わかりきったことではあるが、これが彼の話題の提示として一番相応しい。

「彼はいつも笑っています」

 レインがそう言うと、やはりと言うか、男は頷いた。

「そうだな、それは昔っから変わらない」

「そうですか」

 そうだろうとは思っていた。

 例え産まれた瞬間、ハーゲルは産声の代わりに微笑を称えていたのだ、と言われてもレインは信じる。

 レインの常識では、笑顔とは基本的に、楽しかったり面白かったりしたときに一時的に浮かべるものだ。そうでなければ通常は無表情か、そのときの感情に即したものとなる。

 彼の場合は、笑顔が通常だ。

 場合によっては少しまゆを潜めたり、目を見張ったりする。細かいところだが案外分かりやすく、慣れれば容易に彼が悲しんでいるのか驚いているのかの判断をすることが出来る。

 穏やかな感情と表情を常日頃から保っているのは、地でやっているのか、それとも牧師としての意識なのか、レインにはわからない。

 第一印象は大事だとよく言う。

 どちらにしても、レインはハーゲルのそういうところに先ず引かれたのだ。

「彼の生活は穏やかなものです。一日の大半は正堂で祈っていますが、時々外に出て子どもたちと遊んだり、森で茸を採集したりします」

「そうか。いいな」

「はい。幸せそうに過ごしています」

 と言っても表情は変わらないのだが。あくまで感じたことである。

 実際、教会の一日はとてものんびりしている。客は一日に数人来る程度で、勝手に祈って勝手に帰るので、ハーゲルは特にやることもない。掃除や、自分たちの食事を用意するのも直ぐに終わり、一日の大半は暇になる。

 規則的な生活をすればするほど、ハーゲルは時間を持て余すことになっていた。

 よくよく考えれば暢気なものだ。

 レインはふと思いついて男に尋ねた。

「早起きの彼は、毎朝や空いた時間に何をしていると思いますか?」

 男は怪訝そうに答える。

「そりゃあ教会のお清めとか、聖書の黙読とか……ああ、子どもら分の食事も作らにゃ」

「まあ、そうなんですが」

 模範的な答えだ。最後の言葉は何だか嬉しそうに言った男に、レインは冷めた目で頷いた。

 トンカチの音が会話の間を縫うようにに聞こえてくる。

「ぼーっとしているんです」

 トンカチが変な角度で振り下ろされたのか、カキーンと音がした。

「居眠りしていることもあります」

 続けて男が爆笑するのが聞こえた。

「牧師様が居眠りか!」

 レインは耳を塞いだ。年がら年中雑音の中にいるからか、ここの人たちはどうにも声量がおかしい。

 この男といい外に居た男たちといい、ハーゲルを見る目はまるで父親のようだった。

 子どもたちと接するハーゲルを見たとき、暖かくもしんみりとした空気が流れたことから、彼らは牧師としてのハーゲルではなく、一人の人間としてのハーゲルの成長を暖かく見守ってきたのだと思われた。

 レインはそろそろ男が笑いすぎて足を滑らせないか心配になってきた。雨で屋根の上はツルツルしている筈である。

 気を付けるよう声をかけると、男は「ありがとうよ嬢ちゃん」と言い、それからしみじみと溜め息を吐いた。「あれから」

「あいつが牧師になって町に来れなくなってから――ずっと気になってた。久々に来たと思ったら顔色が悪いから俺はてっきり………。数日前、あんたらとハーゲルが和気あいあいと話してるのを見てな、話聞いて安心したよ」

 トンかん、トンかん、音が再開する。心なしかさっきより明るいリズムだ。

「ありがとな、嬢ちゃん」

「……」

 続けて何度も礼を言われたレインは、何とも言い難い気持ちだった。

 話を聞かせてくれと言われたときは首に青筋が浮かぶほど身構えたのだが――たった二言三言交わしただけで、もう彼は満足してしまったらしい。

 それでいいのだろうか。そんなものだろうか。

 レインは向かいの壁を眺めて首をかしげた。何だかモヤモヤとする。

 そんなレインの葛藤など知るよしもない男が懐かしそうに言う。

「そうかぁ、変わらねえなぁ」

「……変わりませんか?」

「ああ。嬢ちゃんの話したまんまだ。いつも笑ってて何考えてるかわからねえが、慣れるとこれまたただのぼんやりしたガキなんだな」

 ただのぼんやりしたガキ……というのは同意しかねるが、彼が親しみを込めて言っているのはわかりきったことなので頷く。

 つまるところ、彼の知っているハーゲルとレインの知っているハーゲルがそう変わらないことに気付いて、彼は興味をなくしたのだ。

 そうわかったところでレインのモヤモヤは晴れない。少し考えて質問してみる。

「彼が牧師になったのっていつ頃なんですか」

「ありゃ六年前だったか。前任の牧師がポックリ死んじまって、必然的に前任の一人息子だったハーゲルが役目を継ぐことになった」

 男は少し声のトーンを落とした。出来るならずっとその感じで話して欲しい。

「当時は嵐の後で町の中がぎすぎすしていて、まだ十五六歳の少年に任せるのかと、随分揉めたもんだよ。葬送式で見たのが最後だったが、あいつは見るからにやつれてた。それでも町の人々を不安にさせまいと、気丈に振る舞ってな――見てるこっちが痛々しかった」

 親の死、または育て親の死というのは、誰もがぶつかる問題だ。それが早くやってくるか遅くやってくるかで、その人の運命も大きく違ってくるだろう。

 (十五歳……か)

 レインにはまだ経験がない。だから衝撃は受けても、ハーゲルに対し同情も哀愁も沸かない。

 ただ想像してみる。今親が死んだら。

 自分は痛々しいほど窶れるだろうか。それでも気丈に振る舞うだろうか。

 ハーゲルが死んだら。

「――ところで」

 思考に集中していたレインの頭に、男の大きな声がストップをかけた。レインは振り向いて尋ねる。

「はい、何でしょう」

「あんたはハーゲルの彼女なのか?」

 レインは目をしばたたかせた。思わず聞き返す。

「え、何です?」

「照れんなよ」

「照れてません。え、いや、何でそうなるんですか?」

 (つい先ほどまで、そんな馬鹿げた話とは全く関係ない話をしていたじゃないですか!)

 レインに理解出来る筈もない。男は、彼女が思考に耽っていた間に、若くして牧師となったハーゲルもそろそろお年頃、一人の男であることに変わりないのだと熱弁していたのだ。

 尚も続く男の熱弁を、レインは因果応報も何もわからず聞く羽目になった。

 その全てが的外れも良いところのオヤジのお節介、ともすれば「俺が若い頃は――」と言った説教を兼ねた自信の若い頃自慢だった。

 レインは訳もわからず目を白黒させた。

 (何? 何を言ってるの?)

 確かに自分も「聞かせて欲しい」とは言ったが、こんな話を聞かせられるとは思いもしなかった。 

 レインは真剣に何とか誤解を解こうと、話の隙を見つけては「違、」「何が」といったふうに反論する。

 しかし男は屋根の修繕の片手間に、ペラペラと話し続ける。

 何なら雨の音より悩ましい雑音に感じた。

 (もしかして、この話がしたくて私を呼んだんじゃないよね)

 レインは知らない。先日ハーゲルがレインを押し倒したのを誰かが見ていて、町中に噂が広まっていたことを。

 結局本当に聞きたかったことも聞けず、端から聞いたら恥ずかしいほどの親馬鹿、いや、おじさん馬鹿を延々と見せ付けられたレインがやっと解放されると、げっそりした顔でハーゲルたちのところへ戻った。

「ハーゲルお兄様……」

「ああ、レイン。どうしたの、何か窶れてるけど」

 そう言ったハーゲルも何処かしょぼんとしている。

 子どもたちはすっかりラッジャに懐いたようで、彼の逞しい手足にぶら下がって楽しんでいた。レインは無意識のうちにハーゲルの身体を眺めて頷いた。なるほど。確かにあれはハーゲルには出来ない。

 ハーゲルがレインの妙な視線に気付いて首を傾げる。細くて白い。

「レイン?」

「……」

「……どうしたの?」

「……ハーゲルお兄様は」

 愛されていますね、と言いかけて止める。もっと他に言うべきことがある気がした。

「――おじさんたちに気をつけて下さいね」

「?」

 ハーゲルは意味が解らなかったようだが、レインにそれ以上言えることはなかった。

 それから数日。

 レインはおじさんに依って埋め込まれた下ネタをどう忘れたものか、真剣に悩んだ。

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