25/深紅のリボン

「わざわざカルミアの話を聞きに来たのかい。そういうお客さんは珍しい。いやなに、他所者はみな、カルミアのことなど知らんからな」


 白髪混じりの男は突然訪ねてきたわたしたちに少しだけ眉をひそめて、どうぞと椅子に座るように促してきた。

 街で見かけた老人たちに片っ端から話を聞いていたところ、この老爺に話を聞くといい、と街の外れにある一軒家を紹介されたのだ。

 老爺の名はノストス。かつては教会で神父をしていたこの男がこの街で最もカルミアについて詳しいだろう、と。

 杖を片手に、ノストスさんはわたしたちの正面に座る。わずかに開かれた瞼の隙間に見えるその瞳は、穏やかさと冷たさの両方を兼ね備えていた。

 表面上は歓迎しているが内心では、というところだろう。


「それで、何を聞きたい。生い立ちか、結末か。知っている範囲で話してやろう」

「じゃあ、生い立ちを。カルミアはどんなニンゲンだったんですか?」


 ふむ、とノストスさんは口髭に手を当てる。


「なに。普通の少女さ。街のやつらもシスターたちも、救世主救世主ともてはやしておったがな。質素倹約を好み、食事は少なめ。衣服も何もねだらない。幼い頃は教会の外に出ることもなかった。ああ、いつも教会の裏庭でヒトリ、魔法の練習をしていたな」


 なんだか、どこかで聞いたことのあるような話だ。


「……その、カルミアは少食だったんですか?」

「さあな。与えられた分は完食していたが、おかわりをすることはなかった。まあそもそも、教会の食事におかわりなどという制度はないのだが」

「……そうですか。それで、教会の外に出ることはなかった、という話ですけど。カルミアは外に出ることを嫌がっていたんですか?」


 ノストスさんの眉がぴくりと動く。

 わたしが何を聞き出そうとしているのか、ノストスさんも気がついているのだろう。


「他所者が何を言いたい」

「いえ。ただ、カルミアは普通の女の子としての扱いは受けていなかったんじゃないか、と思って」


 わたしの言葉に、ノストスさんはふんと鼻を鳴らした。


「カルミアは教会での暮らしに不満一つこぼすことはなかった。……まあ、殴られたことはあるが。だが、それが全てだろう」


 ああ、たしかに。この返答が全ての答えだろう。

 カルミアは少食だったわけではない。外に出たくなかったわけでもない。ただ質素倹約を強要され、教会に閉じ込められていただけだ。

 わたしと同じか、それ以下の扱いをカノジョは受けていたのだろう。

 自然と表情は険しくなる。ノストスさんはそれが気に入らないのか、杖で床を強く叩いた。


「他所者が今更口を出すことではない。話は終わった。これ以上話すことはない。出て行け、魔法使いども」


 怒りを込めた瞳で、ノストスさんはわたしを睨みつける。言い返すことはできない。大人しく立ち上がって、玄関に向かう。


「ふん。愚かモノどもが。わたしがいなければ、もっと前にカルミアは死んでいただろうに」


 吐き捨てるようなノストスさんの言葉を聞いて、わたしたちは家の外へと出た。

 ノストスさんの言う通り、カレらが保護していなければカルミアが殺されていた可能性はあるだろう。カノジョが生きてこれたのは、あくまで教会の保護があったからだ。

 だからといって、その扱いには疑問が残る。

 ヒトビトに勝手に期待されて、救世主らしく振る舞うことを要求されて、まともな暮らしはさせてもらえない。そんなの、酷い話じゃないか。

 なのにどうして、カルミアは救世主になんてなろうとしたのだろうか。自分に対して酷い扱いをしてきたヒトたちを、どうして救いたいなんて思えたのだろうか。

 何一つ理解できない。何一つ同意できない。

 カルミアもわたしと同じで、教会のヒトビトのことを大事に思っていたのかもしれない。けど、それでもやっぱり納得がいかない。

 どうして自分を傷つけたヒトたちを、自分に優しくしてくれなかった世界を、それでも救いたいと願ったのだろうか。

 黙ったまま、教会に帰るために足を進める。

 疑問は尽きない。けれど、それはわたしにも言えること。

 教会での暮らしは、平穏ではあったけれど幸福とは言い難いものだった。どれもきちんとした理由があっての扱いだったけれど、だからといって望んでいた暮らしではない。

 本当に、ヒトビトを救う必要はあるのだろうか。


「モルガーナ、さっきからどうしたんだい」


 後ろを歩いていたはずのメルリヌスさんが、わたしの隣に並んで声をかけてきた。


「なんだか表情が暗いけど、悩み事かい?」

「……そう、ですね」


 悩んでいることには、違いないだろう。


「ノストスさんの話を聞いて、なんだか分からなくなってしまって。カルミアの教会での扱いは、きっと良くないものだったんだと思います。それなのに、カノジョはヒトビトを恨むどころか救いたいと立ち上がった。それが、納得いかなくて」

「それは、どうして?」

「だって、自分に優しくしてくれたヒトのために、っていうなら分かります。もしかしたら、カルミアにもそういうヒトがいたのかもしれない。それでも、それでも酷い扱いを受けていて、そうしてきたヒトビトのことまで救いたいと思うなんて。そんなの、おかしいじゃないですか。怒ったって許されるはずなのに、呪ったって許されるはずなのに」


 それでもカルミアはそれを選ばなかった。

 きっと底なしの善人だったのだろう。わたしには、到底真似できない。

 足が止まる。

 自然と顔が俯いてしまう。

 ニンゲンは優しいヒトばかりではない。そりゃあ、中には優しいヒトもいる。けれども酷い人だってたくさんいる。どちらが多いかなんて、考えるまでもないことなのだろう。そんなニンゲンたちのために、なんて。

 すっと、白い指が視界に入った。

 メルリヌスさんの手が、わたしの髪に触れる。


「……うん。やっぱり、髪の毛で顔が隠れるのはもったいない」


 そう言うと、メルリヌスさんは自身が身に付けていた二つのリボンを解いた。そうしてわたしの髪を二つに分けて、その深紅のリボンで結ぶ。


「これでよし、と。うん。そのリボンはボクよりもキミの方が似合う。なかなかいいじゃないか」

「————」


 穏やかに微笑むメルリヌスさんの顔が目に入る。結びつけられた深紅のリボンに、恐る恐る触れた。するするとした感触が心地よい。


「——初めて」


 うん? とメルリヌスさんがわたしの顔を覗き込む。


「髪飾りなんて、初めて身につけました」


 これじゃあ本当に、普通の女の子みたいじゃないか。

 胸が熱くなる。嫌な感覚じゃない。ドキドキして、そわそわして。それは、昨日の朝メルリヌスさんが言っていた、恋心のようで——。


「え」


 そんなわけない。だってそんな感情、救世主さまは持っちゃいけない。

 でも遅い。もう気がついてしまった。もう思い至ってしまった。

 ああ、わたし、メルリヌスさんのことが好きになってしまっている。


「モルガーナ?」


 どうしたんだい、とメルリヌスさんは不思議そうに首を傾げている。

 言えない。言うわけにはいかない。なんでって、どうしてって言われても分からないけれど、それでもこの気持ちを悟られたくはなかった。


「な、なんでもないです。リボン、ありがとうございます。その、一生大事にしますね」


 リボンをぎゅっと握りしめて、お礼の言葉を口にする。

 メルリヌスさんは一瞬ぽかんとした後、とても穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「……うん。そうしてくれると、ボクも嬉しいな」


 胸のざわめきは止まらない。それでもそれは心地よいから、自然と口元が緩む。

 さっきまでの思考なんて、どこかに行ってしまった。


「モルガーナは、ニンゲンの善性に不安を感じているんだね」


 メルリヌスさんが歩き始める。その後を追いかけながら、ぜんせい、と言葉を繰り返した。


「うん。善い心、優しい心。もちろん全てのニンゲンがそれらを持たないわけじゃない。時と場合によってその割合が異なることだってあるしね。悪いことをしたヒトたちはずっと悪い心のまま、ってことはない。もちろん、その逆もね」


 カルミアに対して酷い扱いをしたヒトたちにも、善い心はあったのだろう。それは、そうだと思う。教会のみんなだってそうだ。わたしの悪口を言うことは、それが正しい内容だったとしても褒められることではなかった。けれど、みんなは街のヒトたちにいつだって優しかった。


「アステールを倒せば、何か変わることがあるかもしれない。別に、ニンゲンたちが突然善くなることはないだろう。けどそれでも、より良い未来を目指す時には、その善性がはっきりと見えるようになるかもしれない」


 だから、とメルリヌスさんはわずかに振り返る。


「信じてみないかい、ニンゲンたちのことを。アステールを倒して新たな未来を切り拓けば、もしかしたら、ニンゲンたちはより善い存在になれるかもしれないんだから」


 あくまでも、もしかしたらの話。

 それでも、わたしはメルリヌスさんの言葉に頷いた。

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