フサリア作戦
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──フサリア作戦
カエサル・ラインで防衛を開始した帝国軍に対し、魔獣猟兵の進軍は停止。戦線は完全に膠着し、嫌がらせのような砲撃が行われるのみとなった。
帝国軍はこの時間的猶予を活かして徴集兵の動員及ぶ訓練を実施し、軍需品の生産を拡大して新規師団を次々に編成して戦力を増大させる。長期戦になれば帝国が有利になるということが数字の上で示され始めた。
魔獣猟兵がそのことに気づいていないということはない。
「膠着した。第3戦域軍は進軍できていない」
空中戦艦ウィル・オ・ウィスプに設置された第3戦域軍司令部で司令官のセラフィーネが参謀たちを前にそう発言する。
「戦争おいては常に防衛側が有利だ。攻撃側にとっての優位は防衛側が守る場所を選べないのに対し、攻撃側は主導権を握り、攻撃場所を選べ、戦力を集中させられるという点だけだ。それが今失われている」
セラフィーネがカエサル・ラインに向けて展開している魔獣猟兵の配置を示す。
「攻撃可能な地点は全て掌握され、永久陣地によって守られている。敵には大量の火砲があり、さらには動員によって戦力を拡大し続け、突破に成功したとしても敵予備戦力に撃退されるのは目に見えてる」
「では、どうするのですか、閣下?」
セラフィーネがお手上げだというように肩をすくめると参謀が尋ねた。
「スピアヘッド・オペレーションズの傭兵たちは直接戦うことや軍事教練を実施するだけでなく、戦況の分析も行う。連中は長期戦は帝国に数字の上では有利だが、心理的な面では不安定だと分析した」
スピアヘッド・オペレーションズには軍で情報将校の地位にあった人間も所属している。帝国やそれ以外の国からコントラクターが契約していた。
「であるならば、後退に次ぐ後退によって勝利というものがない帝国が求めるものはおのずと分かる。民衆の士気を鼓舞し、戦争に対する理解と協力を得られるものだ。つまりいかなる形であれ勝利すること」
「勝利ですか?」
「戦略的な勝利でなくともいいだろう。戦術的な小さな勝利でいい。とにかく我々に対し帝国の軍隊が勝利したという事実があればそれでいい。そういうことだ」
参謀が疑問に思うのにセラフィーネが爬虫類の瞳を不気味に輝かせて笑う。
「勝利を連中に与えてやろう。血塗れの勝利をな」
──ここで場面が変わる──。
帝国軍は非常に安定した状態にあった。
徴集兵と即席士官による新規師団の編成はもとより飛行艇においても生産の拡大が始まり、開戦初期から失い続けた補助艦が補充され、巨大な空中戦艦と空中空母の生産も開始された。
だが、それによって帝国の抱えている問題が露見する。
「タングステンが不足しています」
皇帝大本営の席でトロイエンフェルト軍務大臣が苦々しい表情で報告した。
「タングステンは飛行艇の砲弾に使用されます。徹甲弾の生産にはタングステンが必要です。それが不足しているという報告を受けています」
タングステンはその比重の重さと高い高度から飛行艇の火砲において徹甲弾の材料に使用される。
「同盟国からの輸入は?」
「アーケミア連合王国から少ない量を輸入していますが、アーケミア連合王国も鉱山を失った場合のことを恐れて備蓄体制に入っており、さらに輸入量が低下していると通産省からは連絡を受けています」
タングステンは貴重な金属であり、採掘可能な場所は偏っている。帝国においても、アーケミア連合王国においても、それは同じ。
「備蓄されている砲弾はどの程度なのだ? 今のところ砲弾を使用した大規模な航空戦は起きていないと認識しているが」
「ええ。すぐに砲弾がなくなるという状態ではありません。消費が激しいのは空中巡航艦や空中駆逐艦の中口径、小口径砲の砲弾だけです。空軍が大規模な作戦を実施しなければという話ですが、今は大丈夫でしょう」
メクレンブルク宰相の質問にトロイエンフェルト軍務大臣が答える。
「ですが、空軍は大規模な飛行艇の生産を開始しています。大規模な作戦で消費せずとも飛行艇に備える砲弾を備えるだけで砲弾は消費されます。空軍がどの程度飛行艇を拡大するかが問題になりますな」
「空軍大臣。飛行艇の整備計画について報告を」
トロイエンフェルト軍務大臣の言葉を受けてメクレンブルク宰相が空軍大臣に尋ねる。空軍大臣は元帝国空軍大将で、今は退役し、保守党から立候補して帝国議会議員になったのちメクレンブルク内閣入りした。
「空軍のこの戦争に際して始まった軍備計画は従来計画されていた軍備計画を拡大したものです。空中戦艦から空中駆逐艦まで現在の規模から大きく拡大します。この計画についてお手元の資料をご確認ください」
空軍大臣がそう言って列席者たちが資料を見た。
「迅速に飛行艇を増産したいのはやまやまなのですが、魔獣猟兵の侵攻によって大型飛行艇建造のための大型ドックがいくつか制圧されており、生産スピードは落ちています。空軍では余力のあるアーケミア連合王国からの輸入も検討中です」
「空中戦艦を10隻建造か。それもこれまでものより大型のそれを。ふむ」
「H41からH50と仮称されている空中戦艦は魔獣猟兵の空中戦艦に対し能力としてアドバンテージが得られるように計画されておりますが、現在建造が始まったのはH41とH42のみです。それも完成はまだ遠い」
空軍は戦争勃発前の計画では旧式艦を置き換える形で限られた数の飛行艇を整備する予定だったが、戦争の勃発により旧式艦の退役は延期され、製造される飛行艇の数も大きく拡大された。
「確かにこれは大量の砲弾が必要になる。タングステンの確保が必要だな」
「そして、勝利も必要です。国民は相次ぐ敗退によって帝国が敗北するのではないかと恐れています。いかなる形でも勝利を得ることで国民を鼓舞しなければなりませんぞ」
トロイエンフェルト軍務大臣がそう指摘する。
「確かに国民が恐れを抱いているということは報告を受けている。祖国防衛という誰もが納得する大義こそあれど帝国軍への不信が見え始めているそうだ。将兵が指導部を信頼しなくなるのは戦争指導に影響する」
「であるならば攻勢を。古来より要塞に立て籠もるものは敗北するのです。攻撃によって主導権を握り、国民の軍に対する信頼を取り戻すために攻勢の実施を!」
メクレンブルク宰相がそう語り、トロイエンフェルト軍務大臣が叫ぶ。
「攻勢は現実的に可能なのか? シコルスキ元帥、意見を聞きたい」
「はい。新規師団の整備も順調に進んでおり、陸軍においては装備の生産における資源の不足などはありません。攻勢が可能かということでは可能であると言えます。ですが、大反攻を実施するなら陸軍のみならず空軍の協力が必要です」
シコルスキ元帥はそう述べた。
「空軍の意見を聞きたい、ボートカンプ元帥」
「空軍としては依然として敵の主力空中艦隊を脅威として把握しています。全面的な陸軍への航空支援についは困難であると申し上げなければいけません」
ボートカンプ元帥は空軍司令官としての意見を述べる。
「ですが、小規模な攻勢を支援するために地上レーダー基地の支援が受けれるのであれば不可能ではありません。敵艦隊に奇襲されることがなければ航空支援は可能です」
つまり空軍は地上軍が支配し、地上からのレーダーで敵飛行艇が探知できる空域でならば空中戦艦などの強力な飛行艇で航空支援ができるということだ。
「どう判断すべきだろうか。陸軍として空軍の示す支援で攻勢は可能と判断するか?」
「まずは達成すべき目標を定めるべきです。それによって動員すべき兵力や必要とする支援についても変わります」
メクレンブルク宰相にシコルスキ元帥が答える。
「タングステン鉱山の確保を目的とするべきだ。ザルトオードラント領の奪還を目指すべきである。勝利とともに資源の確保も達成できる。長期戦を戦うのであれば必要不可欠と考えます」
トロイエンフェルト軍務大臣がそう提案。
「確かに長期戦で我々の側が有利になるのは資源が満たされているという前提になりたっている。資源の確保は必要だろう。しかし、人的資源も重要だ。将兵の犠牲は抑えたい。可能だろうか、シコルスキ元帥?」
「恐らくは可能です。作戦を立案し、検討してみる必要はありますが。限定的攻勢として実行したとして、それによって目標の確保を行ったのち、継続的に防衛が可能かどうかを検討しなければなりません」
「検討してくれ。可能であれば実行したい」
「畏まりました」
メクレンブルク宰相の指示にシコルスキ元帥が頷く。
皇帝大本営はタングステン鉱山が位置するザルトオードラント領奪還を目的とする攻勢の実施を決定。陸軍参謀本部が作戦を立案し、実行可能であるとの判断が下され、再び皇帝大本営にて提示される。
皇帝大本営は攻勢計画を承認。
作戦名はフサリア作戦と呼称し、帝国陸軍B軍集団が作戦を実施する。
帝国軍はフサリア作戦の実施に向けて動き始めた。
──ここで場面が変わる──。
フサリア作戦の実行が決定され、作戦の実施に向けて帝国軍が準備を始める中、ハインリヒの前線視察が行われることとなった。
魔獣猟兵による暗殺やテロを避けるために情報は関係者だけが把握していたが、視察当日には帝国内外のマスコミを招いて視察を大々的に告知することになっている。
護衛にはハインリヒの求めに応じて葬送旅団が当たった。
「敬礼!」
葬送旅団に護衛されているハインリヒを乗せた軍用四輪駆動車が停車し、カエサル・ラインの最前線から僅かに3キロ離れた地点に展開する第102自動車化擲弾兵師団の将兵が一斉に敬礼を送った。
第102自動車化擲弾兵師団は徴集兵によって編成された新規師団だ。
「ようこそ、皇帝陛下!」
「将兵たちの士気はどうだろうか、カドルナ少将?」
第102自動車化擲弾兵師団の師団長アレッサンドロ・カドルナ少将がハインリヒを出迎えるのに、帝国陸軍大元帥の軍服を纏ったハインリヒが尋ねる。
「将兵の士気は高く保たれています。祖国防衛のために戦う覚悟ができております。祖国と家族、友人を守ろうと皆が意気込んでおります」
「それはよかった」
ハインリヒはカドルナ少将の言葉に頷き、閲兵のために整列している将兵の前に出る。将兵たちは一部の正規の将校を除けば即席士官と徴集兵なので、整列している姿もどこかぎこちない。
「少尉。君は即席将校か?」
「は、はっ! 大学の文学部で歴史を学んでおりましたが、祖国の危機に際して役に立てればと志願しました!」
ハインリヒが若い将校に話しかけるのに緊張した様子で将校が答えた。
「ありがとう。帝国を代表して君に感謝する」
「光栄です、陛下!」
この様子をマスコミのカメラマンが写真にとる。
「一等兵。困ったことはないか? 必要な物資や食事は与えられているか?」
「はっ! 与えられております!」
ハインリヒが職業軍人で編成される常設師団ではなく徴集兵主体の新規師団を視察したのは、やはり国民の戦争協力を得るためだった。
帝国が徴兵制を廃止したのは徴兵された兵士の士気が低く、必要な費用の割に戦力にならないと判断したためだ。
この豊かな時代に危険で過酷な肉体労働である兵役を強制されて士気が上がる人間などいない。大した戦力にもならない徴兵された兵士を養うより、自ら志願した職業軍人を大切にした方がいいと当時に帝国政府は判断した。
だが、今になって志願兵だけでは戦争ができなくなった。
徴集を実施せざるを得なくなり、国民に兵役を強制することになったのだ。
志願兵は自ら覚悟を決めて軍に入っており、今の戦局でも士気はまだ下がっていない。だが、徴集兵は強制的に兵役に就かされたことで、彼らの士気は安定しないと考えられていた。
「君は何の仕事をしていた、伍長?」
「帝都のレストランのウェイターでした! チーフウェイターでしたので統率には自信があります!」
徴集兵を皇帝であるハインリヒが重視していることをマスコミに印象付け、そのような報道をさせることで国民の戦争協力を仰ぐのが、この前線視察の目的だ。
「励んでくれ。帝国のために」
ハインリヒの視察の様子をマスコミが撮影し続ける。
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