人道上の問題

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 ──人道上の問題



 皇帝大本営はアレステアがハインリヒに呼び出された2日後に開かれた。


「始めてくれ、メクレンブルク宰相」


「畏まりました、陛下」


 ハインリヒが言い、メクレンブルク宰相が会議を始める。


「まず戦況の報告を陸軍から。シコルスキ元帥、頼む」


「はい。まず敵の攻勢は止まりました。カエサル・ラインでの防衛計画は成功し、魔獣猟兵の侵攻を粉砕。撤退した部隊の再編成と補充が始まっており、14日以内には十分な戦力を取り戻すものと計算しています」


 メクレンブルク宰相の言葉にシコルスキ元帥が説明を始めた。


「徴集した兵士によって新規師団を32個編成しております。また大規模動員に伴う士官不足の解決にも向けて即席士官の養成を強化し、志願者を大学などで募っています」


「新規編成の師団は常設師団と同等の戦力なのか?」


「装備としては変わりありませんが、いかんせん訓練期間を短縮したために戦力しては劣るところがあるかと思われます。ですので新規編成師団は常設師団の支援として運用することになります」


 メクレンブルク宰相の問いにシコルスキ元帥が答える。


 帝国陸軍は徴集した国民を訓練し、それを編成して新規師団を準備した。帝国陸軍において1個擲弾兵師団はおおよそ1万5000名となるので、単純計算48万人の国民が兵役についていることになる。


「カエサル・ラインは安定しております。後方において魔獣猟兵のコマンドの活動は見られるものの、開戦初期と異なりその活動は低下しています。動員された国家憲兵隊及び自治体警察の治安活動の成果でもあるでしょう」


 魔獣猟兵のコマンドは懸念材料だったが、その活動は低下していた。コマンドのような少数の精鋭軽歩兵が長期間敵地で作戦を行うのは簡単ではない。現地住民の支援が受けられる帝国のコマンドとは違うのだ。


「シコルスキ元帥。陸軍はこのまま守りに徹するつもりか?」


「軍務大臣。今は再編成中につき大規模な作戦行動は不可能です。しかし、以前の会議で結論が出ているように長期戦なって不利になるのは魔獣猟兵です。今は敵を防ぎつつ、徴集及び軍需品の生産に邁進し、戦力を強化するべきかと」


「帝国国民は勝利を望んでいる。国民の士気を鼓舞し、戦争協力を得るためには勝利が必要だ。守っているだけではそれは得られない」


 トロイエンフェルト軍務大臣が発言する。


「これは帝国がこれまで戦ってきた局地戦ではない。敵対勢力との全面戦争だ。まさに総力戦と呼ぶべき戦争である。経済と政治の協力はもちろんあらゆる面で帝国の全てのリソースをを戦争に投入しなければならない」


 総力戦というものを帝国は経験したことがない。


「この総力戦において勝利の要因となるのは安全なバンカーで参謀たちに囲まれた将軍たちの判断ではない。軍需工場で機械油にまみれて働く女性労働者であり、軍に動員される勇敢な男性兵士だ。国民の協力なくして勝利はない」


 トロイエンフェルト軍務大臣が演説するようにして語った。


「それは全員が理解している、トロイエンフェルト軍務大臣。国民の厭戦感情が高まれば我々は負ける。だが、軍が無理な作戦を実施して、徴集した兵士たちを死なせれば軍への信頼が失われる。それもまた敗北に繋がる」


「無理な作戦をしろとは言っていない。私は勝算のある戦いを提示するつもりだ。軍務省の研究グループが検証したデータがここにある。見てもらいたい」


 トロイエンフェルト軍務大臣が控えていた軍務省の官僚に命じて資料を配布させた。


「何だこれは……。エージェント-37Aの実践における評価?」


「エージェント-37Aは帝国陸軍生物化学戦研究所が開発した神経ガスだ。帝国軍が装備している火砲で運用可能であり、我々が採取した人狼と吸血鬼の組織サンプルからも、人狼と吸血鬼に有効であることが示されている」


「毒ガスを使うのか? 世界協定が生物化学兵器は規制しているではないか。どうしてこのような研究が行われていたのだ」


 トロイエンフェルト軍務大臣が説明するのに列席者たちが困惑する。


 世界協定は人道に反する生物化学兵器の使用を禁止しており、帝国はその世界協定の加盟国だ。当然、生物化学兵器を使うことはないはずだった。


「研究目的の開発は行われている。テロリストが使用した場合に備えてな。だが、今は世界協定は関係ない。相手は世界協定に加盟していない旧神戦争の亡霊どもだ。人類の敵だ。あらゆる手段を以てして攻撃すべきである!」


 トロイエンフェルト軍務大臣がそう強く主張した。


「シコルスキ元帥。陸軍としては生物化学戦への準備はできているのか?」


「常に訓練はしておりました。世界協定は確かに生物化学兵器の使用を禁止し、どの国家もそのような兵器の生産は行っていないはずですが、国家同士の戦争ではない場合、このような兵器が使用される恐れはありましたので」


 メクレンブルク宰相が説明を求めるとシコルスキ元帥が発言。


「しかしながら、これは常設師団に限った話です。新規師団の徴集兵部隊ではそのような訓練は省かれています。またガスマスクなどの防護装備も不足しているのが現状ですので、準備ができているとは言えません」


「訓練はすればいいし、ガスマスクは生産すればいい。問題はない」


 シコルスキ元帥が首を横に振るとトロイエンフェルト軍務大臣が指摘した。


「まだ懸念すべきことはあります。この資料によりますと毒ガスの運用は火砲の砲弾を利用して行うとのことですが、これには不発弾の問題があるのです。全ての発射された砲弾がちゃんと炸裂するのは理想ですが、現実には不発弾があります」


 砲弾や爆弾に不発弾はつきものだ。信管を鋭敏にしすぎると暴発してしまうので、安全な感度に調整してある。そのため逆に暴発はしないが、爆発もしないことがある。


「もし、この毒ガスの詰められた砲弾が不発弾として残り、戦後になって住民が自分たちの故郷に戻った時爆発すれば大惨事となります。陸軍としては毒ガスの使用はもっと慎重に検討すべきかと」


「勝利のためには犠牲が必要だ。今勝利できるなら戦後のことはその時に考えればいい。勝利しないうちから戦後のことを考え、今の勝利を見逃すことはあってはならない」


 シコルスキ元帥が毒ガスの使用に消極的な態度を示すとトロイエンフェルト軍務大臣が押し切ろうとする。


「申し訳ないが横からよろしいでしょうか?」


「リッカルディ元帥。何か?」


 ここで海軍司令官のリッカルディ元帥が発言を求めた。


「私は海兵コマンドの生物化学戦に携わったことがあるので理解があるつもりです。この資料によればエージェント-37Aは皮膚からも摂取されるということになっています。ガスマスクだけでなく全身を防護する装備が必要です」


 リッカルディ元帥がそう指摘する。


「さらに化学構造が疎水性ということですが、これを除染するためには水は有効でないということです。雨などによって自然に分解されることもなく、安全を確保するためには専用の化学薬品が必要となります」


 生物化学兵器は敵と友軍、戦闘員と非戦闘員を識別しない。あらゆるものに平等に被害を及ぼす。そのため防衛側にせよ、攻撃側にせよ汚染地域の除染ということを考えなければならない。


「資料にある攻撃計画では準備射撃に毒ガスを使用するとありますが、これによって広がった汚染地域を防護された前線部隊が突破しても、後方部隊の活動は困難です。私の分析ではこの化学兵器は防衛戦闘のために作られたものではないかと」


 リッカルディ元帥は自分の意見を述べ、トロイエンフェルト軍務大臣の提示した作戦にある問題を指摘した。


「リッカルディ元帥が指摘した問題もあるが、そもそも敵は人狼と吸血鬼だけではないということを思い出してもらいたい。敵には死霊術師がいて、屍食鬼の軍隊を有している。毒ガスは屍食鬼に有効なのだろうか?」


 メクレンブルク宰相がそう疑問を呈する。


「アレステア卿。ゲヘナ様の眷属であり、死霊術師と戦う人間としての意見を聞きたい。屍食鬼を含む魔獣猟兵の軍隊に毒ガスは意味があるのかを」


 そして、アレステアに意見を求める。


「屍食鬼となる死者は生理現象は全て止まっています。魂こそ眠っていても体は死んでいます。その上で毒ガスについて尋ねますが、その毒ガスは死体に影響を及ぼすでしょうか? 死者は呼吸しませんし、身体は魔術によって操られています」


 アレステアはトロイエンフェルト軍務大臣にそう尋ねた。


「……神経ガスの殺傷能力は主に窒息によるものだと聞いている。確かに屍食鬼に対しては効果がないかもしれない。それでも人狼や吸血鬼に有効であれば、それだけで価値がある。使うべきだ」


「汚染地域で屍食鬼だけが自由に行動できるというのは、防護が必要になる帝国軍にとって不利ではないでしょうか? それにこちらが毒ガスを使うと魔獣猟兵も僕たちに使うことがあるのでは?」


「子供に戦争の何が分かる! 英雄だか神々の眷属だか知らないが、そもそも皇帝大本営に列席する権利もない人間が口をはさむな!」


 アレステアの意見にトロイエンフェルト軍務大臣が逆上した。


「トロイエンフェルト軍務大臣。私もアレステアと同じ年齢の子供だが戦争において不適切な皇帝だと言いたいのか?」


 そんなトロイエンフェルト軍務大臣にハインリヒがそう言った。


「そうですな。今からでもラインハイトゼーン公殿下に摂政となっていただくべきかと。陛下には荷が重いでしょう」


「不敬であるぞ、トロイエンフェルト軍務大臣! 発言を訂正せよ!」


 トロイエンフェルト軍務大臣の発言に枢密院議長が激怒する。


「これは失礼を。謝罪いたします。ですが、私の発言が事実を含んでいることは修正いたしません」


 トロイエンフェルト軍務大臣はそう返す。


「戦争というものにルールはないと言えばそれまでだ。だが、それぞれが自制することで保たれる人道上の配慮というものがあるのも事実。どちらか一線を超えればそれはエスカレートしていき、結局は双方がダメージを受ける」


 メクレンブルク宰相がそう説き始めた。


「我々は敵のために人道を重視しているわけではない。自分たちのために人道を守っているのだ。そのことを忘れることがあってはならない。我々が人道を犯した結果、帝国の将兵が非人道的行為に晒されることがあるということを」


 メクレンブルク宰相の言葉にトロイエンフェルト軍務大臣は唸り、そして黙った。


「まずは防衛を維持し、安定させることだ。反抗作戦はそれから。徴集兵に十分な訓練を彼らが戦場を生き残れるようにしてほしい。シコルスキ元帥、お願いできるか?」


「承知しました、メクレンブルク宰相。全力を尽くします」


 メクレンブルク宰相がシコルスキ元帥に命じた。


「では、私からひとつ懸念していることを上げる。同盟についてだ」


 メクレンブルク宰相はそう切り出した。


「現在魔獣猟兵と戦争状態にあるのは我が国だけではない。多くの国が戦争に巻き込まれている。それらに国々と同盟し、団結してこの戦争に当たるということを考えなければならない」


「外務省はまだ同盟締結を行えていないのか?」


 メクレンブルク宰相の発言にハインリヒが困惑した顔をする。


「その通りです、陛下。交渉が難航している原因があります。まず同盟を結ぶべき国が多いこと。魔獣猟兵は事実上世界に対して戦争を始めました。今や世界は征服された国、交戦中の国、交戦の恐れのある国に分けられます」


 どうして未だに同盟が締結できていないのかについての説明が始まる。


「世界協定を締結したときの苦労は今も語り継がれています。多国間で条約を締結するということは難しいのです。意見の一致を目指す過程はその参加者の数が多ければ多いほど困難になります」


「では、主要国のみで同盟するというのは?」


「魔獣猟兵にとってそれは世界協定側が分裂したという風に見るでしょう。同盟国と非同盟国で対応を変えることで魔獣猟兵は世界協定側に不和を発生させることができるようになるのです」


 ハインリヒの問いにメクレンブルク宰相が答えた。


「そうであるため時間をかけてでも参戦国全員が同盟する必要があります。どのレベルの軍事協力を行うのかや軍の通行許可や駐屯について意見を合わせて。正式な同盟の発足までにはまだ時間がかかることでしょう」


「しかし、同盟は必要だ。それもなるべく早く」


「ですので、非公式な同盟をまずは発足させることを目指します。経済協力や軍同士の交流という魔獣猟兵に対する同盟とせず、ただ協力するということだけを謳った外交条約を締結するのです」


 多国間での正式な同盟締結に時間がかかるなら、非公式の二国間協定を締結することで暫定的な協力体制を構築する。それがメクレンブルク宰相の考えであった。


「この方向で暫定的な同盟関係を構築し、時間をかけて正式な同盟を発足させ、戦争の終わらせ方の協議を行う。それが今の状況です」


「分かった。その方向で進めよ」


「畏まりました、陛下」


 そして、今回の皇帝大本営は終了した。


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