略結婚の話
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──政略結婚の話
アレステアたち葬送旅団には未だ出動命令が出ないままだった。
魔獣猟兵第3戦域軍によるタラニス作戦が発動され、帝国軍の後退が起きるも永久陣地を構築していたカエサル・・ラインに到達したところで帝国軍が強力な火力で魔獣猟兵の攻勢を粉砕した。
今は戦線は膠着している。
「え? 皇帝陛下がお呼びですか?」
そんなとき近衛騎兵師団駐屯地に戻っていたアレステアが宮内省の職員に皇帝ハインリヒがアレステアを呼んでいるということを知らせた。
「はい。陛下がアレステア卿に相談していことがあると仰せです。宮殿にご招待するように言われております」
「分かりました。行きます」
アレステアは宮内省の職員が運転する高級乗用車に乗って宮殿に向かった。
宮殿はシュヴァルツラント近衛擲弾兵師団の将兵によって厳重に守られている。軍用犬もおり、魔獣猟兵のコマンドによる攻撃に備えているのが分かった。
警備の兵士たちの許可を得てアレステアは宮内省の職員に案内されるままに宮殿の中に入って、ハインリヒが待っている応接室を目指した。
「失礼します!」
アレステアが応接室に入る。
「我が友! よく来てくれたな!」
ハインリヒが満面の笑顔でアレステアを出迎えた。
「お前の武勇はシコルスキ元帥から聞いているぞ。英雄に相応しい活躍だと」
「僕だけではありません、陛下。葬送旅団全員でやり遂げたことです」
「うむ。真の英雄は自分で武勇を誇示することはないものだ」
アレステアが恥ずかしそうに返し、ハインリヒが頷いた。
「あの、陛下。今回はどういうご相談でしょうか? 僕が力になれることならいいのですが……」
「相談というより愚痴を聞いてほしい」
心配するアレステアにハインリヒが手を振ってそう言う。
「私に結婚の話が来た。相手はアーケミア連合王国の王族だ」
「結婚ですか!? で、でも、結婚は16歳以上じゃないとできないんじゃ……」
「結婚可能な年齢については地方ごとの自治政府が定めている民法によって違うが、概ね16歳以上なのは確かだ。だが、皇室においては法が異なる。皇室は帝国皇室法に従うことになっているのだ」
アレステアが驚くもハインリヒがそう説明した。
「それで私の年齢でも結婚はできるのだ。父も15歳で結婚した」
「相手はどなたなのですか?」
「アーケミア連合王国の王女アン・オブ・ノースハイランド女公だ。向こうは16歳で私より年上になる」
「年上の方でしたか」
アレステアはハインリヒの話を聞いて思わずルナのことを思い浮かべる。
「年上なのがあまり気が進まない理由なのですか?」
「いや。そうではない。唐突過ぎるのがちょっとな……。この戦争が勃発して湧いた結婚話なのだ。アーケミア連合王国は帝国にとって重要なパートナーなのだが、常に利害が一致しているわけではない。意見の相違もある」
ハインリヒが自分がどうして結婚に前向きでないのか語り始めた。
「だが、戦争においては団結が必要だ。だから、帝国とアーケミア連合王国との外交関係を強化するために私に結婚しろと外務省と宮内省が言っているんだ」
「それって陛下の意見が全く聞いてもらえていませんね、酷いと思います!」
「そうだが文句は言えない。私は皇帝としての義務を果たすことでこの地位にあるんだ。しかし、まだ結婚なんて考えたこともなかったし、アン王女について私は年齢を顔写真しか知らない」
アレステアが憤るのにハインリヒがそう呟くように言った。
「私はお前と同じ年齢なんだぞ。我が友、お前は結婚を考えたことはあるか?」
「そんなの全然考えたことないです! つ、付き合った人もいないのに……」
「そうだろう。私は正直このまま結婚して果たしてアン王女にとっても、私にとってもいい結果になるのだろうかと心配している」
思わずアレステアも首を必死に横に振り、ハインリヒがため息交じりに言った。
「断ることはできないのですか?」
「断れば向こうに失礼になる。外務省が勝手に話を向こうに伝えていればだが。私は別にアン王女が嫌いだとかそういうわけではないんだ。ただ、お互いを知ってからにしたいだけだ。皇帝である以上、いずれは結婚して次の皇帝を育てることになる」
「この戦時下じゃデートもできませんしね……」
「我が友は気になる女性などはいないのか?」
「え!?」
ハインリヒが何気なく言うのにアレステアが耳まで真っ赤にして驚く。
「なんだ? いるのだな? 聞かせろ、我が友!」
「え、ええー……」
年相応の少年の顔をするハインリヒにアレステアが視線を泳がせる。
「いるにはいますけど。その、向こうは全然僕のことなんて子供だと思って相手にされないですから……」
「どんな女性なのだ?」
「えっと。その人は女医さんで年上の方です。綺麗な人で優しくて、力になってくれる女性なんです。僕は孤児だったので恋愛対象になる女性というと孤児院に診察きてくれた若い女医さんぐらいで、昔からその、女医さんに弱くて……」
「ほうほう。そうだったのか。どれくらい年上なんだ?」
「多分、20歳くらいだと思います」
「随分と年の差があるな」
「なので、相手にして貰えないと思います」
ハインリヒが指摘するのにアレステアが肩を落とした。
「我が友。我々はまだ若いが若さというのは武器だぞ。諦めるな。それに我が友は英雄なのだから、きっと向こうも振り向いてくれるぞ!」
「あはは。では、望みは捨てないでおきます」
ハインリヒが励まし、アレステアが苦笑い。
「……ところで、陛下はネメアーの獅子作戦ってご存知ですか……?」
「……知っている。父が病んだ原因のひとつだ」
アレステアがそこで尋ねるとハインリヒが視線を伏せて返した。
「父が皇帝だった時代は酷い状況だった。相次ぐ政治家の汚職疑惑で帝国議会は荒れており政権は安定せず、短命な政権がころころと変わった。そのせいで国民の不満は高まり、混乱が生じた」
ハインリヒの父フリードリヒ3世の時代。政治家のスキャンダルと政権の安定性のなさ故の政治の混乱に国民は不満を持っていた。
「不満は地方の暴動に繋がり、軍においてはクーデター計画が露見するなど混乱が続いた。そのとき父は皇帝として義務を果たすことを求められた。地方の国民を宥め、軍に民主的な政権を尊重するように忠告した」
「皇帝というのはそういうこともやらなければならないのですね」
「ああ。しかしな、今の皇帝というのはかつての偉大な時代を作った皇帝たちとは違う。かつての皇帝たちは絶大な力を持っており、それ故に民衆を先導できた。だが、今の皇帝にはそんな力はない」
皇帝の力は時代が進むごとに失われていった。皇帝という血筋に選ばれた個人から帝国議会議員による政府という民主的に選ばれた集団へと力はシフトした。
「だが、力がないにもかかわらず、今の皇帝にもかつての皇帝のような偉大さが求められた。祖父はそれを成し遂げるだけのカリスマ性があったが、父にはなかった。父は良くも悪くも普通の人だったんだ」
ハインリヒがそう語る。
「そうであるが故に求められる義務を果たすことに必死で、のしかかる責任に押しつぶされ、心身を病んだ。せめて母がいてくれればよかったのだろうが、母は病気で去っていた。父の最期は……思い出したくもないほどだ」
「そうだったのですか……」
重々し気にハインリヒが言い、アレステアも暗い表情を浮かべた。
「私も義務が果たせるか分からない。この魔獣戦争という帝国の危機において私が果たすべき義務は多いが……」
「大丈夫です、陛下。きっとできますよ!」
「ありがとう、我が友」
アレステアが励まし、ハインリヒが微笑んだ。
「さて、実を言うとお前を呼んだのは愚痴を聞いてもらうだけではないのだ。近く私は前線視察に向かう。具体的なスケジュールは防諜のための伏せられているが、今の防衛線を守っている将兵を激励しに行く」
「それはいいことだと思います。きっと士気も上がりますよ」
「ああ。それが狙いだ。皇帝大本営はある結論を出した。魔獣戦争において長期戦になれば魔獣猟兵側は不利になるということだ。資源と産業基盤、そして動員可能な兵力という点から時間が経てば経つほど我々は有利になる」
皇帝大本営はセラフィーネたち魔獣猟兵第3戦域軍と同じ結論に至った。
すなわち、この魔獣戦争において長期戦になれば有利になるのは帝国を含めた世界協定側であり、魔獣猟兵は統合的なリソースの面から不利になっていくという結論。
「ただ、数字の上では有利になるとしても厭戦感情が起きれば国民の戦争協力や政権の戦争指導に影響が出て、本来有利になるはずの環境で不利になってしまう。そうならないための私の前線視察だ」
数字だけがこの世の全てではない。人は数字だけで生きるのではなく、自らの一見非合理な感情に動かされるものだ。
「なるほど。分かりました。僕にできることはありますか?」
「ああ。我が友、お前の葬送旅団に護衛を頼みたい。葬送旅団は近衛部隊扱いになっている。そして、現在近衛師団は皇族の警護と宮殿などの皇室関係施設の警備を担当している。帝都を守っているのも彼らだ」
「僕たちが陛下を守るのですね。責任重大な任務です……」
「本当なら近衛部隊から部隊を厨周するはずなのだが、メクレンブルク宰相がな。お前という英雄と皇帝である私を並べた絵をマスコミに取らせて、宣伝効果を出そうと考えているようだ」
「宣伝? 皇帝陛下はともかく僕を写真にとってもしょうがないと思うんですが」
ハインリヒが肩をすくめるのにアレステアが首を傾げた。
「何を言うんだ、我が友。第3軍での活躍や敵死霊術師の撃破など武功を上げているではないか。それに英雄とは自然に生まれるものではなく、祭り上げられて生まれるものだ。良くも悪くも昔から英雄は士気を鼓舞する宣伝材料」
ハインリヒが語る。
「今、帝国はかつてない危機に晒され、国民は厳しい試練を受けている。帝国と国民がこの戦争を乗り切るには英雄が必要だ。お前にはこれからいろいろなことを求めることになるだろうが、私とともに戦ってほしい」
「もちろんです、陛下」
ハインリヒの求めにアレステアが意気込んで応じた。
「私たちはこれから大勢の国民を戦場に送ることになる。私は皇帝として、お前は英雄として国民を戦場に向かわせ、大勢を死なせることになる。全てが終わった時、メクレンブルク宰相は自分が責任を取ると言っているが……」
「……僕はどうすれば責任を取れるのでしょうか……」
「分からない。どうなるのかも全く」
アレステアの呟きにハインリヒがそう言った。
「何はともあれまずは勝利しなければならない。最大の責任の取り方は犠牲者の貢献を無駄にすることなく、成果を出すことだ。勝利することが最大の義務であり、責任だ」
「ですね。勝利しましょう」
戦死したものたちの犠牲を無駄にせず、勝利する。それが重要だ。
「陛下、失礼します」
そこで応接間の扉が開かれエドアルド侍従長が入室した。
「どうした、エドアルド?」
「メクレンブルク宰相が陛下とアレステア卿にお話があるとのことで、お待ちになっています。ご案内してもよろしいでしょうか?」
「メクレンブルク宰相がか。通してくれ」
「畏まりました」
ハインリヒが言い、エドアルド侍従長がメクレンブルク宰相を案内してきた。
「陛下。急な訪問に応じていただきありがとうございます」
「前置きはいい。何が問題になっている? 私とアレステアに用事があるということは魔獣戦争に関係することなのだろう?」
メクレンブルク宰相が頭を下げるのにハインリヒが渋い顔をして言った。
「次の皇帝大本営にアレステア卿に出席を願いたいと思いまして陛下の許可をいただきたいのです。皇帝大本営は法的には皇帝陛下の戦争指導を支えるというものとなっておりますので、陛下に決定権があります」
「ふむ。アレステアに何を求めるつもりだ?」
「アレステア卿はゲヘナ様の眷属であり、死霊術師と戦っておられます。それが重要となるのです。我々の敵は旧神戦争の戦士たちだけではないということについてアレステア卿の発言には説得力があります」
ハインリヒとメクレンブルク宰相の関係は悪いわけではない。この戦時において形式的な指導者であるハインリヒと実際の指導者であるメクレンブルク宰相は協力してる。
ただ、メクレンブルク宰相はあくまで政治家という人種であり、人を利用する人間であることが、ハインリヒには好ましくないと思うことがあるだけだ。
「分かった。許可しよう。エドアルドに頼んでおく」
「ありがとうございます、陛下」
ハインリヒが同意し、メクレンブルク宰相が退室した。
「我が友。すまないが次の皇帝大本営に出席してくれ」
「はい。できることがあればやります」
アレステアはそう意気込んだ。
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