戦時下の帝都

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 ──戦時下の帝都



 アレステアたち葬送旅団は一度帝都に戻っていた。


 タラニス作戦という魔獣猟兵の大攻勢において葬送旅団を戦略予備として温存するという軍の方針からであり、葬送旅団隷下のケルベロス擲弾兵大隊における人員の再編成のためでもあった。


「久しぶりの帝都ですね」


 アンスヴァルトは帝都のムートフリューゲル空軍基地に停泊し、アレステアたちは久しぶりの帝都の様子を眺めた。


 ムートフリューゲル空軍基地は警戒態勢にあり、無数のレーダー連動の高射砲が配置され、軍用犬を連れた警備の兵士たちが巡回している。


「では、私はケルベロス擲弾兵大隊の人員再編のために近衛騎兵師団駐屯地に向かいます。アレステア卿たちは行き先をテクトマイヤー大佐に連絡しておいていただければ、どこに行ってくださっても構いません」


「はい」


 シーラスヴオ大佐はアレステアにそう言い、アレステアは頷いた。


「さて、何しようか、アレステア少年?」


「えっと。特には」


 帝都に戻って来たもののアレステアにはやりたいことは特になかった。


「カーウィン先生は何か予定はありますか?」


 アレステアたちに同行しているルナにアレステアが尋ねる。


「ふむ。私は何か甘いものが食べたいぐらいだね。一緒に喫茶店にでもいかないかい、アレステア君?」


「じゃあ、一緒に」


 ルナがそう提案するとアレステアが頷いた。


「んじゃ、あたしとレニーはお酒飲めるとこに行くよー。テクトマイヤー大佐にちゃんと伝えておかないとね。今は戦時であたしたちは軍の所属だから」


「ええ」


 アレステアたちはいつ出動命令が出て、基地に戻らなければならないか分からない。休暇とは言え届け出はちゃんと行う必要がある。


 アレステアたちはテクトマイヤー大佐に届け出を出したのちに、それぞれ帝都での暫しの休暇を楽しむことになった。


 アレステアとルナは帝都の繁華街に向かう。ルナの運転で軍用四輪駆動車を走らせ、帝都の街並みを眺めながら進む。


「活気がなくなっちゃいましたね……」


「徴集が始まったせいだろう。人々は軍役に就くことを求められている。いきなり全員を動員はしないだろうが、かなりの人々が軍に召集されて、訓練を受けて、前線に派遣されている。そのせいだね」


 ハインリヒの緊急勅令によって布告された招集に関する法律によって帝国の戦える男性は軍に召集されている。帝都においてもそれは例外ではない。


「招集されないのは軍の即席士官に志願しているか、特別な技術を有しているか、心身に障害があり軍役に不適格な場合のみとなっている。多くの人が戦争を戦っている」


「このまま戦争が続いたらどうなるんでしょう?」


「経済統制が始まるだろう。働き盛りの男性たちを軍に動員すれば労働力は低下し、軍需品の生産が優先されることで民需品の生産は低下する。食べ物や衣類も配給制になり、経済的に大きく冷え込むだろうね」


「良くないことが続くわけですね。早く戦争が終わるといいのですが……」


 ルナの言葉にアレステアが暗い顔をして人通りの少ない帝都の通りを見つめる。


『帝国と皇帝陛下に神の祝福を!』


『軍は君を求めている!』


 帝都の様子で変わったのは戦時のスローガンを描いたポスターが貼りだされていることだ。愛国心を高め、軍への協力を求め、戦時国債を購入することを勧めるポスターがあちこちに貼られている。


「戦争、か」


 アレステアはこれが戦争というものなのかということを体感していた。


「さ、着いたよ」


 ルナが車を止め、繁華街にある高級喫茶店の前で車を降りた。


 戦時下においてもまだ経済統制は行われておらず、喫茶店は営業している。


「2名様ですか?」


「ああ。2名だ」


「テーブルにご案内します」


 きっりとした給仕服を着たウェイトレスに案内されてアレステアとルナは木製の質のいいテーブルに着いた。


「私はティラミスとコーヒーにしよう。君はどうする、アレステア君?」


「えっと。レアチーズケーキとココアを」


 ルナが尋ねるのにアレステアがメニューを見て言った。


「コーヒーは苦手かい?」


「砂糖とミルクがあれば大丈夫なんですけど、苦いのはちょっと。あとココアが好きなんです。孤児院にいたときに寒い日はココアが出てそれが凄く楽しみだったんですよ。帝都に来てからも夜のシフトだとココアを貰えて」


 アレステアは少し恥ずかしそうに答える。


「思い出の飲み物というわけだね。私にとってはカボチャのスープがそれに当たるかな。昔大切な人がカボチャのスープが好きで、よく作ってあげたんだ。それが私にとって懐かしい思い出になってる」


「大切な人ですか? あの、カーウィン先生って結婚されてたりしますか……?」


 ルナが懐かしそうに語るのにアレステアが少し怯えた様子で尋ねた。


「いいや。結婚はしていないよ。大切な人というのはそういう意味ではないんだ」


「じゃあ、大切な人ってどういう人なのですか?」


「そうだね。君みたいな子だったよ。優しくて、笑顔の可愛い子」


 アレステアの問いにルナが優し気に微笑んで返した。


「そ、そうだったんですか。あははは……」


 アレステアの頬は真っ赤になっている。


「ご注文の品をお持ちしました。ごゆっくりどうぞ」


 そこにウェイトレスがやってきて、アレステアとルナが注文したケーキと飲み物をテーブルに並べた。


「いただきます」


 アレステアがレアチーズケーキを口に運ぶ。


 飛行艇でも甘いものは提供されるが頻度は低い。いくら調理専用の将兵を抱えている飛行艇と言えど嗜好品となる甘いものはあまり提供されないのだ。


 例外は補給艦と合流したときで、その際には補給艦にある保存の可能なクッキーやチョコレート、アイスなどが提供される。


「美味しいですね!」


「ああ。ティラミス、一口食べてみるかい?」


「いいんですか?」


「もちろんだとも。さあ、どうぞ」


 ルナがフォークにティラミスを乗せてアレステアに差し出す。アレステアは少し恥ずかしく思いながらもそのティラミスを口に入れる。


「美味しいです! チョコレートの味ですよね?」


「そうだね。この店はいいチョコレートを使っているみたいだ」


 アレステアが笑顔で感想を述べるのにルナも微笑んだ。


「ケルベロス擲弾兵大隊は再編成だということですが、どうなるんでしょうか? ケルベロス擲弾兵大隊の方々は負傷されたりしていないと思っていたんですが」


「士官の引き抜きだろうね。下士官を昇格させて士官にし、既に士官の地位にあるものを異動させて別の部隊の指揮を執らせる。そうすることで士官の数を増やすわけだよ」


「士官の数を増やすため、ですか」


 アレステアはルナの説明を受けてもそれがどういう目的なのか分からなかった。


「帝国陸軍には予備役の動員を前提としたカテゴリーII、カテゴリーIIIと分類される師団があるんだ。それらには師団の基幹となる部隊の指揮官だけは準備しておき、非常時に動員された予備役はその指揮官の下に入る」


「兵隊さんはいなくて指揮官だけを置いておくわけですね。そうすれば現役の軍人さんが指揮してくれる。なるほど。納得です。けど、それなのにどうして士官を増やすんですか? 準備してるはずでは……」


 ルナの説明にアレステアが首を傾げる。


「戦争の中で既に現役の士官の多くが死んだ。それで士官が足りなくなっているというのがひとつ。そして徴集によって集まった兵士によって臨時編成された師団においては全く指揮官が準備されていないというのがひとつ」


 そう、既に魔獣猟兵との激戦で多くの士官が命を落とした。前線で部隊を指揮する指揮官は当然ながら魔獣猟兵のコマンドによって司令部を襲撃されることで後方の高級将校たちも戦死している。


 また予備役の動員を想定しているカテゴリーII、カテゴリーIIIの師団と違って徴集兵によって新規編成された師団には指揮官となる士官が準備されていない。


 それ故に帝国軍全体で士官が不足していた。


「即席士官の養成も始っているようだ。大学などで即席士官に志願した場合、徴集対象にならないという試みも行われている。志願する学生たちも少なくないらしいよ」


「士官ってそんなに簡単になれるものなのでしょうか? 士官になるには軍事についての知識が必要でそれって凄く難しいことだと思うですが。軍隊の指揮をするのって大変ですよね?」


「意外とやることはシンプルだよ。思ったほど難しくはない。アレステア君、チェスをやったことはあるかな?」


「いえ。ありません」


「チェスをやれば分かるのだが、軍隊の指揮というのはある程度のパターンに従っていれば行えるものなんだ。軍隊にはマニュアルがある。敵の行動と地形から導き出される答えが提示されていて、それを暗記すればいいだけなんだ」


「そうなんですか?」


「私が知っている限りはね。しかし、そんな簡単なことでも敵の砲火に晒されている中では混乱で指揮できなくなることがある。ボードの上の戦いであるチェスと違って戦争では部下はもちろん自分自身も死ぬことがあるんだから」


「そうですよね。僕も戦争を戦って分かりました。敵から狙われているっていうことは凄く怖いことだって。僕は死なないから勇気を出せるけど、他の人が死ぬんじゃないかって心配になります……」


 ルナの説明にアレステアが悲しそうに視線を落とす。


「君は優しい子だね、アレステア君。だが、君が背負い過ぎる必要はないんだよ。君はひとりの少年だ。君に責任なんてない。この戦争は君が起こしたわけでも、君が指揮しているわけでもないんだから……」


「でも、僕はできることをしたいんです。後になって後悔することがないように。僕はゲヘナ様から加護を受けたんですから、それだけできることは多いはずなんです」


 ルナが少し悲しそうに語るとアレステアが意気込むように答えた。


「そうか。神の加護を君はそう捉えているのか」


 ルナが視線を落とす。


「神の加護を君は望んで手に入れたのかい? 今の状況は君が望んだ結果か?」


「望んだわけではありませんが、人生はいつも自分の思い通りになるものでもありませんし、巡ったきたことは受け入れます。そして、その上で諦めず、できることをやります。僕は生まれたときから祝福されていないので……」


 アレステアは孤児だ。それも恐らくは迷信故に捨てられた子だ。生みの親にすら祝福されず、誰にも愛されなかった。


 最初からアレステアの人生は望んだものではない。


「君は優しくもあるが、強くもあるのだね。君は本当に立派だ」


 ルナが微笑む。


「しかし、時には挫けることもあるだろう。悔やむこともあるに違いない。そんなときは私を頼ってほしい。私は君を支えたいんだ」


「ありがとうございます、先生。頼りにさせてもらいます!」


 ルナの言葉にアレステアが嬉しそうに笑った。


 それからアレステアとルナはケーキと飲み物を味わい、喫茶店を出た。


「カーウィン先生。基地に戻りますか?」


「君はどうしたい?」


「少し先生と一緒に帝都を歩きたいです」


「ふむ。では、飛行艇の中で時間を潰すのに良さそうな本を見て回ろう」


 ルナがそう言って軍用四輪駆動車を走らせ、今度は書店に向かう。


 帝都にはいくつかの大きな書店がある。古くからの歴史ある書店も帝都にある。神聖契約教会が神々との契約を記した契約書が活版印刷によって発行され始めた時期から書店は数を増やしていった。


 今では帝国の様々な地方の文化が生み出す文学作品が帝都に集まっている。


 ルナはそんな書店の中でも扱っているのが技術書や教科書ではなく、娯楽作品を扱っている店の前に車を止めた。


「アレステア君。君はいつもどういう本を読んでいるのかな?」


「本はあまり……。学校で教わった作品は読みましたが、本は高いですから……」


「なら、私が君に本を選んであげよう」


 ルナはそういいアレステアを連れて書店に並ぶ本棚を見て回る。


「君は英雄や冒険の話は好きじゃないかい?」


「孤児院では冒険の話はよく読み聞かせてもらいました。作品名は覚えてないんですけど、面白いかったです」


「それならそのような作品を選んでみよう」


 ルナはそう言い、あらすじなどを説明しながらアレステアのために3冊の文庫本を購入し、プレゼント用に包装してもらってアレステアに渡した。


「文学人生を豊かにしてくれると言われる。戦いばかりではなく、夢と希望のある物語の世界に夢をはせることも精神の安定に繋がるはずだよ」


「ありがとうございます、先生」


 アレステアはルナから渡された本を大事そうに抱きしめた。


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