最終話『それは喘月という名の妖刀――』

 慶長十一年が明けて、しばし。

 旅支度を調えた宗章と藤斬丸は、日本橋で落葉御前の見送りを受けていた。


「小太郎も御嶽も顔を見せぬとは、よほど宗矩にこき使われておるようだな。ふふ」

「彼らは、後始末を。宗矩さまは新年の挨拶の後、大納言さまのご機嫌伺いにて」

「いま登城中か。仕事熱心だ喃」


 松も開ければ、人の波もごった返そう。

 東海道の始点であり終点、日本橋の端に立ち、宗章は腰の脇差しをぽんと叩き、「何かあれば、いつでもよんでくれい。ま、金次第だがな」と、どこか寂しそうに御前へ。


「お金を出すのは、但馬守さまですわ」


 こちらも、実にそつがない。

 そこで、御前は藤斬丸に微笑みかけ、「どこへ向かうのです」と問いかける。

 彼女は「ん」と考えると、「薩摩へ。郷義弘の太刀を尋ねようと思う」と恥ずかしそうに語る。


「八丈島も、浅間山も火を噴いた。次は桜島ぞ、と脅かしたのだが、いうことをきかん。ま、郷義弘といえば正宗十哲のひとり。かの太刀を尋ねてみるのも乙なものよ」


 あれから、正宗は刀を鍛ち続けた。

 妻を嫉妬から斬り殺し、それでも作刀を続けられるものなのだろうか。そんな疑問も心に思い浮かんだが、宗章は「きっと、忘れたのだろう」と、正宗の記憶を糧に月琴が鬼になり果てたからこそ、彼は刀匠として生きていけたのだろう。


「しかし、但馬守の兄が、薩摩入りですか」と御前。

「行っては帰れぬ、薩摩片道飛脚。とは言うがな、俺は天下の素浪人。なんとかなるだろうて」


 見上げれば、身を切るような風。小寒、大寒を経れば、この寒さも彼岸までだろう。南は温かいと聞く。


「薩摩に行きがてら、安芸と周防を冷やかしてくるつもりだ。さて、こちらは少しからかってやってもよいと思うておる。――で、御前」

「なんでございましょう」

「やはり、宗矩が配下となるか」

「世話になりましたし、なによりも今生は善として生きると父母に誓いし身なれば。……不善だと思えば聞きませぬ。これでも、鬼です故。ふふ」

「宗矩は柳生の意地を忘れぬ男よ。大丈夫。まあ、怒らせなければな」


 柳生の維持。

 仁と義、それに勇。

 それがあれば、宗矩の代で影は生まれぬだろう。


「蜘蛛鬼の御前か。江戸の守りは厳しくなるな。小太郎も目を光らせ、御嶽も鼻をきかせておる。で、周防薩摩への道すがらも、やはり妖魅のものどもは多いのか、御前」

「多ございます。人ほどではないですが、猫ほどはいると思うておいたほうが。なに、鬼と縁が結ばれたれば、向こうから顔を出すこともあるでしょう」

「なるほど、それは楽しみだ」


 破顔一笑。

 そして、藤は今生の別れやも、という顔で、御前と向き合いながら、その胸に顔を埋める。


「御前、元気で」

「藤も壮健で、達者でね」


 見つめ合い、そして彼女は「おれ……私、造りたい刀がある。それを造るために、旅をする」そう言い切った。

 御前は「まあ」と顔を輝かせ、藤を抱きしめ直す。


「よい。それはよい。素晴らしいことよ、藤斬丸。あなたは刀の申し子、きっと素晴らしい太刀を鍛ちましょう。――」

「うん。きっと、きっと」


 しばしして、離れるふたり。


「では達者で。――」宗章は御前に、一礼。

「お世話になりました」御前も、これに礼で応える。

「じゃあ、いってきます」藤の別れは抱擁で済ませてあった。


 旅人ふたりは、鬼に背を向け、振り返らずに西へ。

 東海道を進み往く。

 その背を見送り、しばししても、御前は動かぬ。

 動かぬが、ふと、深く頭を下げ、直る。

 彼らの姿は、もう人の向こうへ。鬼の目でも、もはや見えぬ。


 そして、川崎へと向かう藤と宗章。


「造りたい刀か。どんな刀なんだ、藤斬丸よ。――」

「ん、ああ、刀ね。ええと……」


 と、藤斬丸が背負子の中から器用に数枚の黒い鉄片を取り出す。左右の手で、結構な量である。


「これは……」と宗章。

「こっちは鋳つぶした『喘月』と、こっちが鋳つぶした『大垣正宗』」


 あっさりと白状する藤に、思わず「なんだと」と問い返す宗章。こうまでしてやられたのは、久しぶりである。


「これで、私は刀を鍛ちたい。三百年、人の陰を吸ってきた鉄に、今度は光を与えてあげたい。人の情念は、悪い物ばかりじゃないと知ったからな」

「そうではない、藤。『大垣正宗』っていったか。徳川の宝物、宗矩が借り受けていた、あの『真打ち正宗』だろう、いやあっちが影打ちだったか。――」

「そうだよ」


 あっさりと。


「鶴岡八幡宮で使ったら、が生じたっていうんで、内緒で一振り偽物を造ったんだ」


 刃切れとは、刃に奔った亀裂のことである。

 研ごうが何をしようが、修繕がきかぬ破損である。これは、刀の価値を大きく損なう傷である。


「さては師走に越前康継の工房にこもって造っておったのはそれか。宗矩に頼まれて。ああ、こりゃあ大きな貸しだな、藤よ。ははは、あの宗矩が。ふふ、怒り心頭、刃切れに出たか、ははは。――お互い、まだまだ未熟よな、宗矩よ……」

「会心の出来だった。まあ、ばれないだろうよ。銘も切らなかったし、りっぱな『正宗』だ。で、こっちは証拠隠滅のため、鋳つぶした。ふふ、儲けた儲けた。いい鉄だからな」


 なるほど確かに、刀の申し子だ。

 宗章は彼女が持つ鉄塊に目を落とす。

 兄弟刀の鉄である。


「お主の鍛つ刀は、どんな銘をつける。やはり、藤一文字か」

「いや、このふた振りの刀の子だ。もう決めてある」


 彼女は鉄を両手に天へと押し頂き、言う。


「『落葉らくよう』――」


 人の思いを力とする願いを込められし鉄。

 かつてそれは喘月という名の妖刀であった鉄。

 それは陽光に清然と輝き、新しく産声を上げるのを待つ希望であった。






『それは喘月という名の妖刀』 完

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