第51話『そは落葉の褥より』

 反魂香が、過去の情景を浮かび上がらせる。

 正宗は、月琴は、譫妄じみた不可思議な幻覚を見せられていると感じた。が、反面、それは真実そこにあった情景であると確信する力も持ち合わせていた。


 備前長船、正宗が工房が西、その山林。

 望月の輝く夜、死して三日三晩の後のこと、むくりと起き上がる女の体。胎が割け、胎盤ごと抜け落ちた傷は、塞がっていた。

 乳黄色の瞳、恨みの瘴気。

 鬼と化した月琴の姿。


 彼女は正宗の工房に、よたよたと、鬼火をまとい戻り往く。

 己が『正宗』を献上しに京へと上っていた五郎入道は、折り悪く、いや、運よく留守にしていたおかげで命が助かった。

 月琴は、工房の隅で鏨打たれた己が鍛刀が放置されてるを知り、それを抱き、鬼哭。血涙が刀身に染みこみ往き、彼女の妖気は『喘月』へと注ぎ込まれてゆく。

 その愛憎怨怒、いかばかりか。

 愛は転じると、恨み骨髄と変生する。

 男を恨む女と子の無念、認められぬ無念を下地にした、贄を沸とする妖刀が、このとき産声を上げたのだ。

 産声は、産みの慟哭と合わせ、獰猛な鬼火を巻き起こし、彼の工房を火の海としたのだ。


 場所は移る。

 月琴の無念を吸いし『喘月』は、その刃文を雄々しき華美に変えていた。

 正宗が献上した太刀に遅れること十日、京へ――宮中へと、彼女は正宗作、『袈裟懸け月一文字』と偽り持ち込んだ。

 あとは、流転である。

 佐渡の本間入道に渡り、日野資朝の首が贄として捧げられる。

 数多の血を吸い、刃文を変え、雄々しき華美はさらに人を狂わせ、魂を束縛し閉じ込めていく。


 月琴は、恨んでいた。

 男の世を。

 喘月と名付けられし太刀を、ときの権力者や豪族の元に運び、彼らの自滅を招いては力を付けてきた。

 そして、室町の世が滅びる最中、戦国最後の戦の機運が高鳴る中、毛利輝元へと彼女は喘月を献上する。


 そこからは、知るとおりの流れ――関ヶ原であった。

 西軍が勝つにしろ、毛利は喘月で自滅する。

 東軍が勝てども、毛利の呪いで滅びる。

 さすれば、あとは宮中……。

 そう考えていたが、誤算は毛利の野心のあまりの純粋さと強さであった。彼は喘月の呪いに飲み込まれず、これを利用したのだ。

 さらなる誤算は、戦国末期から江戸期にかけて、武術を極めつつある者の中から、柳生宗章のような男が現れたことだ。

 喘月に惑わされず、使いこなす男。

 最大の誤算であったろう。


「あるところに、おんな、ありけり――」


 遠く、宗章の声がふたたび過去の映像を映し出す。

 月琴が斬り殺され、鬼として生まれ直した、その山野。

 ひと月か、ふた月か。

 一年か、二年か。

 十年か、二十年か。

 望月の夜だった。

 堆積していた腐葉土の中から、か細き手が……空を、月を掴みたいのかと、若芽のように伸び出たる。

 女の腕だった。

 声は上がらない。

 女の体は、未だに落葉の下に埋まっている。

 ――正宗。

 ――月一文字。

 言葉も覚えぬうちから、女は何かにとりつかれていた。

 腕がもう一本、とびだす。

 もがくように、落葉をかき分け、その真白き姿、その上体を起き上がらせる。髪長く、切れ長であるが、優しげな眼差し。そして乳黄色の、目。――鬼である。

 身体を起こす。

 双丘が揺れ、その下腹部から、臍の緒が――落ちる。

 その痛みに、彼女は初めて我に返った。


「うう――」


 そんな彼女の呻きが、過去の彼女の呻きが、現実――永久寺の前庭に響く。


「うう――」


 落葉御前は、頭を抑えて、涙を流していた。

 時も、場所も、現代へと帰り戻っている。


「みられしか」


 柳生宗章は、三人へと向け、そう尋ねる。


「御前。――」


 彼は断言する。


「お主は、正宗とお月の子ぞ」

「なんと……。――」


 御前は絶句した。

 己が素性を見せられ、しかもそれが真実そうであったと分かってしまったからだ。


「目は、母似だな。気の強さは親父譲りか」


 宗章は、「と、いうことだ」、と正宗の肩を叩き、月琴へにやりと笑う。


「お主らの子は、ここに生きておる。こやつが許せば、あとはもう好きに致せ」


 宗章は、それだけ告げると、愛洲一信斎が残した刀と着物を手に、隅へと座り込む。

 残された三人は、顔を見合わせて、言葉を失っていた。


「わたしには、金乗院での邂逅から、以前より見覚えがあるように感じておりました」


 やっと、御前は呟いた。


「胎よりこぼれ落ちた私を、あなたは気づかなかったのでしょう。死んだと思うのも仕方がありません。……母が、――」


 と、何故か自然に、御前は月琴を母と呼んでいた。


「母が鬼となったように、つながりし私も、鬼となっていたので御座いましょう。いま、やっと、自分の生まれが分かりました。――」


 涙を流す御前。

 三百年あまりのわだかまりと、正宗と月琴に感じるもどかしさの理由が氷解した。


「……母と呼ばれる資格は、私にはない」月琴はしかし、哀しげに顔を伏せる。

「どうして父と名乗れようか」正宗も、般若の顔を捨て、人の顔を伏せ、背ける。


 御前は何も言えなかった。

 しかし、どこかふたりが何かを諦めたような、しかし決めたような気配を感じた。


「お主も、我らが刀に生を歪められしか。不憫なり。……その宿業、背負わせ続けるわけにはいかぬ」


 正宗は、「お月、お主はやり直せ。三百年悪を重ねたなら、千年、善を為せ。俺はもう、死んでいるゆえ手伝えぬ」と、月琴にひとつ、しかし深々と頭を下げる。

 しかし月琴は、その深き謝罪に静かに首を振る。


「怨に生きるは、もう疲れ申した。善に生き直すのも、命に申し訳が立ちませぬ」

「では、その善。この落葉が背負いましょう」


 顔を上げ、しっかりと御前は両親に向かい告げる。


「この先、千年でも、鬼の命ある限り、世の民草のために力を尽くしましょう。おふたかた、どうぞ、その宿業を私に背負わせくださいまし」


 ふたりは、顔を合わせて、神妙に頷いた。

 彼らは、ふと背後の黄泉比良坂を見やる。香はそろそろ尽きかけ、まもなくこの地獄の入り口は閉じられよう。


「……千年か」と、正宗。

「永ぉございますね」と月琴。


 ふたりは立ち上がる。

 鬼口上の呪縛は、とうに解かれていた。


「逝くのかね」


 そう宗章は問いかけた。


「逝く。――」正宗は頷く。

「ともに」月琴も、憑き物が落ちた顔だ。

「左様か。――」宗章は、居を正し手を合わせる。


 おんかかか、みさんまえいそわか。

 おんかかか、みさんまえいそわか。


 御前も、手を合わせ、彼らが背を向け、ともに比良坂を下りゆくを見送る。


 おんかかか、みさんまえいそわか。

 おんかかか、みさんまえいそわか。

 おんかかか、みさんまえいそわか。

 おんかかか、みさんまえいそわか。


 彼らはいちど振り返る。

 そしてしっかりと御前の顔を見ながら、表情を変えることなく――彼岸の向こうへと消え去っていった。


 刹那。

 ――びしっ。

 鞘の中で、ついに喘月が音を立て折れ砕ける音を聞く。

 宗章は、そっと朱塗りの鞘を撫でる。


 見上げれば、もとの星空。

 遠く、喧噪が戻ってくる。


「おお。――」


 ごおおおん。

 重い鐘の音だ。

 永久寺ではなく、近隣のどこかの鐘だろう。


「おんかかか、みさんまえいそわか」


 何度目の鐘か分からぬが、その除夜の鐘を聞きながら、宗章はあのふたりを思い、地蔵菩薩の真言を口にする。

 御前が、彼の前に。


「知っていたのですね」

「怒っておるのか」

「怒らぬとは約束しておりませなんだ」

「藤、助けてくれ。――」


 宗章は、妖力を使い果たして大の字に倒れ込む藤斬丸を目にすると、観念したように頭を下げる。


「すまん」

「許しましょう」


 ふふ、と笑って、御前はふたたび手を合わせる。


「おんかかか、みさんまえいそわか」


 最後にそう祈り、藤を宗章に背負わせ、促すように寺の山門を潜る。


「蕎麦でも食って帰るか」


 どうせ、甕底顔の蕎麦屋が屋台引いて近くにおるだろう。

 宗章は懐をさぐり小銭の音を聞くと、藤を背負い直し、ひとつ冷たき夜気を吸う。


「さあ、帰ろう」





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