真相を前に目を瞑る
* * *
『機会仕掛けの竜』があるからこそ、ノーヴェがあるといってもよかった。
『花憑き』を研究する機関であり、ノーヴェ女学院とも提携している。だから時に、学生の中から「治験・実験協力者」や「研究協力者」を募集することがあるのだ。
あれは十五歳の時、迫る卒業に、私とロジエが進路をどうするか悩んでいる頃だった。
「姉さん、治験・実験協力って、どうかな?」
治験・実験協力者募集のポスターを見て、私は姉に提案した。治験や実験であるから、希に危険が伴うことはあるだろうが、その場合はちゃんと説明がされ、拒否権もあると、私はあらかじめ知っていた。だから私は、迷うことなく姉に勧めたのだ――もしかすると、姉の頭から、蕾が消えるかもしれないと思って。
とにかく私は、姉の蕾を消し去ってやりたくて仕方がなかった。救いの光が、彼女を照らすことを望んだのだ。
その頃の姉の蕾は、うっすらとピンクに染まって、膨らみも大きくなっていた。
姉は、もしかすると怖かったのかもしれない、数日悩んだ末に答えを出した。
「ロビンが言ってくれたし……受けてみるのもありかもね! うん! それもいい道かも!」
治験・実験協力者になることによって、もしかすると、最先端の治療が受けられるかもしれなかった。実際、それで開花を遅らせた例はいくつもある。私はそれに期待した。
結果としては、はっきり「うまくいった」とは言えなかった。
うまくいったのかもしれない。そうではなかったのかもしれない。
姉は二十歳まで生きることができた――もともとそういう運命だったのか、治験や研究結果によるものか、わからなかったけれども。
とにかく。
そこまでが限界だった。
死神は姉の魂を握りしめて、放すことはなかった。
『あと数日、というところです』
こんな言葉、もしすると、治験を勧めなければ聞かずに済んだかもしれない。わかっていた方が幸せだったのか、知らなかった方が幸せだったのか、いまでもわからない。
「ロビンったら……本当にこれが嫌いなのね」
姉はやはり、にこにことしていた。ベッドの上、上半身を起こして、自分の蕾を触っていた。薄いピンク色は瑞々しく、丸く膨らんだ様子は、甘い香りを蓄えているように思えた。香水もつけていないのに、姉からはいい香りがした。
「嫌いに決まってるよ……」
ここまでやっても、姉を助けることはできなかった。気付けば私は泣いていた。けれども、悲しいからではない。ただただ、憎かったのだ。苛立っていたのだ。
そんな私を、元気づけようとしたのかもしれない。
「――ロビン、実はね……あと一つ、受けられる実験があるの」
「……それを受けて、どうなるっていうの」
最初に勧めたのは私だったが、どうやっても何も変わらないことを、もう知ってしまっていた。だからそう言ってしまったものの、姉が私の唇に、人差し指を押し当てて黙らせた。陶器でできたような指は冷たかった。
「……それが成功したら、すごいことになるのよ」
悪戯っぽく、姉は笑っていた。
思い返せばあの時、よくそんな表情ができたと思う。
命懸けの実験であったのに。
――実験は失敗に終わった。
開花を目前にした姉が受けた実験。それは「切断実験」だった。
通常、『花憑き』の蕾というのは、切り落とすことができない。蕾を傷つけると恐ろしいほどの激痛があるというし、切り落としたとしても『花憑き』は命を落とすと言われていた。しかしその実験は綿密に考え抜かれたものであり、『花憑き』の命を救うべく、実際に可能な手術であるかどうか試された。
そして、失敗した。
「姉さんはどこ!」
姉の危篤を聞かされて、私はすぐさま『機会仕掛けの竜』研究病棟へ駆け込んだ。
すぐに研究員達が一室に案内してくれたが。
「……姉さん?」
ベッドの上に横たわっていたのは、おおよそ、生きた人間とは言えないものだった。
頭に蕾はなかった。蕾こそ、なかったのだ。
ところが、簡単な寝間着を纏ったそれは、骨がないのではと思えるほど細く、茶色く干からびて、まるで植物の根を思わせた。手足や頭ばかりが大きく、怪物といってもよかった。
髪の毛もほとんど抜けてしまったミイラのようなそれは、けれどもひゅうひゅうと確かに息をしていて、目もかすかに開いていた。
ようやく私は、それが姉だと認めざるを得なくなった。瞳の色は、私と同じだったから。
「どうしてこんな実験を!」
私は近くにいた研究員の胸ぐらを掴んでいた。そこで出されたのは、姉のサインがはいった同意書だった――危険性についても、全て記されている。それも了承して、姉はサインしていた。
一度も相談されたことのない内容だった。後に知ったが、両親も聞いてはいなかったらしい。姉は、この危険な実験に協力すると、一人名前を刻んだのだ。
愕然としてしまった私は、もう姉に駆け寄るしかなかった。どうしてこんなことを、なんて声をかけることもできない。
忌々しかったあの蕾は、もうどこにもなかった。けれどもこんな結果は、望んでいなかった。
「ロ、ビン……」
萎びた人間の瞳が、微かに動いた。腕を上げようとしたのかもしれない。いくつものチューブに繋がれた枯れ枝のようなそれが、震える。声はまるで隙間風のようだった。
「私の、花……」
「――花?」
「私の、花は……」
私はすぐに立ち上がってあたりを見回した。そういえば、姉から切り離したという例の花は、どこにあるのだろうか。
すぐに見つかった。研究資料の並ぶ机の上、ガラスケースがあった。
中に入っているのは、茶色に枯れた何かだった。私には、すぐにそれが姉の花だとわかった。
見舞いの花のなれ果てのごとく、醜く枯れていた。だから私は、笑顔でそれを姉の前に持ってきた。
「あの忌々しい花は、枯れたよ。こいつは死んだんだ! だから姉さんは死ななくていいんだ、いいはずなんだよ、姉さん、どうか――」
濁りつつある瞳が、潤んだのを、私は見た。
枯れ果てたような人間が、かすかな水分を瞳に浮かべていた。
姉さん、と声をかける前に、姉の呼吸が乱れ始めた、ひゅっ、ひゅっ、とまるで息が吸えていないかのようで、姉には声を上げる余裕もない。
異変に気付いた研究員達がすぐに駆けつけた。私は追い出されてしまった。
――間もなくして、姉は息を引き取った。
どうしてそうなったのか、私にはわからなかった。
何もわからなかった。
ただ、治験なんて勧めなければよかったと、それだけは思った。
私は姉に、こんな死を与えたかったわけではないのだ。
ただ姉を愛していただけなのだ。花が憎かっただけなのだ。
花は死神なのだから。
けれども、どうして。
どうして枯れた花を見せた時、姉はあんなにも悲痛そうな顔をしたのだろうか――。
私は。
私は「それ」を理解したくはなかった。
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