死を愛でるな
* * *
フーシアはいつものように店にやってくる。花屋に来る人間というのは、大抵暗い顔をしていたり、縋りたい気持ちを隠さずやってきたりするものなのだが、彼女はどうしてか、いつも楽しそうに来るのだ。先にいた客がぎょっとしたときもあった。
彼女が来ると、どうしてか店の花が喜んでいるかのように見えた。
「ロビンさんの手入れする花って、本当に綺麗! いろいろ欲しくなっちゃうなぁ……」
フーシアは、今日は白い花を眺めていた。今朝咲いたばかりの花で、まだ売り物にはならない花だった。
「君、ピンクの花だろう?」
「でも、白い花も、赤い花も、青い花も、黄色の花も、全部綺麗なんだもの。これをまとめたら、もっと綺麗だと思うのに……」
そんな妙なことをする人間は狂人に違いない上に、そもそも『花憑き』のための花というのは、その頭にある花と同じ色のものを買うべきなのだ。
どうにも、フーシアは常識知らずのように思える。時折、制服ではなく、私服で来ることもあるが、あれは随分といいところのお嬢様に見える……まさかの箱入り娘だろうか。しかし少なくともノーヴェ女学院に通ってはいるのだから、世間のことはわかるはずだ。
本当に変な子だと思う。
――変だったのはロジエもか。
やはりあの子を見ていると、姉のことを思い出してしまう。自然と視線が裏方へと向いて、影にある写真立てを捉えた。
姉さんと、私。一緒に映っている写真だ。
……私はどうしてか隠しておきたくて、写真立てを奥に引っ込めた。
「ねえロビンさん! ここに出してないお花って、奥にあるの?」
カウンターに戻ってくると、まるで思い出したかのようにフーシアが駆け寄ってきた。私が頷く前に、彼女は遠慮の一つもせずに、上目遣いで尋ねてくる。
「今度、蕾の状態の花が欲しいんだけど」
「……咲くよ?」
思わず深く溜息を吐いてしまった。
花が咲いたら死ぬ。なのに、この子は蕾を欲しがるなんて、さすがに苛立ちを覚えてしまう。
「やっぱり……縁起が悪い?」
彼女はいつかのように駄々をこねなかった。少し自分を責めるように手を後ろに回し、肩を竦めていた。
「まあ買えたとしても……母さんに見つかったら、なんて言われるかわかんないか……」
――その時の、妙に寂しそうな表情。
微笑んでいるように見えて、静かに何かを抱え込んでいるような様子。蕾の薄いピンク色もあってか、ひどく儚げに思えた。窓から差し込む日光が、輪郭をぼやけさせる。
ああ、また姉を思い出してしまう。
姉もよくこういう顔をしていた。ベッドの上、上半身を起こして、こちらを見据えて――。
と、フーシアが不思議そうに首を傾げたため、私はさらりと視線を移す。店に出す花の準備に戻る。今日は紫の花が咲いたために、それを店内に出さなくてはいけなかった。傷みがあるか確認しながら、花瓶に移していく。
「ロビンさんは、どうして花屋を?」
踊るかのように様々な花を見て回り、いつもの薄いピンクの花の前にフーシアは戻ってくる。
「……さあ」
私は少し考えて、それだけを答えた。
――私自身、よくわかっていなかった。どうしてここにいるのか。だから答えようがなかったのだ。
ただ姉を失って、さまようように日々を過ごす中で、どうしてか花にひかれてしまってここで働き始めた。元は年老いた老人が一人で経営していたが、跡継ぎが来てくれたと、私に仕事を教えるだけ教えて去ってしまった。
フーシアは、ふふん、と笑う。
「きっと、花が綺麗だったからよね! ロビンさん、絶対花が好きだもの!」
私は黙っていた。否定の声を押し殺していた。高い音を響かせて、投げ入れるようにまた一輪、花を花瓶へ移す。
ただ、もう賑やかなのはうんざりだという気持ちが強くなっていた。
彼女が去った静けさも、好きではなかったけれども。
「それで、花は決まった?」
催促すれば、フーシアは結局、いつもの薄いピンク色の花を選んだ。香りが少し強く、渦を巻くように咲いた花だ。
私はさっさと花を包み、代金を受け取ればフーシアに渡した。フーシアは満足そうに花を眺めている。やはり、普通の人間がするような目ではない、花を前にきらきら輝かせるなんて。
そして私は、耳にしてしまった。
「――私もいつかこんな風に咲けたのなら」
ちょうど、花瓶を持ち上げた時だった。手から力が抜けて、花瓶が滑り落ちる。まるで雷が落ちたかのように白い花瓶は割れて、水が散った。紫色の切り花も散り、水の上、あたかも通りに捨てられた派手なゴミのように醜く浸る。
足が濡れて冷たかった。花瓶が割れた衝撃か、床に叩きつけられた際にか、ちぎれてしまった花弁が寂しく水面をさまよっていた。全ては一瞬の出来事で、我に返ればフーシアの悲鳴が脳を揺らしていた。
「ロビンさん! 大丈夫? 怪我は……ああ、お花もこんなになっちゃって……」
固まる私を前に、フーシアはカウンターに買ったばかりの花を置いて、水溜まりを踏みつつ落ちた花を拾い始めた。紫色の花から滴る雫が、午後の日差しにまるで涙のように輝いている。
「君さ」
ようやく私は口を開くことができた。見下ろせば、あの薄いピンク色の蕾がある。
間違いなくそれは、人の命を蝕む死神。
「そういうことは、言わないで」
「えっ? 何を」
彼女は変わらず無邪気で、顔を上げれば首を傾げていた。スカートの裾が水溜まりに触れて濡れていることにも気付いていない。
うずうずと、何か、自分の内側で蠢いているのがわかった。
「――咲きたいって。いま、自分が何を言ったか、わかってるの?」
「でもロビンさん、お花は好きでしょう? だから」
「嫌いだよ」
声は勝手に冷気を帯びていた。しかしこれでいいのだと、後になって私は思う。
いい加減、勘違いされるのも疲れてきた。
「嫌いだよ、花」
軽く足を動かせば、割れた花瓶の破片を蹴った。
座り込んだままのフーシアは、きょとんとしている。その様子に、私は顔を歪めてしまった。
「君……ちょっとおかしいんじゃないの? 花が好きとか、咲きたいとか。普通、そんなこと言う人いないよ……大丈夫?」
目前にある、まだ幼さを残した顔は、ゆっくりと蒼白になっていった。人懐こい印象を与える大きな瞳が、さらに大きくなる。
「そ、そんな言い方しなくても、いいじゃない……」
やがてフーシアはゆらりと立ち上がる。ふらついて、足下でぴしゃりと水溜まりが泣いた。
私は止められなかった。
――許せなかったのだと思う。
「死ぬのに花が綺麗だとか、好きだとか、おかしいよ。頭にある蕾を、何だと思ってるの?」
まるで何もわかっていないような態度が、許せなかった。
周囲の人間のことを知ろうしない彼女が、許せなかった。
静かな店内に、私の声を異様に響いた。瞬きをしてフーシアを見れば、彼女は拾い集めた花を両手で固く握り、金色の瞳を波打たせていた。
「そ、う……そうかも、しれないけど……」
金色が溶けて流れた。
「――私は……っ! こ、この蕾は、私のもので、私の一部なのよ! だから……っ!」
どん、と胸をつかれる。フーシアが手にしていた花を押しつけて来た。反射的に私は受け止めるが、フーシアはくるりと背を向けると走り出してしまった。乱暴にドアをあけて店を出ていく。街を行き交う人々が、彼女に驚いているのが見えた。ドアが閉まれば、あたかも世界が隔離されたかのように、外の風景は見えなくなる。静寂に支配される。
私は思わず、受け取った花を強く握りしめてしまっていた。茎が折れる、残っていた葉が潰れる。
けれども、静かな怒りは、刹那の白昼夢に呑まれて消える。
『私の、花』
植物の根に似た何かが、声を漏らしている――。
『私の、花は……』
……私は一人、震えながら店の中に立っていた。
振り返れば、明かりをつけていない裏方、写真立ての中で姉が笑っている。
最期には、変わり果てた姿になった彼女が。
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