好きな人には同じものを愛してほしいから
* * *
『この蕾は、私のもので、私の一部なのよ!』
頭の中で、フーシアの叫びが響く。
それは姉の口から、一度も聞いたことがなかった言葉だったけれど、
「……あの蕾は、あの花は、姉さんの一部だったの?」
私は尋ねざるを得なかった。
記憶の中で、フーシアと姉の姿が重なっては明滅して、まるで幻のように揺らいでいる。
「姉さんは……花を愛していたの?」
フーシアは、間違いなく花を愛していたから。
「……咲きたかったの?」
そして彼女は、願っていたから。
ところが、写真の中の姉は答えてくれない。
姉は変わらず笑っていて、あの薄いピンク色の蕾も、頭にあった。髪とともに、服の裾がなびいている。そういえば、この写真を撮った日も、姉は花の色に合わせて服を選んでいたっけ。
理解したくなかった。
けれども、フーシアの言葉は、きっと、姉の言葉でもあった。
私は確信するしかなかった。
きっとそうだったのだ。そうだったのに自分は。姉の気持ちを考えることもなく、とにかく花と切り離したくて。
……薄々、わかっていたことでもあったのだ。
そうでなければ、あの時、花に合う服を探していた姉に、服なんて貸さなかった。くだらないからやめてと、言えていたはずだった。ちゃんと現実を見てと、怒ることができていたはずだった。
そして、花屋になることも、なかった。
どうして私が花屋で働くようになったのか。
花に執着していたから。姉の愛した、花に執着していたから――。
「でも姉さん」
机に顔を伏せて泣いていた私は、写真立てを握る手に力を入れる。
「よくわからないよ」
顔を上げれば、涙が頬を伝ってしまった。
「姉さん、花を愛していたのなら、咲きたいと願っていたのなら、どうしてあんな実験を……」
からん、と音が響く。店のドアが開いて、足音が入ってくる。
我に返った私は、涙を拭い、髪を整えて裏方から出た。暗い場所から明るい店内に出たはずなのに、どうしてか、店の中は暗く思えた。花もいつもより質が落ちているように見える――実際に質は落ちていた。ここ数日、私は十分に花の世話をできていなかった。
店内にあったはずの光と色彩は、褪せてしまっていた。
しかし中央に、まだ輝きを失わない花が一つ。
薄いピンク色の、大きな蕾。
「……ロビンさん」
フーシアが店にやってきていた。学院からの帰宅途中らしかった。制服姿で、鞄も前に両手で持っている。
彼女が店に来たのは、おおよそ、十日ぶりだった。久しぶりに姿を見せてくれた。彼女は目があえば、つと下に落としてしまう。
「あの……この前のこと、謝らなくちゃと思って」
弱々しい彼女の声は、ひどく珍しかった。
「その……考えてみたんだけど、私、つまり『死にたい』って言ってるようなもので、普通の人から見たら……すごく気持ち悪かったなって……ごめんなさい」
謝る時だけは、彼女は正面を向く。そこで気付かれてしまった。ぱっちりとした彼女の瞳が、大きく見開かれる。
「ロビンさん、目元赤い……泣いて、た……?」
そして失言だったのではないかと、彼女は口を押さえて慌て始める。
私は隠すことも誤魔化すこともなかった。ただ、この子は思ったことや考えていることをすぐに口にするタイプだと気付いて、笑ってしまった。
この点は、私の姉とは、違うところだった。姉は、思っていることを口にすることは……私の知りたいことは、話してはくれなかった。
「……私こそ、君のことをよくわかってなかった。悪かったよ」
笑われてきょとんとしているフーシアに、私も謝った。それから。
「一つ教えて……咲きたいの?」
私の質問に、フーシアは一瞬気まずさを覚えたようだった。どう答えたらいいのか逡巡し、けれども彼女は、自分に正直に答えてくれた。
「咲きたい。この花が好きだから……咲くところが、見てみたいの」
やっぱり、そうなのだ。
ちくりと、少しの傷みがあった。けれども、曇り空が少し晴れたような気もした。
思わず目を瞑る。少しして開ければ、フーシアが再び気まずそうに表情を強ばらせていた。
私は、話したくなった。きっと、知りたかったし、知ってもらいたかった。
裏方から、姉の写真を持ってくる。
「……これはロジエ。私の双子の姉」
写真を見せた瞬間、フーシアははっとして姉に見入る。頭にある蕾が、自分のものとほとんどよく似ていることに気付いたのだろう、徐々に笑顔になっていく。
「ロビンさん、お姉さんがいたのね! しかも双子だったの! この人……私とおんなじ花だわ!」
そしてゆっくりと笑顔は消えていく。全てを察して、フーシアは私を見上げる。
「……五年前だよ。姉が死んだのは。二十歳の時だった」
「開花、したの?」
「……いいや、違う」
――私は全てをフーシアに話した。姉がどんな人物だったかを。どのように生きたかを。
そしてどのように死んだかを――何故開花できなかったかを。
最初こそ、私は懐かしい気持ちで微笑みながら話していた。終始そうしていたつもりだったが、実際は声を震わせたり、まとまりのない説明をしていたりした気がする。それだけではなく言葉に詰まったり、長いこと沈黙していた時間もあったりしたような気がした。
そのせいか、ふと顔を上げれば、窓の外は昼の白さを失って、橙色を帯び始めていた。けれどもフーシアは変わらずそこにいてくれた。
「……ごめんなさい。知らなかったの」
長い話が終わって、薄いピンク色の蕾が揺れた。よく膨らんだその蕾に、懐かしい香りを思い出す。
喉の渇きを覚えて、私は今更ながら紅茶を出した。長いこと自分もフーシアも立ったままで、椅子も出す。座り込んで一息つく。
「もういいよ、謝らなくて。私も、悪かったんだ」
私はすぐに紅茶を飲み干してしまったから、二杯目をティーポットから注ぐ。シュガーポットから砂糖を三つ入れると、フーシアに「ロビンさんって、甘いもの好きなのね」と笑われてしまった。
「君もおかわりは?」
「ほしい!」
「……私は砂糖を入れすぎるが、君はミルクをよく使うな」
フーシアのティーカップに新しい紅茶を注いだあと、私は新しいミルクも持ってきた。フーシアは金色のティースプーンで、静かに混ぜる。
「……ロジエさんもミルクティー派だった? あたしに似てるんでしょ?」
「ロジエはストレート派で、何も入れなかったよ」
「大人!」
「好みの問題だろう……」
私は笑ってしまった。
フーシアと姉は、やはり別の人間だ。性格も細かなところは違うし、好みだって違う。
しかし、思う。
「――君に会えて、姉の考えていたことが、ようやくわかった気がする」
正しくは、向きあえた、というべきだろうか。静かにティーカップを置いて、溜息を吐いた。
これほど落ち着いた気持ちになったのは、いつぶりだろうか。窓から差し込む夕日が、眩しくも心地よく感じられた。
だがまだ最後に一つ、引っかかっていることがある。
「ねえフーシア」
そろそろと顔を上げれば、フーシアが小首を傾げる。
彼女は姉ではない。しかし姉に近い感性を持つ人間だった。
「私にはまだ一つ、わからないことがあるんだ……姉が、切断実験なんて危険な実験を、どうして受けたのか。君は……どう思う?」
彼女の言葉が答えとは限らないだろう。けれども知りたかった。今からでも、姉を理解したかったし――フーシアのことも、理解したかった。
「ロジエさんは、花を大切にしていて、きっと咲きたいって思っていたのに、何で切り離そうって思ったかってこと?」
フーシアは、長くは悩まなかった。少し表情を曇らせ、すぐにぱっと明るくさせた。
「ロビンさん……ロビンさんは、花が好きじゃなかったのよね?」
「そう……そうだね」
「それが理由よ! ロジエさんは、ロビンさんに花を好きになってもらいたかったのよ!」
私ならそうする、と彼女は目を細めた。
「花が命を奪うから嫌いっていうのなら……危険なものじゃなくなれば、きっと好きになってくれるって、思ってくれたのよ。実験が成功してたのなら、花はもう憎むべきものじゃなくなって……ロビンさんも、花を愛してくれるって思ったんじゃないかしら!」
写真立ての中の姉が、より笑ったような気がした。
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