第13話
ウォーターランスは水属性の攻撃魔法の中でも高位のものだ。習熟レベルにより効果範囲は変わり、使用者から直線5〜8マスのキャラクターに命中する。貫通性能があり複数の対象にダメージを与えられ、威力減衰はない。ゲーム後半のザコ戦やザコ敵を召喚してくるタイプのボス戦で重用され、回復や補助魔法が主である水属性魔法の貴重な攻撃手段でもある。
シズクはゲーム後半でこの魔法を覚える。性格も性能も回復・補助役であるシズクがこのように強力な魔法を覚えるイベントは印象的で、シズクというキャラクターが愛される要素の一つであるのは確かだ。
走馬灯のように脳裏を前世の知識が駆けるのは、ある種の現実逃避だったのだろう。
マリーが茫然とする間に、目の前で行われる戦闘は刻々と激しさを増していた。
シズクの放つ水の槍は一塊の水が素となっている。水属性の魔法使いが初めに習得する水を生成する魔法だ。シズクは十分な量生成した水を自身の傍らに浮遊させ、射出し、外れたそれを再び手元に呼び戻している。
魔法使いとしては一級品、学生であることを鑑みれば天才と言っても差し支えのない技術だ。
「観念なさい! 邪悪に取り憑かれし者め!」
これが人に向けられた害意つきでなければマリーも感心しきっていただろう。
激昂するシズクに合わせ、水の精霊の明滅は激しくなっている。おそらくシズクの魔力の消耗も激しいだろう。
他方ジョバンニは表情を崩さず、飛来する水の槍を淡々と影の盾で弾いてやり過ごしている。手元にだけ薄く丸く作られた影の盾はひどく心許なく見える。しかしジョバンニは水の槍の着弾地点を的確に見定め、鋭く放たれた殺意を最小の動きで弾き飛ばす。強風に襲われた柳が滑らかにそれを受け流すような体捌き。
これが親しい人間同士の戦いでなければ感心して見入っていたところだ。
ジョバンニがシズクを見据える視線は感情が薄く、なにを考えているのかはわからない。他方、シズクの水色の瞳は鮮やかな敵意に染まっている。
「し、シズク、落ち着いて」
「いえ、これは必要な措置です。マリーは……おそらくあの男も、悪に騙されているのです」
シズクは額に汗を浮かべ、しかし瞳だけは猛禽めいて尖らせたまま集中を続けている。説得はできないだろう。
かといってジョバンニを説得し、抵抗を止めさせてしまうことはできない。ジョバンニが動かなければシズクの水の槍が頭なり喉なりを貫くだろう。シズクの狙いは的確で、射出される水は人体の急所を捉えている。
「いい加減、観念なさい!」
シズクの正義感の暴走は止まるところを知らない。
仮にこのままシズクが攻撃を続ければ、いつか魔力が枯渇し止まるだろう。が、それがいつになるのかは不明だ。
旧図書館が校舎から離れた場所にあるとはいえ、このまま戦闘が続けばいつ学生や教師に見咎められるかわからない。そうなればまずシズクは処罰の対象になるであろうし、一方的に襲われたはずのジョバンニとて対象になるやもしれない。これから闇魔法の評判を上げようというのに、いきなり頓挫するはめになる。
一体どうすればこの場を丸く収められるのか。
焦りの中、つとマリーがジョバンニを見遣ってしまったのは、やはりジョバンニが年上で知識も経験もマリーの数倍に及ぶからだろう。
ジョバンニは、癖の強い前髪の影でそうとわかるほどに笑っていた。目の前に突きつけられた殺意に怯えるでも、理不尽さに憤るでもなく、それは楽しそうに笑っていた。
白目の目立つ瞳。癖が強く長い前髪。色白を越えて青白くある顔色。裂けたように吊り上げた口元。
ジョバンニが浮かべた暗い笑みは、マリーの記憶にあるラスボス──この世界を混沌に陥れた闇の精霊王の表情と重なるものだった。
弾けたのはマリーの感情だった。
「……やめなさいっ!」
叫ぶ。同時、頭の中の冷静な部分が土の精霊を呼んでいた。視界の中でマリーの魔力に反応した土の精霊たちが眩く煌めく。
イメージしたのは壁だ。ジョバンニとシズクを分断し、冷静にさせるため。本人には触れず拘束する。
ど、と地面が揺れ、隆起する。木が芽吹きやがて大木となる様を早回しにしたかのように、土の壁がジョバンニとシズクを囲う。
その時シズクはまさに水の槍を放ったところだった。土は水を捕らえる。鋭い勢いに土の壁は削られはしたが、マリーの魔力を潤沢に吸った土の精霊たちはしっかりと水の精霊を内に閉じ込めてくれた。
もし仮にシズクが万全の状態であったら、水の精霊たちは無理やりに引き剥がされ、再び水球として集っていただろう。シズクが幾度も水の槍を放ち、疲弊していたがために成せたことだ。
土壁に囲われたシズクが何事かを叫んだ。内容をマリーは精査できない。
「落ち着きなさい! 先輩は、悪い人ではないと、言ったでしょうが!」
マリーが叫び返し、シズクはようやく沈黙する。
「話を聞いてほしいと、私は言ったでしょうが! 大事な先輩だから、まずは話だけでも聞いてほしいって! いきなり攻撃するなんて失礼です!」
こんな大声を出すのはいつぶりだろうか。貴族は鷹揚に、冷静に構えていなければならない。怒りに任せて怒鳴り散らすなんてもっての外だ。マリーは母親の言いつけをきちんと守っていたのだ。今日この時までは。
「先輩も! シズクで遊ばないでください!」
他方の土壁へ叫べば、薄っぺらな影色の手が壁の上からひらひらと振られた。降参、とでも言うかのような仕草だった。
シズクは無力化し、ジョバンニも敵意はない。マリーは肩で息を吐き、脱力する。精霊によって保たれた土の壁は、マリーが役目を終えたと意識したことにより早回しで風化していく。
「マリー……おっきい声出せるんだねぇ」
恐る恐る、といった風情の声にマリーは振り向く。唐突に多量の魔力を使ったがためにめまいがして、素早く行動することができない。
「シズクもマリーも、すごいね」
エスメラルダが呟く。
アドリアーナとエスメラルダは、手を取り合ってシズクとジョバンニの攻防、そしてマリーの仲裁を見守っていたらしい。──硬直していた、とも言い換えられるだろう。
「えっと…………ごめんね?」
なぜ自分が謝ったのだろうか。マリーは口にしてから首を傾げた。
「すまなかった。対人戦が久しぶりだったもので、つい楽しんでしまった」
かさの減った土壁を、ジョバンニは影の触腕を器用に使って乗り越えてきた。それだけでアディとエメは歓声を上げ、抑えきれない好奇心で瞳を輝かせていた。
「マリー、あの、もう攻撃しないので、出してもらえると助かります」
制服のローブでは動きづらいのだろうか。シズクはマリーが土の壁を全て撤去してようやく自由の身となった。
「本来の目的を果たそう」
そう宣言すると共に、ジョバンニは自身の影の中からティーセットを取り出し、影の触腕でもって効率よくそれらをテーブルへ並べてみせた。マリーにとっては見慣れた光景であるが、初めてであるアディ、エメ、シズクはそれぞれ歓声を上げたり目を丸くしたりと目まぐるしく表情を変えていた。
「これ、これどこに入ってたの? 影の中? 影の中ってどうなってるの? 自分も入れるの? どのくらい入るの? 入れたり出したり、どの大きさのものまでできるの?」
とりわけアディが影への収納に興味深々で、年上への敬語すら忘れて質問攻めにするほどだった。
「どれだけの大きさのものが入るのかは、そうだな……試したことはないが、大熊一頭は入れたことがある」
「大熊!? それで、体が重くなったりとかはしないの?」
「ああ」
すごいすごいとアディは頬を真っ赤に染めてはしゃいでいる。前のめりすぎる姿勢はシズクの闇魔法への敵意を削ぐのに十分だったようだ。今はティーカップに口をつけるのも忘れてアディを凝視している。
「これが魔法道具に応用できればすごいことになるの!」
シズクを含め、エメもマリーも当事者たるジョバンニすらも、アディの勢いを前に目を瞬かせることしかできない。
アディ曰く、ジョバンニの影の収納は流通に革命を起こす大発見なのだそうだ。
現状の流通は荷馬車が要だ。船を使い地中海を渡る海運もあるが、王都まではやはり馬を使わねばならない。
一度に運搬できる荷物は荷馬車に積み込める分、馬が牽ける分だけになる。
ジョバンニの影の収納は質量を無視して大量の物品を収納できる。仮にこの魔法を魔法道具に付与できれば、一度に運搬できる物量が飛躍的に増加する。
やもすれば、荷馬車は不要になるかもしれない。
そんな魔法道具を作り出し、独占販売できれば。どれだけの利益を生み出すだろうか。
シグラス商会の第四子であるアディは商機に敏感だ。
「闇魔法を魔法道具にする技術……絶対絶対、アディにだけ教えてくださいな!」
鼻息荒く詰め寄るアディに気圧されながらも、ジョバンニはマリーの友人ならば、と秘密を約束した。
「お父様にお手紙……いいえお手紙はちゃんと届くか、盗み見されたらことだから魔法通信……ああもっとちゃんと練習しておくんだった!
一度帰省して自分の口でお伝えする方が確実ね。うちの魔法道具の職人は……」
「待ちたまえ、まだ僕のこの影が魔法道具に落とし込めるかはわからない」
「そうね! それならまず回路から引かないと」
いつになく高揚するアディは思いつきを喋り続ける。置いてけぼりのシズクは呆然としたまま、何度か『こうなった』アディを経験しているエメは適度な相槌の合間にのんびりと菓子を食んでいる。
マリーはといえば。──これだ、と確信していた。
闇魔法を世に有用なものであると知らしめるのに、魔法道具ほど最適なものはない。闇魔法はジョバンニにしか使えないが、魔法道具であれば誰にでもその有用性が実感できる。
シグラス商会の第四子アディことアドリアーナと王国唯一の闇魔法使いジョバンニが組めば最強だ。アディであればジョバンニの闇魔法の有効利用方を収納以外にも思いついてくれるだろう。
それから帰寮を促す鐘が鳴るまでアディは喋り続けていた。ジョバンニの下を辞してからもアディの思いつきは止まらず、マリーはそんなアディに希望を見出していた。
これからも折を見てジョバンニを訪ねる、と息巻くのにもマリーは諸手を挙げて賛成した。シズクは女子が一人で男性を訪ねるのは、と眉を寄せたが、教師を訪ねるのとなんら変わらないとマリーは諭した。
「マリーはそれでいいの?」とエメが耳打ちしたが、何が問題かマリーにはわからなかった。
マリーは闇を恐れない こばやしぺれこ @cova84peleco
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