32.一体お前は誰なんだよ



          *


偽古庵にせこあん君――これは一体どういうこと?」

「せやから。俺がいる云うことは、こいつも近くにおる云うことに決まっとるやんか」


 土管どかん屋から一歩外に出た途端とたん、ハル子さんと偽古庵様が交わした言葉がそれだった。表には珸瑶瑁ごようまい先生といと蜻蜒とんぼさまの御二方おふたかたが並んで待ち受けていらっしゃったのである。


「申し訳ありません。ハル子さま」


 こうべをたれる珸瑶瑁ごようまい先生に、ハル子さんは溜息をつく。抜け駆け不可能。ここまできては、もはや隠し立てし続けることのほうが難しい。


「いいわよ、わかったわよ。〈庭〉に行きましょう。どのみち彼等があそこにいることは、もうバレバレなんだから」


 諦めた、となると後の行動に迷いはなかった。全員ぞろぞろ土管どかん屋を後にし、案内あないするハル子さんの後へ続いた。


 明け方の行進はよどみなく、妙に滑稽こっけいなのは否めない。土管屋の正面道路に当る、あのだらだらとした砂利道を北西に下り、しばらくして左折する。林道に入ったか。と思う間に、それは険しい山道となった。


 と、続いていた樹々の柱が途切れ、視界が一面に抜けた。突然広い空間が現れる。周囲には光の粒子がふわり、とあふれ、粒子は頬を、首筋をでて過ぎ行く。全ては一転していた。皆の歩みが自然に止まる。うつぼ君は、思わず眼を見張っていた。



 一面に生えた一種の見なれぬ植物。

 そして、その植物に囲まれている三人の人物。

 それは、松ぼっくりちゃんに歌枕さん。そして立破さんだった。



 松ぼっくりちゃんが、あのなまり色に輝くを見張り、恐れるような呆れたような表情を浮かべる。


「ハル子ちゃん――皆さんも、どうして」


 ハル子さんは溜息つきつき、肩をすくめて首を横にふった。


「だめよ、もう。あなたの気持ちはバレちゃってるわ。もう心は決まっているのでしょう? 予定からかんがみれば一寸ちょっと早いけど、状況的には好都合だわ。もう白状してはどう?」


 ハル子さんの言葉にしばし逡巡しゅんじゅんしていたものの、やがて、松ぼっくりちゃんは「そうね」と軽い溜息をついた。顔をあげる。小さな唇が、そっと開かれた。



「わたくし、珸瑶瑁ごようまい先生をおしたいしております」



 意を決した、真摯しんしな顔付きだった。こんなに真ッ直ぐ人の顔を見る松ぼっくりちゃんを、ハル子さんが見るのは初めてのことだった。


「松ぼっくりちゃん」


 珸瑶瑁ごようまい先生は幾分か、ぽかんとしていた。松ぼっくりちゃんとは対照的であり過ぎて、ハル子さんにはない。


 珸瑶瑁先生は、もう一度「松ぼっくりちゃん」と続けた。先程の松ぼっくりちゃん、よりも、しっかりとした聲音こわねで。


「わかっております。わたくしは子供です。気の弱い、いつもハル子ちゃんや木の影やふすまの後ろにいるかくれッ子です」


 偽古庵にせこあん様がかすかに「くっ」と咽喉のどをならした。松ぼっくりちゃんの言葉のいずれかが笑いのツボにはまったらしい。聞きとがめたうつぼ君が「こら」と怒って頭を一つぽかりと叩く。偽古庵様は、いつかのハル子と同じくちろりと舌を出した。


「松ぼっくりちゃん」


 珸瑶瑁ごようまい先生は、今度こそしっかりと名を呼んで、松ぼっくりちゃんのほうに脚を運んだ。そうして彼女の前にやおら膝をつく。松ぼっくりちゃんと珸瑶瑁ごようまい先生の目線は同じ位置になり、松ぼっくりちゃんはまだ、じっと珸瑶瑁先生を見ていた。


「松ぼっくりちゃんは、もうお忘れになられましたか?」

「え」

「私は松ぼっくりちゃんに云ったはずです。土手のわきの、田圃たんぼが見下ろせる金木犀きんもくせいの木の下で」


 珸瑶瑁先生は、そっと松ぼっくりちゃんの手を取った。


「貴女を子供だと考えるのは、あの時点で撤回している、と。貴女は十二分に立派な個人の意思を持った方だと。――そう云ったでしょう」


 じっくりとした珸瑶瑁先生の眼が、松ぼっくりちゃんの眼をとらえている。それをじっと受けとめていた松ぼっくりちゃんの顔は、やがて普段よりももっと真ッ赤で、今にも泣き出しそうなものになった。珸瑶瑁先生の手が、まだ紅葉もみじほども小さい松ぼっくりちゃんの手をとらえている。松ぼっくりちゃんは、ちょっと珸瑶瑁先生の人差し指を握ってから、手を外して「歌枕うたまくら」と呼んだ。


「はい」


 背筋が相変わらずぴっしりと伸びている歌枕さんは、見事な姿勢のまま矢立やたてと「和紙手帳」を持ってきた。腰を落としている珸瑶瑁ごようまい先生は、首を上向けて歌枕さんを見、問うた。


「あの、歌枕さんは、一体何者なのですか」

「私めでございますか」

「ええ。一度お話をした時に、歌枕さんは公主様でないと思いはしたのですけど」

「何故でございましょう」


 歌枕さんは松ぼっくりちゃんに矢立ての内の筆と、「和紙手帳」を手渡しながら、少し流し目で意地悪げに、もう一つにこりと笑って見せた。


 対する珸瑶瑁先生の様も答えも、変わらず沈着である。


「歌枕さんは、私と同類に思えたのです」

「まあ……御目聡おめざといことですこと」


 歌枕さんはくすり、と笑って、再びぴっしりと背筋を伸ばした。


「松ぼっくり様の従事でございます」


 答えを聞いた珸瑶瑁先生は、「やはり」と首を縦にふった。


「できました」


 そう云って、松ぼっくりちゃんは小さな紅葉もみじてのひらで、珸瑶瑁先生の掌にかさりと「和紙手帳」の一葉を落とした。


「これがわたくしの、ほんとうの名前です」



  柴門橘梗さいもんききょう 松毬ちちり



 珸瑶瑁先生は嬉しそうに微笑んだ。

松毬ちちり公主様ですか。やはりあなたが、まにまに王國の姫さまだったのですね」


 ハル子さんの横でうつぼ君が息を飲む。松ぼっくりちゃんが公主なのではという予感はあったのだろうが、確証は持てていなかったのだろう。


「はい。ですがわたくし、珸瑶瑁先生にはこれまで通り「松ぼっくりちゃん」と呼んでいただきたくございます」

「承知いたしました」

「珸瑶瑁先生は、わたくしと婚約を前提に、気長にお付き合いして下さるおつもり、ございますでしょうか」

「気長に」

「はい」

「しかも「結婚」を前提に、ではなく、「婚約」を前提に、ですか」

「はい。何分わたくしはまだ十二のお子さんですから」


 珸瑶瑁先生は、さらさらと笑って、それまでよりも一層まなじりを細めた。


「では、私の正しい名前もお教えしなくては」


 それから、珸瑶瑁ごようまい先生は「ちょっと拝借いたします」と断って、矢立てと、松ぼっくりちゃんが名前を書き留めた和紙を借り受けた。そして、笑い方と同じく、さらさらとした達筆で、「松毬」の字の横に並べて「珸瑶瑁 璧瑚瓏」と書き付けたのだった。


「ゴヨウマイ・ヘキゴロウ、と読みます」

「でも、お呼びする時はこれまで通り、珸瑶瑁先生で構いませんでしょうか」

「もちろん、構いませんよ」


 松ぼっくりちゃんは、ほう、と吐息をもらし、次いで花がほころぶような笑みを浮かべた。


 そこで「待った」とこえを上げたのはうつぼ君だった。


「てゆーか、ちょっと待て。じゃあハル子は一体何者なんだ?」


 皆がうつぼ君とハル子さんを交互に見る。


「ハル子こそまにまにの王族や『魂音族こんいんぞく』について詳しすぎる。姫じゃないなら、一体お前は誰なんだよ」


 うつぼ君はハル子さんの顔を見、ハル子さんもうつぼ君へ視線を向けた。ひどく静か過ぎる、無言の対話。


「うつぼ君、まだ気付いていなかったの? 私の話は食卓でも出てきたはずよ」

「へ?」

「――もしかして、あなた物凄い物憶えが悪いか、物凄い察しが悪いということはない? 昨日歌枕さんが云ったばかりよ?」

「なんて」

「みかん島に柴門橘梗さいもんききょう家の分家が住んでいて、その分家に本家から女王の姉妹がお嫁に行ったって」

「じゃ、じゃあハル子は――」

「行っておくけど、その姉妹本人ではないからね。そんな年じゃないわ。その姉妹の娘。つまり私は。うちのママが錵鏡にえかがみ伯母さんの妹なのよ。結婚はママのほうが早かったんだけどね」

「――……。」


 落ちとは得てしてこんなものである――の見本であった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る