29.君が皇太子だと云うことにか



          *

 

 外へ続く引き戸を開けた途端、ひゅお、と風が吹き付けた。それにひるむことなく、二人は急勾配の非常階段を下る。かん、かん、と二重に重なり響く鉄の。彼女の左掌には薄青く発光するものを入れた香水壜が握られている。右手の壁に掌を這わせ、慎重に歩を進めた。


 地下まで下り大扉を開ける。ぎいいときしる音。じゃりと音立て踏み込んだ、ねとりと絡まんばかりのやみれ込める空間。まるで西洋の地下牢、或いは拷問部屋のようだ。


「……よく一緒に連れてくる気になったな」


 男性特有の低い音声が、石に反射して茫洋と響く。背後についてこさせた彼のほうへちらと見返り、微かに微笑んで見せた。


「あなたは、とうにせんからこの通路のことを知っていたのでしょう?」

「それはそうだけど――それでも知らぬものとして見て見ぬふりをするのが大前提のはずだ。そうじゃないのか?」



 言葉を肯定も否定もせず、ただ静かに微笑む。

 苔す石壁に、そっと白い掌をはわせた。



 もう、幾度ここに脚を運んだろうか。暗闇は思索を深めるのに適している。明るい世界は己には不得手だった。素顔をさらすことも、心の真実を語らされることも、己は不得手だったのだ。


「よかった。先生はいない」


 ぽつりつぶやきながら、暗闇の中に香水壜を掲げ揚げる。うっすらと照らし出される石造りのとした空間。いつもここに陣取る主は、どうやら今日に限って大人しく、人間らしく寝床で就寝したらしい。


 ひたり、ひたりと歩み、ふいと立ち止まる。そして、壁に張り付いたような扉の把手に手をかけた。ドワーフが使用するかのような小さい扉。ぎいと開く。


「――これは……」


 彼は絶句し唇を引き結んだ。扉の奥には、深く長い隋道ずいどうが果てしなく続いていた。


「行きましょう」

「あ、――ああ」


 ほんの少し身をかがめ、ひたひたと土の勾配こうばいを上った。


 隋道を進めば進むほど、膚肌ひふには冷えた水気が絡みつく。煉瓦レンガづくりの壁に張りついた苔は生物めいていて、ひたすら生々しい。左右と天地からうける、なんとも形容し難い圧迫感。閉所恐怖の気など彼にはなかったが、その心持ちが、ほんの少し理解できた気がした。


 だらだらとしていた勾配は、徐々に傾斜を増してゆく。足場は土から石となり、天上も高さを増した。左右も幅を増してゆく。


 ふいと、視界が明るくなった。眼の前にぽっかりと口が開いている。


「出口か」

「ええ」


 入口の周辺には、がさがさと草が生い茂り、視界をさえぎっている。夜の湿気の匂いは、恐らくその葉にからんで、この隋道には流れ込まないのだ。――彼はそう考えた。


 その草に手をかけ、一足先に地上へと這い出した彼女の背中めがけ、「えいや」と一気に穴から抜け出る。


 月明かりが、だだっ広く開けた一面を照らし出していた。



「ここは……」

「〈庭〉よ」

「――〈庭〉?」



 少女の顔を見れば、静かな眼差しがあたりを見つめている。あたかも睥睨へいげいするかのような威圧感だ。あまりにも当り前のものを見つめる顔で、彼女は周辺に存在するものを支配下においているのだ。


「――……。」


 改めて周辺を見渡す。

 開けた一面には、黒い外皮に琥珀色の粒を抱え込んだ果実を実らせた植物が、数多あまた根を張っていた。銀色の茎がすっきりとその姿を支えている。鉛の葉脈は月光を浴びて自身の果実を彩っていた。


「これは――柘榴ざくろか?」

「そうでもあり、そうではないものよ」


 しもくように答える少女のこえは、たわわに実るその果実をふるわせてはかなくなった。


「君は一体何者なんだ」


 彼女はかなしげに眉根をよせた。


「茶番劇はよしましょう。――気付いているのでしょうに」


?」

「ええ」

「――確信は、なかったんだよ」



 溜息交じりの言葉は、黒い柘榴の合間に落ちる。



 虫の音。淡く光る樹幹じゅかん。葩弁。葉。夜露。冷たい空気。

 個々は全体のために存在し、密集した幻想性はその許容量を超過した揚句、逆にその生存を人間に痛感させるものとさえ成り果てる。


「君の言葉は、その一々が王國の内部に通じすぎていた。だから、皇太子その人ではなくとも、かなり王族に近い立場にあるんじゃないかとは思ってた」

「それで、どういった目的であなたはここにきたの?」

「――目的?」


 彼の口許が、ぴくりと強張こわばった。


「あなたは一体何がほしくてこの國へきたのですか。王國が保有している資産?」

「そんなじゃない!」


 激昂げっこうが、夜闇にこだました。

 少女の白い頬は月光に照らされている。白い指が、肩の前に垂れた黒髪を背中に流した。 


「オレは、君が好きだ」


 背中から掛けられた言葉を、少女のは黙って静かに聞き入れる。


「『魂音族こんいんぞく』がどうかなんて、そんなの関係ない。君のことが好きなんだ。そのことをわかって欲しくて、こんなところまで来たんだよ。本当は、ただそれだけだったんだ」


 かさり、と少女の背中に一歩が近付く。気配も近付く。


「――ずっと好きだった」

「いや」



 歩みが、止まる。

 短くも、はっきりとしたいなの言葉だった。



 東雲しののめの薄紫が、うっすらと周囲に立ち込める。夜明けの気配は、全ての存在の表裏を入れかえてしまうのだ。


 雲の切れ間から、いっそう強く月光がふりそそいだ。それは彼の髪を浮かび上がらせ、また同時に、少女の白い頬の上にある、鈴を張ったようななまり色に輝く眼を、うらうら揺れる水面のようにうるませた。


 潤んだ眼で、彼女は彼の顔をじっと見すえる。 



。わたくしは、あなたに対する恋愛感情を持ち合わせない」


 静かに、しかしきっぱりと、は拒絶を口にした。




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