24.〈柘榴病〉と『音読族』



「えっ」


 伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めたうつぼ君に、ハル子さんは人形のような微笑みを浮かべた。


「――ねぇうつぼ君、あなた〈柘榴病ざくろやまい〉を知っている?」

「あ? ああ。あの伝染病だろう? 確か、ある珊瑚虫が原因菌になっていると云う」

「その『外水』には、その要素が溶け込んでいるの。だから、だめよ。口に入れたりなんかしたら本当に一瞬で死んでしまうからね」

「そうなのか……」

「ところで、よく迷子にならなかったわね」

「ああ――本当だ。僕も不思議に思う」

「結構、ここにくる道筋って複雑なのよ?」

「そうみたいだな。もしかして、逆に僕は単純な道で迷うのかも知れない」

「哲学かしら」

「そうかも」


 二人はどちらからともなく歩き出し、市役所の敷地内を出た。眼の前に広がる風景は、まるきり田舎そのものだった。


偽古庵にせこあん君は?」

珸瑶瑁ごようまい先生が迎えにきたから、先に土管どかん屋へ戻ったよ」

「――そう」


 ハル子さんはひとみをかすかに伏せ、静かに自分の爪先を見下ろした。


「いつも、不思議に思っていたんだ」


 ぽつり呟いたうつぼ君を見やると、彼は鋭い眼差しで、のどかな、まにまに王國の風景を見つめていた。


「こんなにのんびりとして、まるで半ば眠ったような國なのに、ここは、それこそ御伽噺おとぎばなしのように莫大な宝物ほうもつを隠し持っているんだ。その不思議を、ハル子は訝しんだことがないか?」

「そうねぇ」


 曖昧にはぐらかしながらハル子さんは視線を有らぬほうに逸らし、茫と小首を傾げた。


「なぁ。ハル子の周りには、ハル子以外に『魂音族こんいんぞく』がいたか?」

「どうしたの。やぶから棒に」

「僕の周りにはいなかったんだ」

「――……。」

「なぁハル子。僕も『魂音族こんいんぞく』なのだろうか」

「――まにまにの婿候補として何者かから手紙が送られてきたのだから、そうなのじゃないかしら」

「『魂音族』には『魂音族』がわかるのじゃないのか?」

「わからないわ」

「わからないのか?」

「わからないわよ。――ただ、『魂音族』が出生した場合、彼の身近には必ず同じ『魂音族』がいるの。その同族のことを『養者ようじゃ』と云い、生まれた『魂音族』は『養者』の「こえ」を聞きながら育つ。そうすることによって、『魂音族』は初めて己が『魂音族』であることを知り、そして自覚し、次いで己のを知ることができるようになる。『魂音族』達はね、己でも知らぬ間に「こえ」でつながりあっているのよ。だけど『養者』自身、自分が誰かの『養者』である自覚はないし、新生した『魂音族』自身、自分の『養者』が誰なのか知ることはない。自己申告されない限りね。『魂音族』に唯一わかるのは、半身がこの世に誕生しているか否かだけ」 

「そうなのか。――随分と曖昧なんだな。じゃあ『魂音族』が同族を見つけるのは、けだし難しいことだと云うんだな。『魂音族』は、よく自分達が一種のうからだと自覚できたものだな」

「『魂音族』か否かがわかる『音読おんどく族』と云うのは存在しているけれどね」


 答えた次の瞬間、ハル子さんは自分の口がすべったことに気付き内心舌打ちしたが、うつぼ君は気付いたのか否か「……そうか」とつぶやいたぎりで、会話は途切れた。


 しばらく歩くと、右手に大きな池が現れた。その縁には五本の桜が植わっている。ちらほらと葩弁かべんが水面に散り、少しずつ水分を含みながら沈んでゆく姿は、春と云う季節に相応しいとハル子さんには思えた。うつぼ君の「寄ってみようか」と云う言葉をのみ、ハル子さんは首を縦にふる。池の縁にまで降りる途中で、ハル子さんは少しバランスを崩し、うつぼ君がぎゅっ、と彼女の手を掴んだ。予想以上に握力が強い。そして握力越しに腕力の違いまでが伝わってきた。水と空気程の違和感がハル子さんを襲い、さゞなみのような動揺が、繋いだうつぼ君の手を離させた。


 うつぼ君は桜の樹の傍らにそっと立ち尽くし、何を考えているのかわからない顔で池をも含めた茫漠ぼうばくたる風景を見つめている。ハル子さんは池の縁まで進み、そっと腰をかがめて葩弁ごと水をすくった。ちろちろと指の股から水が流れ落ちる。指先に張りつく葩弁は透けていてしだらなく、いさぎよさと云うものが皆無だった。残ったのは、不快感。ただそれだけ。その感触を追いやるように手を払う。背中を丸めたまま、ハル子さんは首だけでふり向いてみた。


「ねぇうつぼ君。あなたどうして自分が『魂音族』だと知られなかったの? 周りに一人も『魂音族』がいなかったと云うのは一寸ちょっと異常なことよ?」

「僕は養子なんだよ」

「え」


 うつぼ君はそっと桜の樹皮に掌を這わせた。それは、先程ハル子さんの手をつかんだ手だった。


「母からは男子が生まれなかった。僕の上にはとお以上も年の離れた姉が四人いる。父は外に女を作り、僕は妾腹として出生した直後、認知されて引き取られた。――僕の実母の祖母が『魂音族』だったらしい」


 うつぼ君はちょっと笑い、一番近いところにあった枝から桜をむしり取った。


異母姉あね達には本当に散々な目に合わされた。全く、いい記憶だよ」


 ハル子さんが黙っていると、うつぼ君は「帰ろうか」とつぶやいた。しかしハル子さんに立ち上がる気配がないことを悟ったうつぼ君は、薄く微笑み、そのままきびすを返して土手をのぼって行った。





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