23.戸籍抄本


          *


「なんや、珸瑶瑁ごようまいと松ぼっくりちゃん、また二人で逢うらしいで」


 朝食後。ばきりとバナナを割りながら、偽古庵にせこあん様はハル子さんとうつぼ君にそう教えてくれた。いつの間にかこの三人で固まるようになっているなぁと内心思いつつ、ハル子さんは「ほい」と偽古庵様が手渡してくれたバナナの半割りを受けとる。


「ありがとう」

「おい偽古庵。僕のはないのか?」


 うつぼ君が云うなり、偽古庵様は嫌そうに顔をしかめる。


「一口やるがな。女の子にはちゃんとしたらなあかんやろ」


 云いながら、己の持つ反割りバナナをうつぼ君の口許に運んだ。うつぼ君は遠慮なくそれにかぶりつく。ので、偽古庵にせこあん様の反割りバナナは三分の一ほど原型を失ってしまった。偽古庵様は実に、実に哀しそうにそのなれの果てを見つめて、常とは異なりほんの少しをかじりとった。残り少ないのを大切に喰おうと云うのだろう。


 三人は、例の生垣がある公園にきていた。やはり、同じ芝生の上に腰を落としている。


「俺が知らんとこで、なんか進んどるわ」


 苦笑いしながら左腕をいた偽古庵にせこあん様に、うつぼ君は「完全に出遅れたな」とうそぶく。二人が小突きあうのを、ハル子さんは無視して遠い空を見上げた。


「まぁ、良かったのじゃない? 偽古庵君の思惑通りに進んでいるようだし。――まあ、先々まで二人の気持ちが変わらず続くかどうかは知らないけれど」


 うつぼ君はにやりと片頬を持ち上げた。


「なんだ? ハル子の恋愛感は随分皮肉なんだな」

「皮肉と云うのとは違うわよ」

「でも、細々こまごま考えながら恋愛する当事者なんていないだろうに」

「そんなの関係ないわ。恋には慎重にならなくちゃ」

「お、ハル子ちゃん、エエこと云うやん」


 ハル子さんは静かに田園風景を見やる。折よく吹きぬけた風は、彼女の髪をさらりと宙に遊ばせた。露わになったのは白くて細過ぎるうなじ。どきりとしたうつぼ君からは、ハル子さんの軽やかな横顔が見えていた。



「だって、私は恋を間違えたくないもの。たとい、半身の問題がなかったにしてもね」



 その瞬間、ハル子さんのひとみは透けるほど青い色を見せたのだった。


「ハル子――それってまさか」


 ハル子さんは、茫洋と微笑む。


「そうよ。私も『魂音族こんいんぞく』」

「えっ……!」


 思わずこえを上げたうつぼ君は、その拍子に腰を浮かせかけた。ハル子さんは困ったように微笑む。


「何を今更驚いているの? 私も婿候補者なのよ? 婿様は『魂音族こんいんぞく』だと決まっているのだから、婿候補の私が『魂音族』だというのは、至極真ッ当な話なのじゃないかしら」


 今更ながら、その事実に思い至ったらしいうつぼ君は、本当に今更息を呑み、偽古庵様と顔を見合わせたのだった。それを一頻ひとしきながめてから、ハル子さんは「さて、と」と腰を上げた。


「ハル子?」


 怪訝そうに眉をひそめたうつぼ君を尻目に、ハル子さんはぱんぱんとスカートの砂をはらった。風に砂埃と芝生が舞う。


「どうしたんだ」

「これから私、市役所に行くわ」

「市役所?」


 うつぼ君を見下ろしながら、ハル子さんはぼうと微笑む。


「確かめたいことがあるのよ。一寸ちょっと気になることがあってね」

 生垣いけがきたわむれめいて指先を突っ込みながら、ハル子さんは公園の外に出た。ふいに黄の蝶々が二匹、眼の前を過ぎる。そぞろに振り返ると、慌てたようにうつぼ君が立ちあがるところだった。


「ついてこなくていいわ!」


 叫んでから、今度こそ脱兎だっとの勢いでけ出した。


「お前場所わかってるのか!」


 手を口許にあててうつぼ君が叫ぶ。ハル子さんは急ブレーキで立ち止まってから再度振り返り、同じように口許に掌をあてて叫んだ。


「あなたとは違うのよー! 迷子になんかならないわー!」




 果たして数刻後。目的のものを手にし、無言でたたずむハル子さんの姿があった。


 受け取った戸籍抄本こせきしょうほんを通し、ハル子さんは「やはり」と唇を噛む。これでの意図は明白になった。裏切られたと云う感触はない。ただ、二人の間に酷く距離があいた。そんな気がした。今ハル子さんが手にしている抄本には、彼が一人息子である事実が記載されている。しかし彼は上に同胞どうほうがいると明言していた。つまりあれは「嘘」なのだ。


 玄関の自動ドアが大袈裟な音を立てて左右に開く。耳障りだ。伏し目勝ちに表に出る。緑の毛羽けば立ったプラスチック製の泥落としが、靴越しにちくちくと感触を伝える。溜息にさえならない吐息をもらし、ふいと顔を上げてハル子さんは呆れてしまった。


「ついてこなくていと云ったのに」


 市役所玄関の中央には、ロータリーの役目も果たす噴水がある。その縁にうつぼ君が腰をかけて待っていたのだ。さすがの彼も気まずそうに唇を引き結んでいる。それが、なぜだかおかしくてハル子さんは笑ってしまった。


「ハル子。この噴水、もしや二重構造になっていないか」

「ええ、そうよ」

「これももしかして、土管どかん屋のつくばいと同じなのか?」

「そう。このまにまに王國には戸数があるだけ二重構造のつくばい、もしくは噴水があるの。『外水そとみず』には海水が、『内水うちみず』には真水が満たされているのよ」

「本当に?」


 大いに怪しいと云った顔で噴水に近づいたうつぼ君に「めてはだめよ」とハル子さんはこえをかけた。




「慣れていない人間は迂闊うかつに手で触れてもだめ。――死んでしまうわよ」




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