四.三日目(四月四日(火))

22.『みかん島』と〈婚姻誓約〉の儀式



 四日目の朝。いまだ不機嫌が治らないらしい鬼打おにうちさんをのぞく姫さま達・婿様候補者達は、一同そろって例の大食堂に会した。朝食の準備は、すでに美しく整っている。一体誰がこれだけのものを準備しているのか、そろそろ誰かが疑問に思い出しそうなものだ。


 今朝の食事はビュッフェ方式でなく決定メニュだった。ただし和洋の選択はできる。ハル子さん・珸瑶瑁ごようまい先生・立破りっぱさんは洋食を。うつぼ君・偽古にせこあん様・歌枕うたまくらさん・松ぼっくりちゃん・いと蜻蜒とんぼさま・かなつぼさんは和食を頼まれた。


 ハル子さんがボロニアソーセージのスライスと新玉葱のマリネを口に運んだ刹那、突然うつぼ君が彼の隣席に座していた歌枕さんに「あの」とこえをかけた。今日の彼はダンガリーシャツを着込んでいる。


「なんでございますか? うつぼ様」

「歌枕さん。婿が決定した後、何か具体的に行なわれる行事なんかがあったりしますか?」

「行事、でございますか?」

「ええ。僕が婿に選ばれない限り、それを知ることはないでしょう? 下世話な好奇心で恐縮ですが、もしよろしければ教えていただきたい」


 歌枕さんは柔らかくひとみを細めて、「構いませんのよ」と微笑んだ。


「行事と申しますか――これも爲來しきたりの延長なのでございますが、御婿様が決定し次第、姫と御婿様は、南西の海に浮かびます『みかん島』におもむき、〈婚姻こんいん誓約せいやく〉の儀式を執り行なうのでございます」


 うつぼ君はエスプレッソをすすりながら、ひょいと片眉を持ち上げた。


「みかん島――ですか」

「はい」

「みかんがようけ生っとる云うことですか?」

「いいえェ。その蜜柑みかんでないですよ、偽古にせこあん様ァ」


 からからと笑いながら、すでに食事を終えていた金壷かなつぼさんは、てのひらをふりふり「和紙手帳」と矢立てを取り出した。


「漢字になおしましたらば、御還みかん島となるのでございますよ」


 さらさらと文字を書き付ける。どうやら偽古庵様、ハル子さん達が知らぬ間に姫さま達へ「和紙手帳」を進呈していた模様。手早い。もしかすると彼は存外女性あしらいが上手いのだろうかと、ハル子さんは訝しむ。「うむむ」と下唇を曲げ、ごくりとハムを嚥下えんげした。


「御還島――わっかのほうなんや」

「はい」


 歌枕さんはりんと微笑み、窓の外へと視線を飛ばした。


「先日も偽古庵様には少しお話いたしましたが、庭にあります、つくばい。あれは、みかん島をしているのでございます」


 と云うことは、あの『はじめのご対面』時に、彼等は二人でそんな話もしていたということかと、ハル子さんは考え到る。


「みかん島は、輪の形に繋がった珊瑚礁が島となったもの。本来ならば真水は湧かず、土もないはずなのですが、みかん島はとても肥沃な土を持つ島なのです」


 知らず知らずか、顎に手をやっていたうつぼ君は、ふいにぽんと手を打ち鳴らした。


「あのつくばいは御還みかん島を模していると云われましたね? そのつくばいの中心から水が湧いているのは、もしかしたら本当にその、みかん島の中心から真水が湧いていると云うことを表しているのだと?」

「ええ。その通りでございます」

「そら、ごっつい話やな……」


 感嘆したふうの偽古庵様に、歌枕さんは「本当にそうでございます」と目蓋まぶたを少し伏せた。


「なんの奇跡かは、わたくしも存じ上げませんが、みかん島の中心にございます小島は水湧祠みずわきほこらと称しまして、その中心からはこんこんと真水が湧いてございます。それゆえに、みかん島の中心には、大きな水溜りができ上がったのです。もともとは、とても小さな池ほどの大きさしかなかったのですが、歳月を幾星霜隔てたか、現在のような大きさに――そして湖のほとりには、公主の母方の従姉妹に当る、つまり現女王様の御姉妹にあらせられる姫様親子がお住まいでいらっしゃるのです」

「従姉妹? 分家ですか?」


 うつぼ君の問いに、歌枕さんは頭を縦にする。


「はい。元来みかん島には本・柴門橘梗さいもんききょう家の分家があり、その一族は代々〈婚姻誓約〉の儀式を取り仕切って参りました。その分家に、本家から御姉妹姫様がお嫁に参られた次第なのでございます」

「ほな、あのつくばいが二重構造になっとんのは、島の内側は真水やけど、周辺は塩水や云うことなんか……」

「偽古庵様、塩水でなく、海水です」


 さらさらと笑いながら珸瑶瑁ごようまい先生は訂正を加える。歌枕さんも少しだけ笑い、再び皆のほうへと視線を戻した。眼の一動作だけで、りんと音がするようだ。


水湧祠みずわきほこらから湧き出でる水は、実に不思議な水です。どのような自然の脅威なのか、周辺の海域は、ちょうどハル子さまがお召しになっていらっしゃる御服のような色彩をしているのですが――」


 ハル子さんは思わず自分のまとうワンピースに指先を這わせた。それはハル子さんが持参した、あの一張羅のワンピースである。歌枕さんもちらりとハル子さんへ視線を向けたが、すぐにうつぼ君の側に向き直った。


「――島の内側に溜まった真水は、どう云うわけか桔梗ききょう色をしているのです。まるで夜明け前の天空のような、深く、濃い桔梗色を。そして何代か前のまにまに王國女王によって、霧西湖きりさいこと名がつけられました」

西

「歌枕様。それは地下牢獄に収監されとる「存在してはならぬ者」の名前でねぇのですか?」


 横からこえをかけたのは、それまで給仕に徹していた古里フルサトさんだった。歌枕さんのひとみが薄く細められる。 


「いえいえ、違いますよ古里さん。アレは「霧西湖」と字は書きますが読み方が違います。今云っているのは湖のほうの「霧西湖」です」


 訂正を加えたのは歌枕さんでなく、王國に住んで久しい、いと蜻蜒とんぼさまだ。


「あれやで。あの琵琶びわ湖とか、バルハシ湖とか、チチカカ湖とかと一緒」


 指折りながら数え上げる偽古庵にせこあん様の横で、うつぼ君も同じように考え出した。


「それからクッシャロ湖とか――クッシャロ湖ってあったっけ?」


 早速つまったうつぼ君は、珸瑶瑁先生に尋ねかける。


「ありましたか?」

「さぁ、あったようななかったような」

「あとなぁ、ほれからビクトリア湖とかゴダイゴとか」

「最後のだけ違います。偽古庵にせこあん様」


 訂正をかけた珸瑶瑁先生に、偽古庵様は首を「むん?」と傾げる。


「そーか?」

「ニアミスですね。五大湖ごだいこなら正解です」

「あの」


 遠慮しいしい松ぼっくりちゃんが声をかけた。


「クッシャロ湖、あります」

「ありましたか」


 どこか嬉しそうに珸瑶瑁先生は微笑む。


屈斜路クッシャロ湖です。クッチャロ湖と云うのもありますけれど……」


 視線で微笑みあう二人を前に、ハル子さんはようやく彼等二人がさりげなくも正面に向かい合って着席しあっていたのだと気付いた。



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