16.『真名制度』



 いと蜻蜒とんぼさまは掌をすいと持ち上げ、窓の外を指差した。


「まにまにの体制は、現日本国政府のそれと、随分かけ離れておりますからな。残存している風習が多い。それが民俗学者に取り上げられる一因ともなっている。例えば真名まなの風習などもそれです」


 ああ、と立破りっぱさんが膝を叩く。「『真名制度』ですか。オレ聞いたことありますよ。大学で民俗学の授業とってたんで」


 真名制度と云うのは、己の本名を伏せておく習慣の一種である。中国で用いられたあざなのように別名を名乗るものや、役職名で呼びあらわす等、アジア圏特有の「相手の本名を呼ぶのは不敬に当たる」と云う考えが微妙に変形したものだ。


「確か――そんなようなものでしたよね」


 前述の説明をいくらか端折はしょった形で述べた立破りっぱさんに、いと蜻蜒とんぼさまは首肯して見せた。


「現時点で、こう云った風習が習慣として残っている地域は、そう多くありません。このまにまにと、東北のほうのとある地域と、関西では――『春夏冬あきない国』なんかがそれですね」


 ちらり、とうつぼ君が偽古庵にせこあん様のほうに顔を向けた。偽古庵様は口につけていた湯呑み越しにその視線を受け、しかしすぐに目蓋を閉ざす。


「偽古庵君の場合も、フル・ネームは名乗られていらっしゃらない」


 偽古庵様は、こくりと頭を縦にする。


春夏冬あきないの場合、姓名はちゃんと明かします。商業が主体の国家やからね。商売人が素姓を明らかにしとくのなんて常識の話ですから。そのかわり、ミドル・ネームは絶対に明かしません」


「――とまあ、地域によっても細々と異なるわけでございますな」


 そう呟いてから、いと蜻蜒さまは茶で口中を湿らせた。


「まにまに王族の場合、この真名制度はもっと絶対的です。現世の名前を教えると云うことは、今生こんじょうでの肉の身の所有を譲り渡すと云う意味につながる。ですから、身内以外で最初に漢字ごと名前を明かすのは半身と決まっているのです。まにまに王國の王族は、半身と邂逅するまで、本名の「音」は明かしても「漢字」全てを明かすことは絶対にない」

「でも、僕の記憶の限りでは、〈フェイク姫さま〉達、全員漢字で名前を名乗ってましたよね?」


 うつぼ君の言葉に、いと蜻蜒さまは首肯する。


「ですから、本名を名乗っていない――つまり、全くの偽名を名乗っている可能性がある、と云うことになりますな」

「いと蜻蜒さまは、王国のことに随分お詳しいのですね」


 さらさらと笑う珸瑶瑁先生に、いと蜻蜒さまもまたにこにこと笑う。


「まあ、ワタシも住んで随分と長いですから」

「そうなんですか?」


 ほお、と顔を上げた立破さんに「かれこれ二十年近くになります」と答える。


「ところで、今の女王さんの名前は、なんと云うのでしたか?」


 うつぼ君が問うと、やはりいと蜻蜒さまが、にこにことお答えになった。


「にえかがみ様ですな。柴門橘梗さいもんききょう 錵鏡にえかがみ様」

「その、「サイモンキキョウ」と云うのが、ここの王家の姓なのですか?」

「表向きはそのよう、ですな」


 重ねて問うた立破さんにも、いと蜻蜒さまはにこにこと首を縦になさった。

 偽古庵にせこあん様は脚をどしん、と放り出し、はああと溜息を吐く。


「どうした偽古庵」


 うつぼ君が尋ねると、偽古庵様は眼を閉じ閉じ首を横にふった。


金壷かなつぼはんに、鬼打木おにうちぎはん。ほいでから歌枕うたまくら姐さんに松ぼっくりちゃん。……やっぱり、どれも名前関係あらへんがな思てな」


 指を折りながら数え上げる姿に、立破さんが「ああ」と声をもらす。


「――ところで、話全然変わるんだけどさ、皆どうしてこのお見合いに参加しようと思ったんだ?」

「え?」


 唐突な立破さんの話題転換に、ハル子さんが小首を傾げてふり返ると、何やら立破さんは薄い笑いを浮かべた。


「いや。単純な好奇心なんだけども」

「ああ、成る程」


 ハル子さんが納得したところで、偽古庵様が気の抜けた溜息を鼻から逃がした。


「俺は、あれですわ。親からの指令」

「指令?」

「さっき、いと蜻蜒さまが云わはったでしょ? 関西にある『春夏冬あきない国』のこと。俺は、その『春夏冬あきない国』王族の次男坊なんですわ」

「え」

「王族らしからぬ砕けかたをしているが、これでも本当に王族です」


 笑って云ったうつぼ君に、偽古庵様は渋い顔をした。


「お前の家かて、京都のほうのでっかい公家やんか」

「そうなの?」


 初耳にハル子が問うと、頼まれもしないのに偽古庵様がえらく嬉しそうな顔で「恥かきっ子の長男なんやで」と注釈までつけてくれた。うつぼ君は「うるさい」と怒って頭を一つぽかりと叩く。


「で? 立破はん。あんたはどうなん」

「え」



 偽古庵様は胡座をかいた膝の上に肘をつき、上目づかいで鋭い視線を立破さんに向けた。




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