参.二日目(四月三日(月))

14.随意に




 『はじめのご対面』の後、婿候補者達は早速作戦会議をとりおこなった。


 一筋縄では行かぬと、ある程度の覚悟はしていたものの、さすがに〈フェイク〉の姫さんが出てくるとまでは想像もしなかった。姫さん達が一足先に退出した後、全員こそこそと目配せし合い、「どうする」「どうする?」とやりあった結果、いと蜻蜒とんぼさまのお部屋に明日の朝十時にとりあえず集合という運びになった。至極、妥当な線では、ある。


 ハル子さんがまにまに王國を訪れて、三日目の朝。


 いと蜻蜒さまのお部屋は、『松露しょうろの間』であった。『松露の間』は弐棟最奥に位置している。部屋の配置上、中庭は見下ろせないが、代わりに外庭で最も見事な枝ぶりを見せている桜の木が見られるのだった。一階から見上げる桜よりも、間近に見る桜のほうがよいのは当然の話。散る桜は散る桜で美しいのだが、それはすでに昨日、大宴会場の窓からたっぷりと堪能してある。


 『松露の間』は六畳間と八畳間の続き部屋になっており、床の間に飾られた二匹鯉の置物は、当代屈指の陶工とうたわれた十三代目・水葱なぎ 門奴ノ介もんどのすけの手によるものだとか。――そう云えば、『鯉々』と『恋々』をかけているのだという一説があったな――そんなことを思い出しながら、ハル子さんは二匹鯉から視線を外した。本日のハル子さんは、八分丈の白いワンピースを纏っている。襟刳えりぐりを大きく開いたデザインは、ハル子さんの華奢な肩甲骨をさらしていた。


「いと・とんぼ様は、『糸とんぼ』さま、なのですか?」


 唐突に、ハル子さんの耳へ美しく響く、特有な聲でそう問うたのは、うつぼ君であった。今日のうつぼ君は上半身にVネックの黒い半袖をまとっていた。身体つきは華奢なのに、肩幅だけが飛びぬけて発達している。そのことがより強調されてしまう服装だ。それが似合うのも、うつぼ君特有のこと。不安定な少年は、不安定な要素によって充足されると云うことか。


「いやいや、そうではないのです。ワタシは、・蜻蜒なのです」


 先ほど、うつぼ君がした問いかけに、いと蜻蜒さまは、「いと」に特別力をこめて説明をされた。


「いと・とんぼですか」

「はい。、とんぼと云う意味なのです」


 合点がいったらしい。うつぼ君がぽん、と手を叩く。


「ああ、成る程。古典のなのですね」

「そうです。副詞の「いと」なのです。「ひじょうに」とか、「たいそう」の「いと」で、「まったく」とか「ほんとうに」の「いと」でもあります」


 時は午前十一時一寸ちょっと前。すでに全員が『松露の間』に集まっている。中央にすえられた一枚板の卓子をとりかこみ、いと蜻蜒さまから「どうぞ」と饗された緑茶を啜っていた。宇治のかりがねである。窓の外では桜がちらほら散っており、なかなか風情ある一時だ。


 いと蜻蜒さまは、するするとお茶をすすりながら微笑まれた。


「いやしかし全く、ワタシの名なんぞは仮名で意味を御理解いただけるので難渋いたしませんから実によいです。ここの王國は大変ですよ。実際」

「まにまに王國と云うのがですか? 王國という漢字が、いと蜻蜒さまの『蜻蜒』の字よりも難渋するとおっしゃいますか?」

「いえいえ。そうではないのです。まぁ確かに『蜻蜒』という字は画数が多く、何度も書くのは手間の上、実に不経済です。『王國』と云う字が持つ重みもまた、随分はなはだしいものでは、あります。ですが、ワタシが今申しておるのは、古典語のことなンでございます」


 云いながら、なぜかいと蜻蜒さまは、ちゃぶ台に「はあっ」と息を吐きかけて、そこに「甚だしい」と漢字で書いた。それから、にこにこ笑ってこう続ける。


「まにまに王國は、正しくは「まにまに王國」と書くのです」

「随に」


 ハル子さんは、びっくりした顔で「甚だしい」の「甚」の下に「心」を書き足した。それを見ていたうつぼ君が「こら」と怒って頭を一つぽかりと叩く。ハル子さんは眼をびっくりさせたまま、ちろりと舌を出した。別に、行為に意味はなかった。


 いと蜻蜒さまは、にこにこと「随に」の字も書いた。その頃にはもう、ちゃぶ台にさっき「はあっ」とやったのも端から消え始めていたので、その「随に」は実に力のない「随に」になってしまった。


「これ、どんな意味なんですか?」


 うつぼ君が質問すると、いと蜻蜒さまは「――「随意まにまに」とも書いたりいたしますが……」と云いながら、「随意に」という字も書きつけ、「ことの成り行きに任せるさま」と言葉を付け足す。そしてまた、にこにこと笑った。


「しかし、まにまに王國も、なにを考えているのだか」


 まくっ、と栗饅頭にぱくつきながら、うつぼ君は眉間に皺をよせる。


「俺等ん中にダミーが二人おるて云うとったな、たしか」

「常識的に考えたら、ひとりはハル子だろう」


 うつぼ君に、ちらりと視線を向けられたが、ハル子さんは相も変らぬ茫洋とした顔で、少々微笑んだぎりである。うつぼ君も首を横にふって溜息をついた。


「だけど、相手はまにまに王國だからな」

「せやな、相手はまにまになんやもんな」


 合いの手を入れた偽古庵様とふたり、うつぼ君は「はああ」と溜息をついた。








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