「出会い」が「出逢い」に変わるまで

 現代の地方都市、藤浜市。住宅街と商店街がほどよく混じり合い、朝夕には制服姿の学生たちが駅のホームに集まる――そんなありふれた日常の中で物語は始まります。バレー部に打ち込む紺野瞳と、聖心館女子高校に通う宮村亜樹。二人は、通学電車での出来事をきっかけに出会い、少しずつ心の距離を縮めていきます。

 この作品の舞台は、どこにでもありそうな町と学校、そして家族や友人たちに囲まれた日常です。駅や電車、商店街や部活動、家族の食卓や友人とのやりとり――そうした風景が丁寧に描かれ、読者はすぐに物語の世界に引き込まれます。日々の中で生まれる小さな喜びや不安、すれ違いが、まるで自分のことのように感じられます。

 しかしこの物語が他と一線を画すのは、ジェンダーという難しいテーマを真正面から描いている点にあります。亜樹はトランスジェンダーであり、“本当の姿”を周囲に隠して生きています。自分を偽ることの苦しさや、誰かに受け入れてもらいたいという切実な願い。その葛藤が、等身大の言葉と繊細な心理描写で綴られています。
 瞳もまた、自分の容姿や将来、そして“好き”という気持ちに向き合いながら成長していきます。彼女は亜樹の抱える秘密に気づき、その痛みや不安に寄り添おうとします。二人の視点が交互に描かれることで、互いの想いの強さやすれ違い、もどかしさが鮮やかに伝わってきます。両片思いのじれったさ、素直になれない心の動きが、読者の胸を優しく締めつけます。

 この物語は、誰かを好きになること、誰かに“好き”と伝えることの難しさと幸せの両方を描いています。日常の一瞬一瞬がどれほど大切で、誰かと心を通わせることがどれほど尊いか――読み進めるうちに、そんな当たり前のことが、かけがえのないものに思えてきます。この作品で扱われるジェンダーというテーマは決して重苦しい描写にはならず、登場人物たちの悩みや成長を通して誰もが抱える「自分らしく生きたい」という願いとして浮かび上がります。
 亜樹と瞳の心の揺れや成長は、決して特別なものとしてではなく、私たちのすぐそばにあるものとして描かれています。だからこそ、読者は彼らの喜びや痛みに共感し、時に励まされ、時に自分自身を重ねてしまうのでしょう。

 アイデンティティの葛藤と承認。そして「出会い」が「出逢い」へと変わるまでの集大成としての物語。読み終えた後、駅のホームで見かける誰かにも、きっと物語があるのだと、ふと思わされます。自分の“好き”を大切にし、誰かの“好き”を受け止めること。その小さな勇気が、世界を少しだけ優しくしてくれる。そんな気持ちになれる作品でした。

その他のおすすめレビュー

Maya Estivaさんの他のおすすめレビュー1,021