第八話⑴

 八


「こんばんは! 『ネバーランド ガールズ』で、一番面白くて可愛い神希で~す」

 植木が楽屋に入室した際に浴びた第一声はそんな言葉だった。その言葉の真偽について思いを巡らす暇もなく、神希はずんずんと近づいてきて、植木の両手を揺すらんばかりに強く握った。

「よろしくお願いしま~す」とハキハキと言って、ぺこりとお辞儀をした。

「ああ、よろしく。浅草署の植木です。さっそくだけど、話を聞かせて…」

「ああっ、もうっ、わたしが主役のイベント中で事件が起こるなんて、悲シゲ~。でも、ホンモノの刑事さんに会えて、嬉シゲ~」

「あの、だから話を・・・」

「でも、まだイベントは終わってないから、この後もがんばりシゲ~」

「いや、イベントの中止も考え・・・」

「催涙スプレーを目にかけるなんて、許せない! ひどシゲ~」

 おい、こら! 人の話を聞かんかい!

「ちょっ、ちょっと、静かにしてもらっていいかな? ぜひとも聞きたいことがあるんだよ」

「なにをですか?」

「だ~か~ら、君が被害者を発見した経緯だよ」

「え~ そっちですかあ~ シゲ~を連発してるのに、さっきから、全力でスル―してますよね?」

「・・・」

「これは、シゲ語っていうんですよ。『しげみ』のシゲを取ってシゲ語です。どんな言葉にも最後にシゲをつければ、オッケー!」と言って、左手の親指とひとさし指で〇を描く。

 いや、知らんがな!

「わ、わかった。今度、気が向いたら、使ってみるよ。今はとにかく、事件解決が最優先だから」

「そんなの、名探偵、天翔院良彦を呼べば一発ですよ。どんな難事件だって、すぐに解決しちゃうもん」

「天翔院良彦?」

「え~ 刑事さんなのに知らないんですか? 信じられないシゲ~」

 そのシゲは、いくらなんでも無理やりすぎるだろ。

「天翔院先生を呼んでくださいよ~ ねえねえ、呼んで呼んで~」

 幼児が駄々をこねるように、神希は両腕を前後に振ってその場で両足をじたばたと動かした。

 植木は神希との邂逅からものの数分もたたないうちに、精神力をはげしく消耗していた。

「おい、神希! 刑事さんに失礼だろっ! ちゃんとしなさい!」と叱ったのは、副支配人の鵜狩氏。すらりと背が高くひきしまった体型の鵜狩は、若々しさを誇示している四十代の男性で、いかにも「仕事がデキる」といった印象を与える意志の強そうな顔立ちをしている。

 一切の妥協を許さぬといった鋭い眼光は、さぞや彼の管理下にあるアイドルたちを怖れさせているのだろう。

 さきほどから神希の振る舞いを苦々しそうな顔で、と同時になかば諦めたような表情で見守っていたのだが、ついにたまりかねて口をはさんだような格好だ。

 すると神希は神妙な顔つきになってみせるものの、「さーせん。さーせんでした」と微塵も反省していない口ぶりである。

「と、とにかくだな、今、事件を担当しているのは、この僕だ。僕に話を聞かせてくれ」

 すると、「わっかりました」と敬礼の仕草をしながらようやく神希は了承して、「もちろん、話します。ただ、その前に、被害者の方の話を聞かせてください」と要求した。

「まあ、そりゃあ、構わないよ。そんなに長い話でもないし」

 植木は西内遥から聴取した内容をくわしく神希に伝えた。感心にもその間、神希はいっさい口をはさまず、植木の言葉にじっと耳を傾けている。

 植木は神希に語りかけながら、おとなしく黙っている神希の表情に目を注いでいるうちに、改めてあることに気づいた。

 さきほどから神希の強烈な個性に気おされて、意識の端に上ることもなかったのだが。

 神希成魅。

 正真正銘の美少女である。

 まさしく透き通るような白い肌に、小ぶりで彫りの深い顔立ちは、異国風の美しさを発散している。

 一見近寄りがたい印象を与えそうであるが、少し丸みを帯びたふっくらとした鼻の形が、完璧な造形美に一点のアクセントを添えて、愛嬌を醸し出していた。

 アーモンド色の大きな瞳はきらきらと輝き、胸のあたりまで伸びた漆黒の髪がつややかに輝いている。(植木は後日、インターネットで彼女のプロフィールを検索してみたのだが、神希成魅は日本人とインド人のハーフということだった。ちなみに、そのプロフィールによると、カレーはあまり好みではないらしい)。

 植木の話を聞き終えた神希は、しっかりとうなずくと、自らの体験を語り始めた。

「わたしは、今日のイベントのリハーサルを終えてから、楽屋を出ました。

 お客さんが会場に入ったあとで、こっそりと二階席から、その日のお客さんの様子を観察するのが好きなんです。ステージ袖と二階席からお客さんを眺めることによって、その日の全体の雰囲気を体感できて、ステージに上がったとき、お客さんとすぐに一体になれる気がして。

 二階席からお客さんを見たあとで、おトイレに向かいました。

 まあ、本番前で、けっこう緊張してたんで…

 その途中、二階の廊下を歩いているとき、ゾンビのコスプレをした人とすれ違いました。マスク越しに目も合いました。さっき、捨てられていた衣装を見せてもらいましたけど、犯人はあの人で間違いありません。それ以外の人は廊下で誰もみていませんし。

 もちろん、なんで立入禁止になっている二階にお客さんがいるのかなって不審に思ったんですけど、本番がもうすぐなので、あえて声はかけませんでした。

 今から考えると、そのことがほんとに悔やまれます・・・

 で、わたしがおトイレのちょっと手前の廊下まで来たとき、開演三分前を告げるアナウンスが聞こえました。

 急いで用を済ませたわたしは、楽屋に駆け戻ることにしました。今日の最初の衣装はジャージなので、三分もあればなんとか間に合うかなあって。

 被害者の方の話によると、そのアナウンスが始まったときに、ちょうど襲われたんですね・・・

 話を少し前に戻すと、わたしは二階席の後方の真ん中の扉から出た後、廊下を右へ進みました。

 すぐにゾンビとすれ違い、しばらく真っ直ぐ歩くと、右への曲がり角に差し掛かりました。

 そこを曲がって五mほど進んだ地点に、被害者の方が昇ってきた階段があるんです。

 おトイレは曲がり角の先にあるので、わたしは右には曲がらず真っ直ぐに進みました。そのときは被害者の方の姿は見ていませんから、わたしが曲がり角を過ぎた直後に、彼女は二階に現れたということになりますね。

 でも、わたしはスマートフォンで音楽を聴きながら行動していたので、物音にはまったく気づきませんでした。     

 会場のアナウンスはそれなりに大きな声だし、毎回のことなのであらかじめ予期していたから、かろうじて聞こえましたけど。

 おトイレから廊下に出てみると、すこし先に被害者の方が両目を押さえてうずくまっているのが見えました。

 わたしは駆けよって、彼女から大体の状況を聞いて、支配人の大関さんのところへ走りました。そして、大関さんと一緒に戻って、彼女を支配人室まで連れていったんです」

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