#10 - 気持ちイイ男②

「キティ、離婚成立したよ」

昼まで寝ていたアタシ達はスマホの振動で起こされ、横で電話を受けた“パンクス”が言った。

アタシは寝ぼけていたのでハッキリ聞き取れずに顔をしかめると

「これでいつでも結婚できるよ、キミと」

と、彼がうれしそうな顔で言ったのでようやく理解した。

彼はベッドの上で仰向けになっているアタシの上に彼が覆いかぶさってキスをした。

「ごめんね、ずっと……」

唇を離して彼はアタシの目を見て言った。

アタシが首を横に振ると「愛してる」と言ってまたキスをした。

特に修羅場があったわけでもなく、アタシは気にしてないつもりだったが、付き合いが始まって1年、アタシ達はやっと不倫関係ではなくなった。

 アタシと“パンクス”はこれをきっかけにおそろいのタトゥーを入れた。

裸で寝転がっているタトゥーまみれの彼の心臓のあたりに、油性ペンでオープンハートとその下に『mine』と小さく書いたことがあった。

彼がタトゥーを入れるのに付き合って一緒に行った時にそれを思い出して

「キティ、ここにあの時のハート書いて」

と、言ってペンを渡されて左の中指の付け根に手書きのオープンハートを書いた。それをタトゥーにした。ニッコリと微笑みながら中指を立てて見せて

「キミも入れなよ」

と、促されてアタシも同じ場所に同じタトゥーを入れた。アタシ達の中で中指を立てることが愛情表現となった。


 アタシと“パンクス”の2度目の夏、ずっとしていた嫌な予感が当たった。

この日は都心のライブで、アタシも一緒に楽屋にいた。彼はリハーサルやら打ち合わせやら取材などで忙しくしていたので、アタシは楽屋の隅に座り彼の様子を眺めたり、本を読んだりして過ごしていた。

ライブに同行した日はたいていこんな風に過ごしていて、ほっておかれるのも慣れていたので静かに独りで過ごしていると、楽屋の外が急に騒がしくなった。

扉が勢いよく開き

「キティ!」

と、アタシの本名をきっと忘れてしまっている“パンクス”のアシスタントが大きな声で呼んだ。

何事か立ち上がり彼について行くと、ステージの脇で倒れている“パンクス”の姿が目に飛び込んできた。

「どうしたの?!」

と、近づくと

「もう救急車は呼んだから、動かさないでって」

と、周りのスタッフから聞かされた。

真っ青な顔をした“パンクス”は息をしているものの微動だにせず、誰かがかけてくれた毛布にくるまれていた。

周りにはスタッフも座り込み、メンバーも心配そうな顔で見つめている。

少しすると救急隊がやってきて担架に乗せられて運ばれていったが、アタシが何度名前を呼んでも1度も目も開けず、反応はなかった。

 病院で診てもらった“パンクス”は大事には至らなかったが、もちろんライブは中止で、検査やもろもろで数日入院することになった。

忙しさもあっただろうが、職業がら不規則な生活をして不摂生だったうえ、睡眠導入剤や安定剤を飲んでた。薬とアルコールを同時に接種したり、処方以上の量を飲んでいたのが原因だった。

アタシはそこまで乱暴な飲み方をしていたとは想像していなかったが、薬の量やアルコールの量が多いことには気が付いていたし、それはあまり良くないことだということもわかっている。だけど、彼はいつも元気だったし特に問題だとは思っていなかった。

 アタシの思慮の浅さが招いたのだと、病室で点滴をされて眠っている“パンクス”の顔を見ながら自分を責めていた。

個室に入れられた彼は一向に目を覚ます気配はなく、アタシとアシスタントはただだまってソファに座っていた。アシスタントがスマフォで彼の好きな曲をプレイリストにして小さな音量で流していても、それが彼に届いているかはわからない。不安が立ち込める室内には名曲たちがひっそりと響いているだけだった。時折看護師がやってきて彼や点滴の様子を確認してすぐ去っていく。

 それが何度か繰り返されたとき、ここに運び込まれて半日くらいたった頃だろうか、“パンクス”は小さい声をだした。アタシとアシスタントは彼に視線をやった。点滴を確認している看護師が

「目覚めましたか? ここは病院ですよ」

と、彼に問いかけると

「はい……」

と、弱弱しく答えたので

「お水とか、欲しいものありますか?」

看護師がさらに聞くと、彼は少し黙ってから

「家族、呼んで。妻と子供と……」

と、言った。

アタシはその様子を看護師の背後から伺っていた。

彼は家族を取り戻したがっているのだと感じた。

病室にはSilverシルバーの“Wham Bam Shang-A-Lang”が静かに流れていた。


「あの状態で自分が何言ってるかなんてわかってないよ」

と、“パンクス”のアシスタントはアタシをフォローするように言うが、アタシには確かに聞こえてしまってそれをなかったことにはできない。

確かにあの朦朧とした状況でどこまで本心かわからないが、逆にあんな時だから本心が出たのかもしれない。

本当の事を聞きたくても“パンクス”はまた死んだように寝ている。

 アタシはいつも一緒にいたのにこんな状況になる前に止められなかった自分にも苛立っている。

楽しいことだけを共有して大事なことをおざなりにして、まるで子供の付き合いだったように思えて自分の未熟さに腹が立つ。


 アタシは覚悟を決めて元のパートナーに電話をして今の状況を説明した。

『ニュースで見て心配してたのよ。わざわざ電話ありがとう』

彼女も心配そうだった。アタシは意を決して話した。

「あの……彼の元へ戻ってもらえませんか?」

『え?』

「アタシが言う事じゃないかもしれませんが、彼はあなたと子供たちと一緒なのを望んでいて」

『まぁ子供は……。まさか……』

「お願いします」

アタシは涙をこらえて必死で彼女に説明した。

昔から彼をよく知る彼女なら彼を元に戻せるはずだ。

彼を救って欲しい。キュートでパンクな彼に戻して欲しい。

 アタシは彼との家に戻った。

荷造りをして宅配業者を呼び、ダンボールを3つ預けた。彼への手紙を置いて沢山愛をもらった家を出た。

気を紛らわそうとタクシーの中でイヤフォンを耳に突っ込みスマートフォンで適当に音楽を再生した。

何曲目かでSkeeter Davisスキータ デイヴィスの“The End Of The World”の流れた。美しいメロディにそぐわない、今のアタシの心情はまさに世界の終わりのようで、後部座席の窓から見える流れる景色はどんどんと色を失っていった。

しかし、アタシは正しい選択をしたと思っている。彼が転落することなど望んでいない。だけどまだ子供のアタシには彼を奈落から救うことができない。彼の可愛い子猫でいることしかできないのだ。だからアタシのとった行動は正しいのだと信じている。


 実家に戻ると“幼馴染”がいて両手に荷物を持ったアタシを見るなり近寄って

「おかえり」

と、言ってアタシを抱きしめた。

彼の心配そうな顔見た瞬間、涙があふれた。抱きしめられたままひたすら泣いた。泣いてもいっこうに気は晴れなかった。

“パンクス”との生活はアタシの人生のすべてだった。

約2年続いたキュートな“パンクス”との恋は終わった。

 “パンクス”の元パートナーから“残念な弟”を通じてアタシに手紙が届いた。

彼の元に戻ったこと、 リハビリを支えてること、 回復は順調なこと、 そしてアタシへの感謝がつづられてた。

アタシは心のどこかで彼からの連絡を待っていた。

元気になった彼が『戻って来て』と電話してくると淡い期待をしていた。

でも本当に終わってしまった。

 アタシのことをキティと呼ぶ人はもういない。

アタシはどうやって生きていけばいいのだろう。


◆◆◆


♪ Silver - Wham Bam Shang-A-Lang

https://youtu.be/M5iSEdo5VNI


♪ Skeeter Davis - The End Of The World

https://youtu.be/1i6ox3v46JQ

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