#09 - 結婚している男
“幼馴染”への不思議な感情と向き合うために独りになりたくて、父の家へきて1か月が過ぎた。
両親の離婚以来、コチラにも子供の部屋が用意されているのだが、アタシはココであまり過ごしてはいなかった。
しかし1か月ともなるとだいぶ愛着が湧いてきて、自分の家のように感じるている。“残念な弟”もココに住んではいるのだが、仕事やら遊びやらで留守がちにしている。コチラに来る際にヒップホップ3人組のアシスタントは辞めてしまい、結局アタシは独りで何もしていない。
本を読み、音楽を聴いて踊ってみたり、映画を観て浮ついた恋愛に毒を吐いたり、1日の終わりには
そんなアタシを父は心配そうに見守り、弟は半笑いで見ている。
父の古くからの友人のミュージシャンの誕生日パーティーがウチで開かれた日、アタシもそれに参加することになった。有名人もそうでない人もお客がたくさん来た。
パーティの中盤、父はピアノを弾くので
「何か歌えよ」
と、隅で飲み物片手にパーティを傍観しているアタシを呼んだ。
「“All by Myself”はナシ」
少し険しい顔をした父はアタシが横に行くと小声で伝えた。
メインゲストの誕生日のミュージシャン、アタシも幼い頃からウチに出入りしていてよく知っているので断るわけにもいかず、
歌っている最中にとてもキュートな見覚えのある男の人と何度も目が合った。歌い終わると笑顔で拍手している彼とまた目が合った。アタシの心臓は高鳴って何かを感じた。
アタシはざわついた心を平常に戻そうと思い、庭へ出た。
高い塀で囲われた庭は芝生が敷かれていて、そこにもバーが用意されているのでお客でにぎわっていた。小さなプールに腰かけて足だけ水につけて平常心を取り戻そうと、ハイボールを飲み干した。
「いい飲みっぷりだね」
と、声をかけてきたのは先ほど笑顔でアタシの歌う姿を見ていた彼だった。
彼はあまり背は高くなく黒系の服装、目にかかるくらいのボサボサの黒髪、目が眠そうにトロンとしてて不健康そうで、見覚えがあったのはパンクバンドのギターボーカルだからだ。今日はプライベードだから、アイラインはしてない。タトゥーまみれだけど、それがとてもセクシーでキュートだった。
膝を曲げてアタシの隣にかがんだ彼は
「シンガー?」
と、聞いたので
「あ、いや、歌は……、聴くの専門で」
と、緊張感たっぷりに答えた。
「あのオレは──」
「うん、知ってる。好きです。アルバム持ってる」
自己紹介しようとした彼の言葉を遮ってアタシが手を差し出して言うと、彼はかわいい笑顔で握手をしてくれた。
その後アタシは何者なのか聞かれたが、1日中ドラマシリーズを見ていたり、ただ読書して毎日を過ごしている、何者でもない自分が恥ずかしくて、何も言わずにただ“キティ”と名乗った。意味はなく、とっさに出た偽名で、“パンクス”は笑ってた。
感じた何かは恋かもしれない。
あれからキュートな“パンクス”のことが頭から離れない。
父か“残念な弟”の関係だろうから、聞けば接点が持てるかもしれないが、有名な彼のことだから最低限の情報は調べればわかる。
彼は5歳年上で奥さんと子供が2人いる。学生時代に同級生とバンドを組んで、それにホレこんだ女子がマネージャーになり売り込んでバンドを大きくした。『それが今の嫁です』という経緯だ。
結局、“幼馴染”と気まずいままなうえ、恋しているかもしれない人には奥さんがいる。
アタシはやはり夜な夜な“All by myself”を熱唱して 落ち込みながら寝るしかない。
あいかわらずのいつもかわらない日、庭でサンベッドに寝転がって耳にイヤフォンを入れて音楽を聴きながら本を読んでいた。
アタシに影が差して右耳のイヤフォンが外れて、文章から目を離して空を見ると黒い人影が覗き込んでいた。
「ココの子だったんだね」
逆光で眩しくて目を細めてその声の主を見ると、上下黒の服にコンバースを履いたあの“パンクス”だった。
状況がわからず目を細めたまま本を腿の上に置き身体を起こして左耳のイヤフォンも外した。今まで聴いていた
「どうして?」
アタシが立ち上がり、彼の前に向き合うと
「やぁキティ」
と、半笑いな“残念な弟”が後からコチラに近寄ってきた。
2人は仕事関係の知り合いで、あの日『Be My Babyを歌っていたのはだれか』と“パンクス”が弟に聞いたのをきっかけに、半分面白がった弟がウチにまで連れてきたのだった。それでウチの夕食に“パンクス”は参加した。
会えてうれしいが深入りはできない。
食事を終えてアタシが玄関先まで彼を見送った。
「キティ、今度は2人で食事行こうよ」
アタシの名前を知ったはずの彼はまだキティと呼んでデートに誘った。深入りしないと心を決めたばかりなのに、彼の重い瞼の目を見るとアタシの決意は一瞬で崩れて「うん」と、返事をしていた。
わかってはいるが、2人で食事に行く約束をした。
それから3日後、キュートな“パンクス”と食事に行った。
思った通り明るく、そして見た目通りパンクな性格だった。アタシの中の小さな反骨精神が、彼への憧れを強くした。
ヤリ手で長年一緒の奥さんとは別居中で、バンドのあれこれと財産、子育てについて協議中で離婚はまだしていない。条件が折り合い次第、別れる予定だという。
離婚する理由を聞いてみると
「キティと結婚するために離婚するんだよ」
と、立ち入ったことを聞きすぎたようで、彼は笑いながら答えをはぐらかした。
アタシ達が出会う前からアタシと結婚するつもりだったとはおかしな話で
「預言者だね」
と、アタシが笑うと
「うん、キミはオレに夢中になるよ」
彼は本当に預言者なような事を言った。
その予言は当たる気がした。いや、もうほぼ当たってるようなものだった。
『まだ離婚協議中』という現状がなんとかアタシのキモチにブレーキをかけてるだけで、それさえなければおもいっきりアクセルを踏み込むような気がしている。
しかし現状がどうであろうと、何かきっかけさえあればアタシはブレーキから足をすぐさま離してしまいそうな危うさを自分に感じている。
◆◆◆
♪ Eric Carmen - All by Myself
https://youtu.be/iN9CjAfo5n0
♪ The Ronettes - Be My Baby
https://youtu.be/jSPpbOGnFgk
♪ Lady Gaga - Paparazzi
https://youtu.be/d2smz_1L2_0
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