#07 狂わす男②

 “V”との危うい関係は泥沼にはまらないように、安全な場所から出ることなく続けていたが、この関係が動き出したのはアタシと“ストライカー”が別れた時だった。

シングルになり心細くなったアタシは実家に戻ろうかと考えてると“V”に打ち明けた。彼は真剣な顔で聞いてくれていた。

その数日後、ひどく酔っぱらって、アタシと“V”はウチの玄関で寝ていたことがあった。買ったアイスは食べずに床に置きっぱなしで、デロデロに溶けていた。

ひどい二日酔いで起き上がってどうにか正気に戻った“V”は、

「オレらが付き合ったら、お前はここに残る?」

と、床に立膝をついて座った格好で、寝転がったままで頭を抱えているアタシに聞いた。

けれど彼には、会社員で奥ぶたえでキリっとアイラインをひいて、赤茶系のリップをして、胸くらいの長さの茶色い髪をカールして、ひざ丈のタイトスカートにヒールを履いた── こんなふうな彼女がいるのを知っている。

嘉音かのんちゃんが言ってたもん」と、古参バンギャルの子から聞いた情報を元に妄想を繰り広げたアタシを彼は呆れてような顔で見ていた。

「だからアタシがここに残っても、オレとは付き合わないよ」

それがアタシの答えだった。

「わかった」

と、言って立ち上がった“V”は、まだ寝転がったまま頭痛に悶えているアタシを見降ろして

「別れるわ」

と、言い残して家から勢いよく出て行った。

彼の足音と扉の閉まる音がアタシの頭痛を刺激した。

起き上がったアタシはキッチンで空腹にもかかわらず痛み止めをいっぱいの水で流し込んだ。彼は恋人と別れるのか。

少しの罪悪感が頭痛となって響いているような感覚だった。


 数日前、二日酔いのまま別れる宣言をして出て行った“V”から数日たってもまだ連絡はなかったが、前から約束していたバーでのライブの日になってしまった。

男はそんなものだし、何か約束したわけでもないし、たいして期待もしてなかったと、自分に言い聞かせていただけで心のどこかでは少しは期待していた。

アタシは“ストライカー”と別れたばかりだというのに、“V”に期待している。アタシは彼を好きだということなのか、本当に彼女と別れて欲しいのか、自分でもはっきりしないキモチだった。

 バーはいつものように盛況だった。

“V”はいつものように足を肩幅に広げて堂々と、かなり低めに肩から掛けたギターを弾きながら、これまた低い声でカバー曲歌っている。指元を見たとき前髪で顔が隠れる。そしてまた客席を見たとき顔にかかったままの前髪の間から鋭い目が見える。それがセクシーだった。

 壁際のイスのないテーブルを陣取っていたアタシの斜め前に、茶色い髪をカールしてひざ丈の上品なスカートをはいたコンサバ系の女性が輝くような眼差しでステージ上の“V”を見つめながら音に合わせて揺れていた。

女の第6感はアタル。

きっと“V”の恋人だ。アタシに『別れる』と宣言した彼女だ。

ただの彼のファンかもしれない。アタシの思い違いかもしれないが、そんな気がしてならない。


 “V”の恋人を見てしまい、彼の恋人の存在を実感してしまったからか、アタシは落ち着かず、帰宅してから深夜だというのに映画を観始めた。思考を止めて何かに没頭したかったからだ。たまに飲んでいる睡眠導入剤を口に入れてペットボトルからそのまま大量の水を飲んだ。

ソファに横たわり、布団をかけて、映画に気がとられているうちに眠りに落ちてしまいたい。薬が効き始めてぼんやりとはしても動けるうちにベッドへ移動するのが理想的だが、薬が完全に回ると動けなくなるので、ソファで寝てしまうのも覚悟している。

スマートフォンは寝るためにマナーモードにして伏せてあって気が付かなったが、“V”から連絡来ていたようで、アタシと連絡の取れない彼は突然ウチのインターフォンを鳴らした。

アタシは毛布を体に巻き付けて、玄関まで行き扉を開けて彼を迎え入れるた。

「どうしたの?」

「ごめん、突然。電話したけど、出なくて」

「あ、ごめん。寝ようとしてて」

「そうだよな、遅くにごめん」

玄関までに入ったが部屋には上がらず、黒いライダースを着た“V”はただ下を向いて立ったまま話した。

ステージに立ってる時と同じ格好だ。前髪で表情は見えない。

何か言いたげで言葉を探しているようだった。

「あがらないの? アタシ、眠剤飲んじゃってぼーっとしてるけど……」

部屋に上がるように促しても、彼は無言のまま足元を見ていた。

少しの沈黙があって

「子供デキて……」

突然の彼の告白だった。

たいしたことじゃない。

なにか約束したわけじゃなかったし、勝手に期待してただけだ。

 脳内でMy Chemical Romanceマイケミカルロマンスが演奏を始めた。ヴォーカルが『I’m not okayアイムノットオーケー』と声高に歌う。それに逆らってアタシは『アタシはダイジョウブ』と自分に言い聞かせる。必死で言い聞かせる。

ゴトンと大きな音がして我に返り音のした方を見ると、床に赤いベースが置かれていた。赤くて落書きのされているそのベースには見覚えがあった。“V”があまり語りたがらないバンド時代にメインで使っていたモノで、密かに見ていたYouTubeでよく目にしていた。

そんな大事なモノをなぜアタシに差し出すのかはわからない。

アタシに義理立てして音楽を辞めるとでもいうつもりなのだろうか。

そんなことは望んでいない。

「アタシ聴くから……自分の音楽やって」

アタシの恋愛より大事なモノがある。それは授かった命と彼の才能で、アタシのいつまで続くかもわからない不明瞭な恋心なんかより、よほど大切だ。

薬が回り始めた頭でもそれは明確で、アタシはそう言うのが精一杯だった。

“V”は「わかった」とつぶやいて、ベースを床においたまま部屋を出て行った。


 それからアタシと“V”は会わなくなった。

部屋に無造作に置かれているベースが目に入るたびに『アタシはダイジョウブ』と言い聞かせた。

それでもダイジョウブじゃなくなりそうな日は、ベースの横に置いてある実家から持ってきたアコースティックギターを乱暴にかき鳴らし、Alanis Morissetteアラニス モリセットの“You Oughta Know”を熱唱する。近所迷惑などお構いなしに。

 自分が想像する以上にアタシは彼に恋していた。彼が手に入らないと知った瞬間にそれに気づかされた。彼がステージに立っている姿を見たときからそのキモチは始まっていたのかもしれない。もしかしたらその前、初めてライブハウスの前で声をかけられたときかもしれない。アタシのキモチはいつから“ストライカー”から“V”へと移ったのだろう。

人の気持ちというのは自分でも理解できないほど複雑だ。

 確実なのは愛した男2人とも違う形で失った。アタシは結局独りだ。

地元に戻ることを決めた。

経験を重ねて強くなったアタシは地元に戻ってもきっと大丈夫だ。

イヤな思い出もすべてココに捨てて地元に戻ることを決めた。


◆◆◆


♪ My Chemical Romance - I’m not okay

https://youtu.be/dhZTNgAs4Fc?si=eMMnPczDrjmEM_do


♪ Alanis Morissette - You Oughta Know

https://youtu.be/NPcyTyilmYY?si=A-2G41FSH-aQpecl

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