第5話
迷子の理々を父親の元へ送り届ければ解決、という問題でもなさそうだ。
……もしかしたら。
……不気味だ。
なにか、裏で進行しているような――不穏な空気である。
その時だった。
イベント会場が、一つの大きな音で、沈黙を作り出す。
騒がしかった喧噪が消え、しーん、と、音が無くなる。
音楽も途切れた。
スピーカーが、壊されたのだ。
そして――数ある中の一つのテーブルだ。
その上にあった料理が、全て地面に転がっている。
皿が割れ、甲高い音が視線を集めた。
嫌が応でも、反応して見てしまうだろう。
――悲鳴が上がる。
耳の奥に突き刺さる女性の声だ。
理々は悲鳴こそ出さなかったが、全身が震えている……怯えている。
体を丸めて恐怖を寄せ付けないように、ぐっと体を小さくしている。だけど、そのせいで恐怖が彼女の体の中に閉じ込められてしまっている。
閉じこもってしまったからこそ、恐怖と正面から向き合うことになってしまい――理々の表情が、さっきよりも深刻に、歪んでいく。
「理々ッ――」
「バツ、よく見てろ。誰が、どこでなにをしているのか――を」
「……分かった」
今は理々よりも、相手だ。
恋敵の反応の早さと的確な指示で、俺は視線を外に向けられた。
理々の胸元から顔を出し、周囲を観察する――そして見えた。
さっきまでの静けさと、今の混乱を作り出した犯人を。
周囲から浮いているその人物の格好は、表舞台に出るべきそれではない。
黒いスーツで、サングラスをかけており――右手には拳銃だ。
ボディーガード――?
理々の、かは分からないけれど、間違いなくボディーガードである。
すると、黒スーツがこちらを向いた。
理々を見ている……?
まさか俺の視線に気づいたのか? と思ったが、違うようだ。
俺ではなく、恋敵でもなく、やはり狙いは――理々、か。
獲物を見つけたような目だ――
サングラスだけど、雰囲気でよく分かる。
人間から鳥になったからこそ、野生の勘がより働くようになったのかもしれない。敏感に、敵意を感じ取る。
その男は、子供相手にさすがに拳銃は使わないようで、腰にしまい、走り出した――理々に向かって近づいてきている!
「――理々ッ、すぐに会場から出ろッ、どっかの部屋に逃げるんだ!! このまま捕まれば、なにをされるか分かったものじゃない!!」
「うそ、だよ……っ、だってあの人は、だって――だってっ!! わたしのボディーガードだもんっっ!!」
だからきっと助けにきてくれたんだよっ、と理々……そうだったらどれだけ良かったか。
あの男がボディーガードではない、と否定しているわけではない。理々が言うのだから、間違いなくボディーガードではあるのだろうけど……。
けど、今に限れば、あの男は理々の味方ではないということだ――
敵なのだ。
呆然と立ったまま動けない理々は、近づいてくる男を受け入れるような姿勢だ――いつものように彼に身を任せようとしているのかもしれない。
理々は、それを望んでいる……? だとしても。
理々が自分から危険に飛び込もうとしているのを見て、黙っていられるわけがなかった。俺はそこまでがまん強いわけではない……!
服の内側から飛び出し、俺は自分のその羽で、理々の頬を叩く。
ぱちん、という音は鳴らなかったけれど、理々の注意を引くことはできたようだ。
「……バツくん」
「理々っ、とにかく走ってこの会場を出るんだ! そこから先は、もう考えている暇はない――なるようになる。いけるところまでいこう!!」
「そのためには、少しでも時間を稼ぐ必要があるよな、バツ印――」
俺の横を通り過ぎ、恋敵が動き出す。
が、なにも「ここはおれに任せて先にいけ!」ってわけではなく、恋敵はちゃんと戻ってくるつもりのようだ。
恋敵はテーブルの上に並べてあった酒を床にこぼす……、アルコール度数が高い種類のものばかりだ。そして――ライターを。
火を点ける。
最小の火が、連鎖し、繋がり、やがて大きくなる。
行く手を阻む、火の壁が出来上がった。
「……やり過ぎじゃないか? これじゃあ、他の人にも被害が……」
「んなこと気にしてる場合かよ!! とりあえず逃げるぞ、早くしろ!!」
気になるところはあるものの、恋敵の言う通りだ。
細かいところをいちいち指摘している時間など今の俺たちにはない――。
本当に命の危険を感じたのだから、他の客には悪いが、ここは利用させてもらう……これが俺たちの足りない鳥頭で考え出した最善だ。
俺は理々の手を引き。
恋敵も理々の手を引いて。
二羽の力で、理々を会場の外へ避難させる。
広い範囲に広がった火のせいか、理々は少し苦しそうだった。
だが、ここが踏ん張りどころだ。弱音を吐いては困る状況でもある。
「……おとうさん、いなかった……、もしかしたら、まだ部屋にいるのかもしれない――バツくん、恋くんっ、わたしは、おとうさんのところにいきたいっ!!」
それは……。
もちろん、できれば理々を父親の元まで送り届けたいが……しかし、その部屋が分からないからこそこうしてイベント会場まで足を運んだのだ。
そして今、その会場は火の海となっている。
加えて、理々を狙う黒スーツの男まで現れて……。
色々と起きたけれど、事態は好転していない。
困難ばかりが増えていく……
このままでは行き止まりに当たってしまう。
既にその壁は見えているわけだ。
「――くそ、なんでもいい……ッ、現状を打破できるようなきっかけがあれば――」
恋敵がそう願った時――
神様が見ていてくれたのか、変化が起きた。
だが――もしも神がいるのだとすれば、恨むぞ……っ。
そういう変化はいらない。
変化が起きて、手がかりもできた。
ヒントだって得られたようなものだが……。
神様は、俺たちで遊んでいるのか?
「……なに、どうしたの? バツくん、恋くん……なに、なんなのよお……っ」
理々は状況を理解できていない。
それは、良かったのだろう――
あの音を聞かせることはできればしたくない。
恋敵も同感のようで、頷いていた。
俺たちは二人、顔を合わせて安堵の息を吐くが……まだ終わっていない。
始まった、とも言えた――
――プロローグが終わる。
――本編が始まる。
そう、この船の中で、一か所で起こったことだと言うのに。
それでも船内の全てに響いた音は、そう――――銃声。
同時に、俺の中でなにかが砕けた。
不快な音が俺の頭の奥で鳴り響く。
しつこく、ひっついている――
そしてその音をきっかけにして、俺は再び過去の世界へ誘われる。
記憶だ。
思い出へ――俺は意識を吹き飛ばされた。
「いらっしゃーい! ようこそオカルト研究会へ! 少し汚いけど、まあ男の子なんだからがまんできるよねー?」
部屋の中にはいくつもテントが張ってあり、その中から怪しい声が聞こえてくる……卑猥な話ではなく。オカルトに関することだろう。
占いでもしているのか?
鯱先輩が、手に持つクラッカーを投げ捨てた。
ゴミはゴミ箱に入れてくださいよ……そういうだらしなさが部屋を汚くしているんじゃないですか?
よく見てみれば、散乱しているゴミだけでなく、お札も部屋中に貼られている……え、怖っ。
オカルトというか、呪いの部屋に思えてきた……呪いはオカルトなんだっけ?
ともかく、カップラーメンのゴミも散乱している部屋である。
とても女子がいる部屋だとは思えなかった。
「……個性的な部屋ですね」
「いいよ気を遣わなくて。汚いって言ってくれた方がこっちも楽だよ」
と、言ってはくれるけど、こっちの気持ちも考えてほしいものだ。
連れてこられてすぐに「汚い!」とは言えないだろう……。
気持ち的には。
しかし自然と、俺の口は動いていたらしい……声に出ていた。
鯱先輩だから……かもしれない。
「汚いですね」
言ってしまってからはっとして、口を手で押さえたが、鯱先輩は俺の無礼にきつい視線を向けることもなく。
逆に、好感度が上がったようだった。
「ぷっ、あっははっ、いいね! そうやって本音を言ってくれるのが私としてはすっごく嬉しいんだからね……その調子だよ。だから君も打ち解けてくれていいんだよ、恋君」
鯱先輩は俺が「恋敵」と呼ぶのを知り、恋君と命名した。
馴れ馴れしい――のは、先輩の良さでもある。
だが、恋敵にこの距離の詰め方はあまり良くないだろう……。
「…………」
やっぱり、恋敵は俺の背中に隠れて先輩の質問には答えなかった。
口を閉じ、開くつもりがないらしい……
さすがの先輩も苛立つか? と思えば。
彼女は「あははっ」と笑うだけだ。
恋敵の態度を個性と受け取ってくれたらしい。
面白い、と思ってくれたのであれば、ハラハラする心配もないか……?
面白ければいい、という鯱先輩の判断だ。
「私とは話せない……いや、私とだけ話さないつもりなのかな……いいけど。気にするけど、それが恋君の個性なら尊重するよ……私は君の個性を調理したいからね……ふふ、腕が鳴るねえ」
先輩が舌を出して唇を濡らす。
獲物を見る目――
「じゃあ二人とも、こっちきて」
と、部屋の中でも一番豪華で大きなテントに連れていかれる。
ほれほれ、と手招く鯱先輩の後を追った。
「ここが先輩の部屋ですか?」
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