第6話

「うん。もちろん、住んでるわけじゃないけどね。たまに作業だったり、調べものだったり……家に帰らないことも多いから。寝泊まりすることもあるのよね……、ん? もしかして、夜にここで過ごす私の姿でも想像したのかな? いいよー、存分にしてくれてもね。バツ君だったら一緒に寝たっていいしぃ」


「退学になりたくないので遠慮しておきます」


 断ると、先輩が「ちぇー」と残念がった。


「ま、退学にはならないと思うけどね」



 正直なところ、魅力的な提案ではあった……俺だって男である。

 しかし、一緒に寝れば本当に、自分のなにもかもが鯱先輩に食べられてしまうのではないか――奪われてしまうのではないか、と危険を感じたのだ。


 それに、こんな場所で朝を迎えたくはない。

 テントの中とは言え、テントの外はゴミとお札の山だ。

 過ごしている人の前で言うべきではないけれど、悪環境だろ。


 遊びにくるだけならいいけど、住むとなると……数時間はいられないな。

 滞在しても一時間未満が限界だ。


「それじゃあっ、オカルト研究会・会長、箱戸鯱の新しいプロジェクト――これは大昔の儀式なんだけど、それを今からやりたいと思いまーすっっ!!」


 先輩が、転がっていたフライパンをお玉でカンカンカンと叩きながら。

 テント越しでも分かる……周りのテントから「なんだなんだ!」と興味津々な声だ。


 周りのテントの中からわらわらと会員が出てきていた。

 まあ、鯱先輩のテントは閉まっているので、入ってはこれないだろうけど……。


 すると、後ろにいた恋敵が、ぼそっと俺の耳元で囁いた。



「(いかにも怪しい雰囲気だよな……ここまで入ってきてから言うのもなんだけど、本当に大丈夫なのか、これ……。嫌な予感しかしないんだけどよお――)」


「(俺だってそうだよ、嫌な予感しかしないし――でも、ここで逃げることはできなさそうだ。テキトーに受けて、帰ろう。ここで逃げるよりはマシだ。中途半端は後々、不都合が生じるだろうからな……、鯱先輩のことだからしつこく付きまとってきそうだし)」


 だな、と恋敵も頷いた。

 その後は口を閉ざし、俺の背中に隠れる。

 鯱先輩とは目も合わせようとしない……完全に無関係でいるつもりか。


 いいけど。

 ……ってことは、先輩が言う儀式の標的は自動的に俺になるってことじゃん――。

 いや、二人まとめて?


 まあ、そのあたりのことは先輩に聞いてみないと分からないか。


 儀式を前にして無関係を貫くのは勇気がいる――だって不都合もまとめて聞かないで儀式に挑むことを意味するから。

 ……よほど嫌なのか、恋敵にとっては。


「ぼそぼそと話してたみたいだけど、もういいの? 考えはまとまった? いてもいなくても私は私のペースでやるからねー。だから関係ないの。さて、じゃあやろうか。儀式儀式儀式――っと。必要なものはこれ、この石を持って……はい、正座しててね」


 と、鯱先輩が俺たちの肩を上から押して座らせる。

 渡された石……それがなんだか、汚く光っている……。


 黒く、輝いて――不気味な感じだった。

 恋敵も渡された石を見つめており……そして、鯱先輩も腰を下ろした。


 俺たちと向き合う体勢だ。

 カバンから同じく黒い石を取り出し、ぎゅっと握り締める――それから。


 力強く、自身の胸に叩きつけた。

 ……それが合図だったのか?


 それが、儀式の手順だったのだろうか――

 その時、石が震えた気がした。


 手元の石を見る――恋敵も同じく、だ。



 やがて。


 発生した黒い光が俺たちを包み込んだ。


 噴出した黒い光の線が、俺たちをぐるぐると縛るように巻き付いてきて――逃げられない。


 まるで黒い包帯で、ミイラのように覆うことで……俺たちは――――


 あとはもう、言わずとも分かるだろう?




 ……気づけば俺たちは船の上にいた。


 気づけば人外の生物になっていた……そんな話である。





 俺の意識が過去から今へ戻ってきた瞬間。

 現状を整理する余裕はない。

 俺はされるがままに、恋敵に手を引っ張られた――


 恋敵の片方の手には先客がいる……理々だ。

 彼女も、理解しているとは言い難い表情だった。


 ――現在、俺たちは逃げている……。

 けど、しかし追ってくる者はいない。

 ……のだけど。


 恋敵は一体、なにから逃げているのか……。

 時間?

 タイムリミット?

 だとすれば、なんの――?


 すると、恋敵が俺を見た。



「バツッ、ぼーっとしてんじゃねえ! 何度も声をかけたのに、一切反応しないなんてよ――気絶してたわけでもねえだろ! 説明してもらうからな……っ、おまえの意識はどこでなにをやっていたのか!!」


 文句を言ったものの、きちんと現状の説明をしてくれた。

 一から十まで。

 ただし、恋敵が知る範囲内で、だ。


 それは当然だ、と俺は思ったが、恋敵は自分の主観でしか説明できないところに不満があったらしい。

 悔しそうに歯噛みしている……いや、俺は充分だぞ?

 説明がないよりマシだ。


「なるほどね……今、すぐ傍にいて姿が見えているわけじゃないけど、間違いなく追われているわけか……。しかも相手は銃を持っているから――そして狙いは理々だと。なるほどなるほど……そりゃあ完全に俺たちの敵だな」


「ああ、そういうことだ。だから理々を逃がしたいんだが、しかし名案が浮ばねえ。隠れる場所なら大量にありそうだが、でも、ずっと隠れられるところとなると、ないだろ」


 そりゃあそうだ。

 一生隠れられるところなんて、どこにも――船に限らず、ないだろう。


 転々とするしかない。

 だが、移動する際に見つかってしまえば全てが無駄になる。

 見つからない場所か……部屋はダメだ。


 食堂やトイレも同じく。

 船員の部屋や厨房だって……探されて当然だ。

 相手の手が届かない部屋なんてないだろう。


 となると、隠れる場所がまったくない。

 このままだとまずいな……。


 今は距離があるが、しかし、じきに見えてくる。

 拳銃を持つ黒スーツの男に、捕まってしまう……。


 俺たちだけならいいが、理々が捕まってしまうのは……ッ。

 ――クソ。

 ――どうする!?


 きょろきょろ、と俺は周りを見渡す。

 正直なところ、俺も確信があったわけではない。

 ダメ元だった……だから集中もしていない。

 ふと、見ただけだったのだが……


 でも、運が良かったのだ。

 俺は、小さい体だからこそ入ることができる小さな穴を見つけた。


 そこは空気の入れ替えをおこなうための隙間である――中を見れば、各部屋に繋がっているらしい。

 穴があるのは足下だが、進んでいけば、いずれ天井にも地下にもいくことができるだろう……そういう構造になっている。


 どの部屋にでもいけるとするならば。

 ……理々の父親を探すこともできるはずだ。


 それに、黒スーツたちの動向も調べられる。

 迷う余地はなかった。



 ――走り疲れて体力の限界だった理々。

 彼女の息が整うのを待っている余裕はない。

 俺と恋敵の二人で、理々の背中を押し、見つけた穴の中へ。


 その時、やっと、と言うべきか――黒スーツの男が姿を見せた。

 理々の姿を探しているようだが……残念ながら、もうそこにはいない。


 俺たちは大人には入れない穴の先にいる……、きちんと穴のカバーを戻しておいたので、気付いたとしてももう少し時間を稼げるだろう。

 俺たちは先へ進む。


 恋敵を先行させ、その後ろに理々だ……で、その後ろを俺が続く。

 中は暗かった。

 が、各部屋に繋がっているので、漏れた光で視界は確保できている。


 先の道も分かり、俺たちの互いの顔も確認し合える。

 しかし、理々は前へ進もうとせず、途中で止まったままだった――。



「どうした?」


 ……理々は震えていた。

 命を狙われているという事実は、やはり汚雲家の一人娘でも――恐いか。

 まあ、そりゃそうか。

 大衆とは違う、選ばれた権力者でも……女の子だ。


 幼い女の子なら、まだ覚悟もできていない。

 ランドセルを背負い、友達と楽しくお喋りをして、遊園地や動物園ではしゃぐ、どこにでもいる女の子なのだから。



「……うらぎ、られて……わたし、ひとりで……誰も、誰も……たすけて、くれない……っ。み、味方は、いないよ……いない、いない……わたしは、孤独で……ひとり、ぼっちで――」



 今にも泣き出しそうな理々だ。

 もしもスペースがあるなら、体育座りで体を丸めていただろう……そんな雰囲気だった。

 理々の気持ちは、完全に閉じこもってしまっている。


 ……ボディーガード、か。

 守ってくれることが当たり前であり、完全に信用していたボディーガードに裏切られるというのは、やはり精神的なダメージが大きいのだろう。


 理々にとっては、父親……いや、兄貴に裏切られたようなものかもしれない……。

 立ち直れなくても仕方のないことかもしれないが……でも、今は困る。

 この状況で立ち止まってしまうと、逃げることができない。


 今は空元気でもいいから……本当になんでもいい。

 理由は任せる……だから顔を上げてほしいんだよ、理々――



「理々、いくぞ、いつまでもめそめそしてんじゃねえ」

 と、恋敵。


 そんな言い方はないだろ、と思ったが、これくらいの刺激を与えないと届かない気がした。……今の理々には荒療治でちょうどいい。


「裏切られたからなんだよ、それが嫌なら最初から信じるんじゃねえ。信じるってことは、裏切られてもいいってことなんだよ……、おまえは信じたんだろ、あいつを。だったら裏切られたことにいつまでもうじうじと悩んでんじゃねえよ。おまえの命が懸かってんだ……こっちだって必死なんだ――理々」


 甘やかしたくなる気持ちも分かる。

 だけど今は、厳しく接するのがきっと正解だ。


 俺たちはダメダメな人間だから……、だから。

 理々には、同じような道を歩んでほしくない。


 厳しく接する。

 俺たちは、甘やかされてきたから……。



「理々、いこう」



 前進する恋敵を追う。

 俺は理々の手を取り、引っ張った。


 ……理々の体は脱力して全体重が乗っているせいか、重たかったけれど……だが、引っ張れないほどではない。


 ペンギンでも引っ張れるくらいには、俺には力がある。

 理々も、引っ張れば……背中を押せば、動けるのだ。

 俺たちが与えるべきは、きっかけで――。


 理々も、まだ負けていない。

 俯いた彼女の表情は、目は、絶望をしていてもまだ光がある。

 気持ちに、抗っている。


 展望は、闇ではなかった。

 ――勝負はまだ、終わっていない。

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