第二章 転校生

 テレビも新聞もネットニュースも、朝から大騒ぎだった。

 SNSのトレンドワードは軒並み関連で埋まっている。


 日本中を揺るがすニュースの震源地たる、とある俳優事務所の事務的なお知らせの投稿時間からして、このお祭り騒ぎは昨晩遅くから行われていたらしい。


 そのトレンドワードのトップを独走する渦中の人物が、陽向たち教室の一同の前に佇んでいた。

「えー、先日説明したが、今日からこのクラスの一員になることになった――」

隣で彼を紹介する担任教師もしどろもどろで、横目で確認する瞳の動きが忙しない。

槙野星治まきのほしはるさんです……」

目の前の彼の、有名すぎる名前との齟齬に大半のクラスメイトが首を傾げた。ざわめきがさらに大きくなる。

 頭部が傾がなかった面々は数人だが、全員が陽向と小学校を同じくする者たちだ。直接の面識はなくても、陽向同様彼のを知っている。

「えっと、槙野星治です」

担任が控えめに掌を向けたのを受けて、星治がふんわりと微笑んだ。それだけで一部の女子から悲鳴じみた声があがる。

「別の名前の方が、有名かもしれないけど、こっちが本名なので学校ではこっちで呼んでくれると嬉しいな」

小首を傾げた勢いで前髪が眉を撫でる。また幾人かの女子が天を仰いだ。

「ええと、ニュースでも聞いたと思うんですが、学業に集中したくて、地元に帰ってきました。普通の高校生、普通の同級生として接してほしいです」

それは無理な注文だと思う。都会ならともかく、ここはど田舎の、ごくごく平凡な普通科高校だ。

 都心まで二時間弱、近くの都市ですら正味一時間の立地で、芸能人を見慣れている者などここにはいない。

「あー、うん。みんな大変だろうが、仲良くやってくださいね……?」

言っている担任が真っ青で、心配になってくる。

「よろしくね」

そんな冷や汗でぶっ倒れそうな担任と、呼吸困難になりそうな教室の空気を他所に、昨日まで今をときめく売れっ子アイドルだったはずの幼馴染は燦々たる笑顔を振り撒いたのだった。


   ◯


 その後の授業は、もう授業どころではなかった。

 一応教師陣は自分の仕事をこなそうと努力していたし、生徒たちも表向きだけは静かに席に着いているから、授業の体はなしている。

 だが、その内容が学業として頭に入っているかといえば答えはノーである。

 無理もない。

 かくいう陽向だって、気になるものは気になる。陽向はたぶん、マシな方だと思う。星治とは小学校の同級生であり、見知った仲だから、連日テレビで見かけることに違和感を抱いていたくらいだ。

 だが、この浮き足立った教室の空気だけはいかんともしがたい。

 張り詰めていた緊張感は、昼休みに突入してついに決壊した。


 きっかけは話しかけた最初の一人。あとはなし崩しだった。

 遠巻きに見守っていた他のクラスの人まで入室してくる始末。リボンの色が違うあの女子グループに至っては学年すら違う先輩たちである。

 教室の廊下側の一番後ろに追加された星治の席を中心に、人の渦が形成されていた。

 噂の転校生を一目見ようと、廊下まで生徒が犇めいている。教室の前後にある出入口も完全に塞がれているので、逃げ場を失くした男子たちが自然と窓際に集まってくる。

「はぇー、すげーな」

自席に頬杖をついて、阿保面を隠そうともせずに順平が感嘆する。

「そりゃなあ」

自分の席が窓際であったことを数少ない幸運に感じ入りながら、陽向も同意する。

「ね、稲月さんは混ざらなくていいの?」

順平が人だかりを指さして前の席のセリナに問いかけた。

「ん。よくわかんない」

本当に興味がなさそうな表情で、セリナは淡々と答えた。

 思い返してみれば、生安課の事務所のテレビは食堂にあった一台だけで、まともに点いているのを見たことがない。

「もしかして、ドラマとか音楽番組とかも全然見ない?」

陽向だってテレビの視聴時間は長い方ではないと思うが、順平を飛び越えて訊ねられたセリナは小さく頷いた。

「ニュースくらいなら、たまに」

「スマホも持ってないもんなあ」

「持った方がいい?」

こてん、と首を傾げたセリナに、陽向は何と答えようか迷った。セリナの境遇は特殊だ。そこそこの出費を要求される携帯の購入に、陽向がおいそれと簡単に言えるものでもない。

「稲月さん、スマホ持ってないの?」

「携帯、持ってない」

「えぇー!?」

現代人の必需品である携帯電話そのものを持っていない高校生を目の当たりにして、順平が驚嘆した。

「そりゃ、あった方が便利だけど……なあ?」

「俺に振るなよ」

踏み込んではいけない領域だと察したのか、順平が誤魔化しを試みた。陽向としてもこれ以上藪蛇するつもりはない。

 今度春日野か密草あたりにそれとなく訊いてみよう。異能者の生活支援もしている団体だ。未成年のスマホ代くらい何とかしてくれるかもしれない。


 「ちょっと、ごめんね。通してね」

人だかりが波立った。少し前に似たような光景を見た気がする。例えるのもどうかと思うが、無限に湧きあがる狐の群れを思い出して、陽向は自分に呆れた。

 そんなどうしようもないことを考えていないと、この後の面倒事に耐えられそうになかったから。

 優しく、だが強引に押しのけられた女子が、心配しなくてよさそうな悲鳴をあげる。

「よっ、陽向久しぶり!」

数万人を魅了した爽やか笑顔を惜しげもなく晒して、星治が軽く掌を広げた。


 場はさらに混乱しかけたけれど、「数年ぶりに親友とゆっくり話したいんだけど」との鶴の一声により、人だかりは散った。だが、実際の状況はあまり変わっていない。みなが遠巻きに見守っている。

 やりづらい。硬直した順平が逃げ出すのも忘れてそこに留まっているのが救いといえば救いだ。

「よう、元気だったか?……でもないのか?」

絶やすことのない笑顔が、陽向の左腕に目線を落としてわずかに怯む。

「あ、ああ。これはちょっと。医者が大袈裟なだけで大したことねえんだけどな」

敵愾心を剥き出しにしている一部の女性陣が星治の背中越しに見えてしまっていて、陽向は引きつった笑みを顔面に貼り付ける。星治と違って専門ではないから、取り繕うのも一苦労だ。

「あ、は……し、親友……?牧野、セイジと……?」

再起動した順平が、遠回しに呼ぶなと言われた芸名を口走る。

 星治が絶やさない笑顔を順平に向けた。

 本気で嫌がっている。

「別に、小学校一緒だっただけだっての」

順平への助け舟と星治への牽制を込めて、陽向は軽く濁す。それでも星治は止まってくれない。

「そんでも一番仲良かったのお前だし?天巳第二小のツートップとは俺らのことだぜ」

「の、派手な方と地味な方な」

どちらがどちらかなど、言うまでもない。

 座っているから逃げ場がない。肩を組んでくるのもやめてほしい。そちらには傷がある。

「陽向」

順平に聞こえない、吐息を含んだ声が耳朶を打って、肌が粟だった。

「人目が気になる。放課後に話そう」

星治が何を話したいかは薄々察している。半目で睨んでから、陽向は小声で短く了承した。


   ◯


 さっさと帰ろうとしているセリナを呼び止めて、陽向は星治が指定した校舎裏へ向かう。

 転校初日だというのに、妙にこの学校の校舎に詳しい。

「私も一緒でいいの?」

突然同行を頼まれたセリナが困惑するのは当然だろう。

「いや、むしろ一緒に来て欲しい」

そうならないことを願っているが、予想できる範囲でには対処しておきたい。陽向一人では分が悪い。


 放課後で賑わう昇降口とは反対に、北側の校舎裏は静かだ。

 こちらには裏の山裾が隣接しており、フェンスのすぐ向こう側から斜面が始まっている。普段は使われない野外活動用の道具が押し込められた倉庫くらいしかないから、余程のことがなければ人など来ない。

 その倉庫の前で、星治は待っていた。

「よ!待ってたぜ。……ん?そっちは?」

「……だから言った」

二歩くらい後ろでセリナが陽向の後ろに隠れる気配を察知した。

「あー、うん。一応事情知ってる仲間、的な?」

改めて訊かれると答えに困る。星治はまだ本題を口にしてもいない。

「事情……うん、なるほど?」

だが、星治は訳知り顔で頷いた。陽向は溜息と一緒に本題を切り出す。

「面倒だからこっちから訊くけど、お前それどうした?」

控えめに星治を指差して、陽向は今朝から星治が纏う異様な気配を指摘した。

「妖気……って言って通じるか?とにかくその、何かに取り憑かれてるぞお前」

「ははっ、取り憑かれてるとか酷いな」

芝居かがった一笑の後、星治は口角を吊り上げる。

がどういう状態か、ちゃんとわかってるくせに」

「……全部説明済みだと思って間違いない?」

カマをかけたつもりだったが、陽向は苦笑いを隠せない。

「うん。何なら陽向巫覡やってるの知ってるよ」

「え⁉︎」

反応したのはセリナだ。

「もしかして、コイツも視えてたり……?」

陽向は恐る恐る自分の頭の上を指差す。

「ぴ!」

子龍の片前足が頭皮から離れた感触。元気よく鳴いたのは挨拶のつもりだろうか。

「やあ。随分と可愛らしい神格だね?」

「視えてんのか、マジか」

陽向の記憶が確かなら、星治に鬼見の才はなかったはずだ。

「そんなに驚かなくてもいいだろ。きっかけをくれたのは陽向だよ?」

「へ?」

本当に心当たりがなくて、子龍が頭の上に居るのを忘れて首を傾げる。ずり落ちそうになった子龍が爪を立てた。

「手紙、確かに渡したよ。本妖ほんにんにね」

「あ」

思い出した。座敷童子の真琴に託された、東京に居る妖への手紙を渡してくれと頼んだのだった。

 だが、陽向が依頼したのは妖の居場所に手紙を置くところまでだ。視えない人間に直接渡してもらうのは不可能だから。

「お前、いつから視えて……」

「視えぬから、私から契約を持ちかけたのだ」

聞こえた声は男性のものだが、星治のものではない。星治の足元に、波紋が広がった。陽向の見間違いではない。地面が水面のように波立っている。

「契約すれば、私の姿を視せてやるとな」

地面から人影が迫り上がった。

「ついでに願い出たのだよ。私をこちらに還してほしいと」

長い銀髪は彼が人でないことをはっきり表している。白地に朱の模様が散らばる着流しからは水が滴っている。

「契約してなくても後ろの彼女には視えてるんだな」

星治が興味深そうに言った。

「ふむ。アレは『こちら側』の存在だろう。いや、混ざりモノか」

セリナの妖気が緊張に震える。連れてきたことに後ろめたさを感じて、陽向はセリナを背の後ろに隠した。

「そもそも、そちらの男の方も契約せずとも視えているだろう。こういうのは天性だよ」

「知ってるよ」

心外そうに星治が笑顔の中で眉を寄せる。笑顔で機嫌の悪さを表現するとは、器用だ。

「つまり、そちらさんが座敷童子の料亭の庭の池の鯉だと」

予想できる情報を集約して述べた陽向に対して、人型になった鯉妖怪はあっさり頷いた。

「いかにも。して、真琴は元気かい?」

「言われてみれば、あれから行ってないな。まだ行ってないんですか?」

ここ数週間ごたごたしていたので生活圏ではない真琴の家には子龍の一件以来赴いていない。

「行ってはみた。工事中で入れなかった」

「工事?ってことは買い手がついたのかな、あの家」

家ごと取り壊しでないことを祈る。相当な古民家だから、壊してしまうには惜しい建物だった。リノベーションであってほしい。

「今度の休みに行ってみるか。あ、でも入れないのか。外から見えるか?」

取り壊しか改装かくらいは覗けばわかるだろうか。屋敷に憑く妖である座敷童への影響が気になる。真琴のことだから建て直した家にもあっさり憑きそうではあるけれど。

「行くなら私も連れて行ってほしいかな」

鯉の妖が肩を竦める。

「座についたら気軽には動けぬからな。――む。他の巫覡に頼みごとをするのはマナー違反か?」

「――座?」

「うん。悠鯉ゆうりに聞いたんだけど」

答えたのは星治だった。

「彼ね、ここのヌシになるんだって」

「……はい?」

「で、陽向の方が事情知ってるでしょ?」

星治は、どこまで知っているのだろうか。

「手伝ってくれると、嬉しいな」

呆然と立ち尽くす陽向に、星治が笑いかけた。

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人界の龍-あやかし生活安心課秘録- 日秋じゃこ @jaco-chiri17

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