第三部

第一章 学校の怪談

 「怪談?」

「そう。最近噂になっててさ」

いかにも都市伝説の語り部のごとく声を顰めた前の席の岡辺順平の仕草に、上名陽向は思い切り眉根を寄せた。

「学校の怪談ってお前、小学校じゃあるまいし……」

そういう眉唾な噂話を好む妹を思い出して、陽向は辟易して肩を竦める。完治していない左肩が痛んで少し後悔した。

 しかも天巳高校は建て替えられて一年経っていない。そんな新しい校舎で、怪談話など。

「それがさ、実際に体験した奴が何人もいるらしいんだよ」

勝手に話を進める順平は至極楽しそうだ。話の腰を折るのも申し訳なくて、陽向は内心渋々耳を傾ける。

「ほら、この学校、最近やたらと事故る奴が出てるだろ?——他ならぬ、お前もなんだけどさ」

言われて陽向は目を逸らす。未だに三角巾で吊り下げている左腕の負傷は、正しくは事故ではないのだが、これまでそう言い訳してきたので誤魔化し続けるしかない。

「……これは、だからマジでただの事故で、怪談とか関係ねえから」

しどろもどろになりながら、強引に言い切った陽向を、順平は不服そうに見上げた。

「もしかして、怖い話苦手?」

「違う」

すかさず否定したのは強がりなどではないが、順平は口角を上げた。

「なあ、心当たりねえ?事故った奴ほぼ全員が同じ経験したって言ってんだけど」

わざとらしく囁いた順平を睨め付けてみたけれど、順平は構わず話を続けた。

「誰もいない、学校の話」

つい反応してしまったのは失敗だった。逸らしていた目を向けた先で順平がニヤッと笑う。話の先に予想がついて、陽向はせめてもの嫌悪を表情で出してみる。が、順平は止まらなかった。


 「校内にいる時な、いつの間にか周りから人の気配が消えてたんだって。時間帯は色々だけど、全員が窓の外は夕焼けだったって言ってる。

 がやがや言ってる声とか、物音とかが何にも聞こえなくて、辺りを見ても誰もいない。

 これは人によりだけど、職員室とか、会議室にも先生一人見当たらないんだと。

 こりゃおかしいって、外に出ようとしたら、昇降口も正面玄関も裏口も、全部閉まってて開かなかったって。

 ほとんどの奴はいつの間にか元に戻ってたって言うけど、一部、そうじゃない奴らがいる。事故で怪我した奴らだ。

 そいつらが言うには、中庭に入るシャッターは開いてたんだそうだ。怪我した奴らが全員中庭に入ってて、まあ、今登校できてる奴はすぐに引き上げたらしいんだけどな」


 長々と語った順平の前で、陽向は怪談話に対する恐怖ではない危機感に冷や汗をかいていた。

「で、だ」

人差し指を逸らし気味に立てて、順平が犯人を指名する名探偵のごとく宣言する。

「ぶっちゃけどうよ?心当たりないの?」

 ……ある。ありすぎる。

 夕暮れの無人の学校にもし、中庭にも足を踏み入れた。何なら『その奥』にすら立ち入っている。

 だが、陽向が経験した無人の学校での出来事と、今回負った怪我が完全に無関係なのは断言できる。

 だが、それを順平に説明するわけにはいかない。

 陽向がそう断言できるのは、『こういう事象』に多少の見識があるからだ。そして、その理解を順平に伝えるには踏むべき段階が多すぎる。

 そもそも、順平は陽向と同じ景色すら視ていないのだから。


 「陽向?どうした?」

はっと気が付けば、順平が心配そうな顔で覗き込んでいた。

「大丈夫か?……その、悪い。怪我、したんだもんな。すまん、茶化すような真似して」

「あ、いや、違う、そうじゃなくて」

本気の猛省を見せる順平に、陽向は罪悪感から右手を振った。その右手にも巻かれた包帯を目にして、順平の表情が更に曇る。

「違うって。……えっと、もしかしたらアレかもって思い出してたらぼーっとしてただけで。けど、たぶん違った。人の声は聞こえてたし」

思わず早口で捲し立ててしまった。しかも大嘘である。

 勝手に罪悪感を募らせる陽向を他所に、順平は苦笑いして話題を変えた。


   ◯


 「って話があってさぁ」

放課後に立ち寄った妖生活安心課の事務所の休憩室で、陽向は眼前に並んだ数枚のカードを真剣に吟味する。

 扇状に広げられたカードを手に緊張の面持ちで陽向の手の動きを観察するセリナに、どこまで話が届いたかはわからない。

「よくある噂話にしては内容がな、って感じだし、セリナは学校で何か聞いてねえか?」

本来なら避けるだろう一枚を、不安げに目を泳がせるセリナに心の声で謝りながら、引き抜く。

「あっ、ダメ……!」

と、同時にセリナから狼狽えた声と、選んだ一枚が燃えた。

「ぴっ」

すかさず子龍が水を吹く。指先ごとびちゃびちゃになったカードをひっくり返してみれば、半分ほど残った道化師の絵柄が現れた。

「う……またダメだった」

しょんぼりと肩を落とすセリナは可哀想だが、訓練なので仕方ない。

「じゃ、仕切り直しな。安心しろ、いっぱい作ってあるから」

輪ゴムで止めた紙束は、コピー機で大量に複製したトランプだ。一式五十二枚、カットは陽向ほか生安課メンバーによる共同作業である。

 子龍の放水にも耐えられるように、テーブル上には大きめのタライが設置され、ババ抜きによって揃ったカードは全てその中に捨てられている。

 なお、何度か放水したので既に水の中にカードが大量に沈んでいるという奇妙な絵面になっている。その内二枚が焦げ跡のついたジョーカーであり、四枚が水中で傘を広げた謎の茸を生やしている。

「姉ちゃんさっきからジョーカーばっか燃やしてるけど、勝ちたくないの?」

水中に没したジョーカーの燃え滓を覗き込んで、茸の犯人である大紀が口を窄めた。

「そう言うわけじゃ……」

子供の指摘というものは時に容赦なく残酷である、と陽向は思う。

 ここに至るまでセリナが妖力の制御に失敗して燃やしたカードは二枚で、二つともジョーカーだ。彼女が何を嫌がっているかは明確である。順番的に二連続で目の当たりにして、陽向としては少々気恥ずかしい。

「言っとくが、大紀の方が失敗してる回数多いからな」

まだ癇癪を起こして茸の胞子を撒き散らしていないだけ、大紀は頑張っている。その努力は認めた上で、もう一歩先へと進んで欲しいから、今回の陽向は心を鬼にする決意をしている。

「勝ち負けよりそっちが目標だから」

いかなる理不尽に見舞われようとも、感情に任せて妖力を暴走させない訓練。それがこのババ抜きである。

「それなら陽向ずるい〜。妖力暴走したら負けなら、陽向は負け条件ないじゃんかぁ」

「セリナは姉ちゃん呼びなのに俺は呼び捨てなの何で?」

釈然としない陽向の問いかけは、小学生男子大紀の「ずるい」連呼によって掻き消された。

「じゃあハンデでも作るか」

と、言っても陽向に二人の暴走に相当するものはない。無意識を含めた感情がトリガーな以上、こう思ったら、のような条件付けも難しい。

 悩む陽向を見上げて、大紀が無邪気に提案する。

「じゃ、陽向はジョーカー持ったらアウトってことで!」

「まさかの即死判定⁉︎」

難易度が跳ね上がってしまったが、ここで大紀に逃げ出されても困る。

「ほら、早く配って」

大紀に急かされて、不自由な左手(骨折ではないので動くは動く)も駆使してカードを切る。コピー用紙だし、通常のトランプより小さいのでシャッフルしにくいが、燃やしたり茸を生やさない陽向にしかできない役目だ。

「……最初っから俺がジョーカー持ってる場合はどうなるの?」

配られた手札を吊ったままの左手で広げて、陽向は初手から手札を晒す羽目になった。


 最終的な軍配は大紀に上がった。

 タライを埋め尽くさんばかりの茸と多大なる忖度を含めた結果だが、陽向はこれでよかったと思っている。

 疲労が嵩んだのか、大紀は休憩室の一角に設けられた畳ゾーンで寝てしまった。

 一方、セリナは扇状に広げたトランプを睨んでぶつぶつ呟いている。

「陽向」

横になった大紀に毛布をかけていた陽向は、突然顔を上げたセリナに呼びかけられた。

「どした?」

「さっきの話だけど」

爆睡している大紀から離れてセリナに近寄れば、セリナは徐に見上げて続ける。

「学校の怪談」

「あ、ああ、うん。ちゃんと聞いてたんだ……?」

てっきりトランプに集中しすぎて耳に入っていないように見えたが。

「ごめん、もう一回話して」

気になる話題ではあったけれど、それどころではなかったとセリナは正直に白状した。陽向も承知の上での雑談だったから、同じ話を繰り返すことに否やはない。

「むしろ集中乱して悪かった」

そう前置きして、陽向はセリナの正面の椅子に座りなおした。


 順平から聞いた噂話を聞き終えて、セリナは口元に手を添えて考え込む。

「真壁さんが似たような噂を言ってた気がする」

「真壁って、委員長の?」

見た目派手でお調子者のギャル学級委員長がオカルト方面に興味を向ける図が合わなすぎて、陽向は思わず聞き返した。

「ん。事故に遭う人が多すぎて、学校が呪われてるんじゃないかって話」

セリナの目線が左腕に注がれていることに気が付いて、陽向はそっと目を伏せる。

「お察しの通り、俺も噂の一部分だよ」

違うんだけどな、と嘆息したらセリナは申し訳なさそうに眉を下げた。

「ごめん、私のせいで……」

「いや別に、そう言う意味で言ったわけじゃないから」

吊り下げた左腕よりは自由に動く右手を振って否定してみたけれど、掌から手首を覆う包帯にセリナの表情は余計に曇ってしまった。

「ごめん、本当に」

何度謝られたか、陽向はもう数えるのを諦めている。

 いろいろな怪我が重なった現状だが、左肩と右手の火傷の加害者はセリナだ。と言っても情状酌量の余地は多分にあるし、陽向の方にも負い目はあるので怒りはない。

 謝られて気まずいくらいだ。

 だが、中途半端に慰めても意味はない。それが余計にもどかしい。

「少なくとも俺は気にしてないんだけどな」

呟くように言った陽向に、セリナが顔を上げる。

「けど、痕とか残ったら……」

「そんな、見えるとこじゃねえし、そこまで気にするもんでもないだろ」

医師である密草からは確実に残るだろうと言われている。

「やっぱ一回見せとくべきか……」

ひとりごちて、立ち上がる。不思議そうに見上げたセリナが、陽向の行動に目を見開いた。直後、目の前で起きている事態に我に返ったように目を瞑って伏せる。

「大丈夫だから、見ろよ、ほら」

「だ、だって……!」

胸の下付近まで捲り上げたシャツを手に、陽向はセリナを促す。そんな反応をされると恥ずかしいから早く終わらせてほしい。

 だが、応じた声はセリナのものではなかった。

「変態?」

二人だけだと油断していた。白髪混じりの草臥れた白衣、密草が半目で顎を落としていた。

「違います‼︎誤解です‼︎」

弁解するも同年の女性の目の前で生肌を見せつけている事実は変わらない。

「……セリナが傷痕気にするって言うから」

「だろうな、わかってるよそれくらい」

わかっているなら人聞きの悪いことを言わないでほしい。

「セリナ、せっかくだから見とけ。治療の時にも見たが、すげえなそれ」

「そう言えば、密草さんには見られてましたね」

治療に当たった密草は陽向の身体を見ている。当然、のことも知っている。

「……!」

陽向の脇腹に残る痕を見て、セリナが硬直する。

「あの時聞きそびれたが、どうしたんだ、それ?」

「昔、ちょっと山で。いろいろありまして」

もう十年近く前だ。あの頃よりは薄くなったと思うが、皮膚の色が明らかに違うから一目でわかる。

「ってなわけで、これだけじゃなく痕だらけだから。今更火傷痕一つくらい増えたところで大して変わらねえの」

「お前の生い立ちが心配だよ、俺は」

密草は呆れて溜息を吐いているが、陽向は今まで生きてきたので問題ない。過去は過去だ。

「で」

これ以上この話を続けても仕方ない。セリナの罪悪感に陽向が何を言っても気休めにしかならない。

「真壁、噂のことは何で言ってたんだ?」

椅子に座って、陽向は強引に話を戻す。傷の方を追求したい気持ちはあったのだろうが、一度諮詢してから、セリナは返答した。

「それ以外は、あんまり。学校がおかしくなるって話は、してなかったと思う」

「そっか」

クラスの気風故か、どうしても男女が別にグループを形成している。分断という程でもないが、登る話題にも差があるのだろう。

「何の話だ?」

食いついた密草にもかいつまんで説明する。密草は瞑目して唸った。

「どう考えても異界だよなあ」

至極面倒そうに密草が言い切る。

「異界の、外郭?」

「たぶんな」

小首を傾げたセリナにも同意して、陽向は順平が語った学校の異変を思い返した。

「誰もいない、外に出れない学校。どう考えても子龍の時に俺が迷い込んだとこだろ?」

「ぴ」

頭の上で子龍が鳴いた。

「異界ってそんなに迷い込むもんなの?」

陽向は自分が特異体質であることを知っている。当時その呼び名を知らなくても、異界へ立ち入ったことは数え切れない。

 けれどそれが一般的かと言われれば違うと思う。話したら罰則があるとか、そんな制約はない。

 大勢が異界を経験しているなら、もっと騒ぎになってもよさそうなものである。

「実際のところはわからん、ってのが俺の見解だなあ」

密草が足を組み直した。

「お前さんが今まで黙ってたのと一緒だ。他人ひとの秘密なんぞ、誰にもわからんよ」

だがな、と密草は机に身を乗り出した。自然、陽向とセリナも姿勢を正す。

「そう多くはない。それは断言できる。何故なら、異界に入るにはいくつか条件があるらしい。らしいってのは、完全解明されてねえって意味な。勿論例外もある。だから正しい条件ってのは言えないんだが」

何となく、わかる気がした。

 陽向がこれまで入った異界には、すべて入り口があった。突然現れる入り口もあるにはあったが、気が付いたら異界に居た、ということは一度もない。

 さえできれば、入り口を把握することはそう難しくない。

「言っとくが、認識できるのお前だけだからな」

密草が鼻白んだ。

「どう言う感覚なんだ一体?」

「門ですかね、イメージ的には」

鳥居みたいな、空間に開いた穴だ。手で四角を形どって、陽向は自分の抱いている印象を思い浮かべる。

「今度見つけたら入ってみるか……」

「やめろ、馬鹿」

独り言を耳聡く聞きつけた密草に怒られた。

 大抵の異界なら、陽向は中からの出口もわかる。だが、子龍と逢ったあの異界の出口は見つからなかった。

 迂闊に近寄るべきではない。

「入るなら私が居る時にして」

セリナにもジト目を向けられてしまった。先の事件で吹っ切れたのか、最近のセリナの表情はよく変化する。

「了解」

「いや、そこは止めろな?」

「そう言えばだけど」

密草を無視して、斜め上を見上げたセリナが思い出したように言った。

「女子の方だと、今度来る転校生の方が話題かも」

「転校生?」

陽向は初耳だったので訊き返す。休んでいた間の話だろうか。

「有名人らしい。私は知らないけど」

「何でまた」

有名人と言うからには全国区なのだろう。それが、わざわざこんな片田舎に。

「びっくりしないでね、って先生が言ってた」

事前告知が必要。さらに女子の間で話題になっていると言うことは、恐らく男。

「果てしなく嫌な予感がしてきたんだけど……いや、ないない!」

思い当たった一人を、陽向は慌てて脳内から追い出す。は今、全盛を誇っているはずなのだから。




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