喫茶「ブラックホール」④

 僕はえいやと頷いて、彼の手を強く握り返した。

「もちろん、大した手間ではなかったよ」

 彼と最後に言葉を交わしたのは、僕らを乗せた船が、地球に帰る航路の途中のこと。スペースデブリの衝突によって航行に支障が生じたときのことだ。船外活動をかってでたのが彼で、僕は彼に再会を誓うような言葉を吐いた。彼は見事にやるべきことをこなして見せたが、思わぬ事故によって帰らぬ人になった。

 彼は科学の最先端を生きながら、オカルトチックな話をよく好んだ。この喫茶店の端緒を僕が知る契機になったのも、船内での彼との会話だ。僕は彼との再会の約束を果たすためにこの喫茶店を訪れた。宇宙の果ては、人間一人にとっては非常に遠い距離に感じるけれど、思わぬところに開発者向けの抜け道は用意されていて、彼はそういう類の噂話を好んで僕に話した。ブラックホールの向こう側は遠いようで近い。ほんの少し、手を差し伸べてみれば、きっとつかむ手もあるはずだ。

 僕らは再会を喜びあって、彼は重苦しい船外活動用の服を脱いだ。重力に疲れた表情を浮かべ、彼の服は汗のにおいがした。

 コーヒーを入れて、僕は彼に差し出した。店の備品を勝手に使ったので、料金の支払いは済ませておいた。カウンターに十分な額を置いたつもりだが、足りないのであればまだ応えるつもりだ。カウンターにはおそらくそうやって並べられた金銭が並んでいて、中には異国の貨幣もあった。どこか遠い国でも、この喫茶店への入り口がぽかんと口を開けている様子がうかがえた。ケトルに水を入れて、湯を沸かした。僕らのためにあらかじめ準備されていたかのように、必要なものはすべてそろっていた。コーヒーをふた口口に含んだ。口々に近況を話した。彼が僕らと別れ、死に至るまでのわずかな時間の話も聞いた。僕が結婚し、子供もできて、巣立っていき、立派に暮らしていることも話した。みんな、彼に救われた命がなしたことだ。

 彼はそんな話も喜ばしく聞いて、また彼の話をして、オカルト話もまた聞いた。小さな喫茶店が狭苦しい宇宙船の日々と重なって見えて、懐かしい気持ちになった。

 行方不明者が集うような喫茶店があるらしい。概念すらも越えてすべてを飲み込んで、天に上る霊魂や行き先を見失った人々が引き付けられるようなそんな場所だ。何もかもを飲み込んで、その後はきっと行方知れず。ブラックホールと形容された喫茶店は、噂にたがわず、僕が人生を終える前に出会いたかった人に出会わせてくれた。

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