喫茶「ブラックホール」②

 抗うのも馬鹿らしくなるくらい強大な引力を目の前にして、僕は半ばゆだねるように身を引きずられた。引き込まれた先には、いわゆる喫茶店の一室があった。とってつけたようにカラコロンとベルが鳴った。真っ暗な壁を相手にしていたために、目を凝らせば見えるような内装は拍子抜けだった。案外、中に立ち入ってしまえばそのようなものなのかもしれない。強大な強大な重力で何もかもを引きずりこんでしまうが、引きずりこまれてしまえば、目的は果たされている。扉は見えなかった。もはや、ここから出る手段はどこにもないように思われた。もとより、生きて帰ることを望んでいなかった。生きて帰った先に望んだものがないのであれば、ただ一縷の希望であっても望みをかけられるようなこの場所のほうがよほど価値があった。ここを終の棲家とする覚悟もあった。ただの喫茶店であればそのような来客はお断りだろうが、異形の喫茶店とあれば、常識的な対応は想定しなくてよいはずだ。

 カラコロンと音は鳴ったが、店員が出てくる様子はなかった。営業中の看板も見えなかったので、そもそも営業しているかも定かではない。誰も出てくる様子がないのは、警戒されているだけという可能性もある。ここまで人を引き付けるような店を並べて置いて、人見知るようなこともない。不審な身なりはしていない自負があったが、認識を検めねばならないのかもしれない。

 声をかけてみたが、音が全く響かず、届いているのかわからない。声を張り上げる試みもできたが、生来苦手とすることだったので、あきらめて空いている椅子に座った。客はもちろん僕以外に誰もおらず、泳いでいるような金魚もいなかった。時計も見当たらない。何もかもが動くことをやめて、静止した時間の中でまどろんでいるようだった。

 あてが外れただろうか。携帯は圏外。手持無沙汰な自分を慰める手段がない。ところによっては埃が積もっていて、手入れされていない箇所も見受けられた。主に高いところで、客が触れる机やカウンターといったところはきれいにされている。

 落ち着いていられず、ふらふらと店内をさ迷い歩いた。どこの海外土産かもわからない。人形とペン立て。陶器製の顔はイングが剥げてヒビが入っている。よく見るとコーヒー豆が陳列されている。新しく見え、店としての体裁を保っていることはわかった。そう広くはない、十人入ればたくさんになるような店内。薄暗いし窓もない。光源を探すと、ほのかに天井から明かりが漏れ出ているのが分かった。

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