喫茶「ブラックホール」①
噂の喫茶店に近づくにつれ、これもまた噂通り、周りの空間がゆがんで見えた。誰かが解説していた文章を引用すると、その理由は曰く「あまりにも周辺の重力が強大過ぎて、光すらもねじ曲がって見える」かららしい。なるほど、路地裏の実像はとらえがたいほどにゆがんで、その道筋を意味不明な地平線に導こうとするし、目的の喫茶店自体は捻じ曲げられた輪の中心にあって、どのような姿をしているのか僕にはとらえることができなかった。
喫茶店は、駅から二〇分ほど歩いた住宅街の一角にある。喫茶店好きにもほとんど知られていないマイナーな場所で、僕もネット記事をひたすら読み漁っていて偶然その存在を知った。どちらかというとオカルト記事に言及が多く、存在すらも真偽不明なものだった。
近づいてなお、存在を確信することはできない。目視の確認に大切なもののほとんどをゆだねてしまっているから、目視できない場所は着いてみるまでは確信に変わらない。緩やかな疑念をもったまま歩みを進める。重力圏に入ったため、体が無理に引っ張られるような感覚もある。足取りは軽く、誰かが後押しをしているようだった。あるいは、誰かが僕の足をつかんで無理やり引っ張っているような。いずれにせよ僕は歓迎されていて、たどり着きたい僕とは利害が一致していた。
どのネット記事にも、いい噂は書かれていなかった。都市伝説としても危険な部類に分類されるもので、立ち入ると二度と外に出ることはできないから、近づかないように注意せねばならないと記載されていた。僕には藁にもすがりたい目的があるから誰に止められようと赴く決断は変わらないが、そうまでして脅されてしまうと、身構えてしまうのもやむない話だ。身の安全が徐々に脅かされていくのを感じる。それでも、真っ暗闇の輪郭に対して、そこに何があるのかもわからないままに歩み入る現状であっても、引き返すような心持ちには少しもならなかった。
看板があった。「喫茶ブラックホール」。親切なものだ。ここには、入店に際しての作法なんてものはない。必要な手続きは言及されておらず、ただその名前だけが述べられている。目的の場所に確信をもって、歩み入る。壁に突き当たった。真っ暗闇のさなかにあった。自分の体を自分で制御することができなくて、みるみる壁に飲まれていった。見えない喫茶店は、まさしく今僕に接して存在しているようだ。強大な質量をもった、それは、僕の体をも自らの一部に変えようとしている。
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