第44話 噂話の終焉
「奏さん、待ってください。」
「待たない。」
「どこ行くんですか。」
「琴ちゃんが良く知ってる場所。」
「良く知ってる場所?」
「ヒントはあんぱん。」
あんぱん?私は走りながら考える。奏さんとあんぱん?あ、もしかして寮案内してもらった日に食べたあのあんぱん?だとしたら食べた場所は…。
「庭園?」
「正解。」
奏さんに連れられて庭園に到着する。奏さんは息を切らしている。額を玉のような汗が伝っている。
「普段の運動不足が祟ったかな。こんな短距離で息が切れ切れになるとは。」
「座って休憩してください。」
「そうさせてもらうよ。」
奏さんはあの時みたいに庭園の長椅子に腰かけた。奏さんはパタパタと手で顔を仰いでいる。
「暑いねえ。」
「何か飲み物を持ってきましょうか。」
「いいよ。ここにいて。ね?」
にっこり笑って私のワンピースの裾をつまむ奏さん。少し顔色が悪いようにも見える。
「顔色、あんまりよくありませんよ。」
「大丈夫。ここにいる魔法使いさんが治してくれるはずだから。」
「なっ。」
なんで魔法使いって言われているの知っているんだ。
「うちの教室まで噂届いてるよー。可愛い可憐な裁縫の魔法使いがいるってね。」
「なんかいろいろ間違って伝わっている気がします。」
「まあ、良い噂ならいいんじゃないかな。」
「そんなもんですかね。」
「そんなものだよ。」
ははっと奏さんは笑った。汗が少しずつ引いていく。良かった。
「それにしても、雪の王子様と裁縫の魔法使いかー。琴ちゃんは魔法使いより、私にとってはお姫様なんだけどな。」
この人はどうして流れるようにこんな言葉が出てくるんだろう。
「あ、照れてる?」
「照れてません。」
「まあ、元気そうでよかったよ。」
「そういえば、奏さん。花房さんはさっき私に何を言おうとしたんですかね。」
「なんだろうねえ。」
「奏さん何か知ってる感じでしたよね?それ以上は言っちゃいけないって。」
「そんなこと言ったっけ?」
「言ってましたよ。」
奏さんは適当にはぐらかしてきた。あ、これはこれ以上答える気がない顔だ。なんとなくわかる。
「まあ、あれだね。私が一番嫌ってる言葉かな。」
「そうなんですか。」
「うん。」
話が終わるタイミングを待ち構えていたかのように学校のベルがなる。
「さあ、学校に戻ろうか。午後の授業、まだあるでしょう?」
「はい。あの、連れ出してくれてありがとうございました。何ていうか……キラキラしていて王子様の異名はだてじゃないって感じでした。」
「君みたいなお姫様を守るためならいつだって現れるよ。」
私と奏さんはそれからそれぞれの教室へ戻った。奏さんの顔をみると胸の奥が満たされて、それから離れた時に、胸がぎゅっと締め付けられるような切ない気持ちになるのはどうしてだろう。庭園から空を見上げれば、雲一つない綺麗な青空が広がっていた。
それから教室へ戻って授業を受けた。そして今日の一件のせいで新たな噂が一つ加わってしまった。
「………王子様と魔法使いの愛の逃避行?なにそれ?」
「琴ちゃんと奏先輩のことだねえ。」
「結衣ちゃん!その噂聞いたらちゃんと否定してよ。」
「でもまあ、嫌味なわけじゃないし良いのでは?」
「結衣ちゃんー。」
授業の合間の休み時間に結衣ちゃんから聞いた話だ。今日の事が既に噂として出回っているとか女学生…本当に噂好きすぎでしょう。
「まあまあ、琴ちゃん。次は移動教室だから…って、ねえ琴ちゃん。あれって。」
結衣ちゃんが指で指し示す方向にいたのは花房さんだった。花房さんは、ぼーっとした様子で階段を上がっていった。何処に行くんだろう。この上って……屋上だよね。
私は花房さんの後を追って走り出した。
「琴ちゃん?」
「結衣ちゃん、申し訳ないんだけど先に授業行ってて。」
「私も行こうか?」
「大丈夫。その代わり先生には適当に授業に遅れること伝えてもらっていい?」
「分かった。早く戻ってきてね。」
「うん。」
花房さんの後をついていく。花房さんはふらふらした様子で、階段を上り続け、屋上の扉をあけた。私は彼女に気付かれないようにそっと後をついて屋上へ出る。
しばらくぼーっと下を見下ろしてから、花房さんは屋上の柵に手をかけた。腰の高さほどしかないその柵は簡単に乗り越えられてしまう。片足かけたところで、頭を過るのは最悪の展開だ。私は思わず声を荒げた。
「花房さん!何してるんですか!」
ぱっと顔を上げて振り向いた花房さんは、声をかけた主が私だと気づくと、眉間に皺を寄せた。泣きはらした目はパンパンに腫れていた。顔色も悪い。
「何の用?あ、分かった。私を笑いにきたんでしょう?ざまあみろって。」
「違います。心配だったから来たんです。」
「そんなこと思ってないくせに。」
「思ってます。いいからこっちへ来てください。」
花房さんはその場から動こうとしない。風が吹いて、綺麗に結われている髪は大きく揺れている。もう少し強い風がふけば手を滑らせて落ちてしまいそうだ。
「何してるんですか。」
「見てわからない?もう何もかも終わりだから。奏様に嫌われたし、学校中で噂話になっているし、友達は離れていくし、お見合いの話だってない。私なんてもう生きてる意味ないし。ああそうだ。ごめんなさいね、でも奏様と仲良くしてる貴女はやっぱり私嫌いよ。」
彼女は笑った。口元は笑っているが目が笑っていない。
「………それは随分と自己満足な話ですね。」
あ、彼女の瞳が少しだけ動く。もう少し焚きつけてみようか。怒ってこっちに殴りかかってでもくれれば屋上から飛び降りるってことは避けられる。
「さんざん人の嫌味や噂を言っておいて、いざ自分が言われたら逃げるんですか。それは弱いですね。花房さんって弱くて臆病者ですね。普段の態度はそれを隠すための虚勢ですか。それじゃあ友達は離れていって当然ですね。お見合いの話がないのもそのせいでは?臆病者の花房さん。」
「あんたっ。何言ってんの!」
よし、怒った。
花房さんはそのまま私まで駆け寄り、私の頬を思いっきり叩いた。
パンッ
大きな音が屋上に響き渡る。かなり勢いが良かったせいで、体がよろけたが何とか踏ん張った。
「あんたには分からないわよ!あんたには!良家の子女は、同じかそれ以上の良家に嫁いでその跡継ぎを設けなくてはいけないの!女学校はその通過点。周りの子たちが嫁ぎ先が決まっていくのに私だけが決まらない。面白くもない学校生活で、唯一の癒しだった奏様も貴女にとられてしまったわ!最悪よ!何で私ばっかりこんな目に合わないといけないのよ?」
「知りませんよ。そんなの。」
「うるさいわね。」
もう一発叩かれた。今度は反対側の頬。私の両頬がジンジンと痛む。
「満足しましたか?」
興奮している花房さん。私はまっすぐ花房さんを見つめた。沈黙が流れる。花房さんは叩いた自分の手を握っている。手が震えていた。
「……私には良家の子女というものがわかりません。でもあなたは恵まれていると思います。こんな素敵な学校に通えて、綺麗な制服を着て、可愛らしく髪を整えて、結って。良家に嫁ぐことがあなたにとっての全てかもしれまませんが、もっと視野を広げてみるべきではないでしょうか。」
「……………。」
「おこがましいこといってすみません。花房さんはとても可愛らしい見た目をしておられます。そんなに怒ったり焦ったり、イライラした顔をするのではなく、今しかないこの女学生という時を笑顔で楽しく過ごして、女性としてのたしなみも身に着けて、いつか嫁ぐであろう殿方にも、素敵な女学校生活を送ったの、と笑顔で思い出話を語れるように日々過ごすほうがよっぽど有益だと思いませんか。」
「………。」
花房さんの震える手が止まった。
「………貴女って変わっているわね。」
「そうでしょうか。」
「ええ。」
花房さんはその場にしゃがみこんでしまった。そして両目からは大粒の涙が零れ落ちた。
「………ひどいこと言って……ごめんなさい。叩いてごめんなさい。」
私は花房さんの傍にしゃがんで背中をさすった。花房さんはそれから何度も消え入りそうな声で、ごめんなさい、と言った。
あの一件があってから、花房さんは私に関しての悪口や噂を言わなくなった。私に会うと逃げるように姿を隠してしまうのだが、彼女なりに距離をとって謝罪しているつもりなのだろうか。
でも、友達と楽しそうに会話している姿は見かけるので、変な見栄を張ったり、噂話で注目を集めようとするのは止めたのだろう。心なしか表情が少し穏やかになっている気がする。まあ、私の顔を見るとすぐに逃げられてしまうのだけれど。
それから数週間後、花房さんは学校を辞めた。
正確には、嫁ぎ先が決まったらしい。嫁ぎ先はここからは遠く離れた土地だそうだ。学校を辞める前日に彼女は私に会いに教室まで来た。一瞬教室内がざわついたのを覚えている。
ふたりであの日の屋上まで行って、花房さんは私に小さな箱を渡した。
「私、結婚がきまったの。これ貴女にあげるわ。良いものなんだから大切に使いなさいよ。」
ぶっきらぼうに渡して来た両手くらいの大きさの箱。
「見てもいいですか。」
「好きにしたら。」
箱のふたをゆっくり開ける。中にはさらに箱が入っていて、その中には針や糸、ハサミだった。
「老舗の店のものだから。魔法使いって名乗るくらいならそれくらいの品を使いなさい。………いろいろと迷惑かけたわね。じゃあ、それだけだから。」
花房さんはそれだけ言うと屋上を出て行ってしまった。
渡された裁縫箱をまじまじと見る。糸切狭には、琴子、名前が掘られていた。私のために特注してくれたのだろう。よく見れば裁縫箱にも名前が掘られている。
お礼を言おうと追いかけたが、すでに花房さんはいなかった。
翌日、彼女は汽車に揺られて遠くの土地へと嫁入りしてしまった。
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