第43話 あの日のワンピース

 あれから三日が経った朝。いつものように教室へ入ると、一人の生徒が私を待ち構えていた。あの日ワンピースを渡した彼女だ。こんなに朝早い時間なのに彼女の瞳はぱっちりと開いて、キラキラしている。

 彼女は私を見つけると、興奮している様子で私の両手を握るとブンブンと縦に振った。


「おはようございます!お待ちしていましたわ!」

「わっ、えっと、どうしたんですか。」

「ありがとう!」

「へ?」


 急にお礼を言われるとは何事だろう。


「お見合い、上手くいったの!」


 彼女は満面の笑みで次は私に抱き着いた。思いの他力が強くて腕が痛い。


「昨夜返事が来たの。是非って。それにお見合い相手がワンピースをとても褒めてくれたの。私に良く似合っているって。とても素敵な方だったの。それに相手方のお母さまも、胸元に付けてくれた花をとても気に入ってくれたのよ。どこで仕立てたお洋服なのかしら?って聞かれちゃった。」


 彼女は心底嬉しそうな顔をしている。初めの印象が良かったこともあって、とんとん拍子でお見合いがいい方向に進んだのだと。そして、彼女は今月いっぱいでこの学校を去ることを私に伝えた。


「貴女に出会えて本当に良かったわ。しばらくは嫁入りもあってバタバタしているとは思うけれど、落ち着いたら必ずお礼をさせてくださいまし。貴女のおかげで、私幸せになれそうだわ。」


 何度も何度も、彼女はありがとうと私に繰り返し伝えてくれた。


「良かったですね。お幸せに。」

「ええ。貴女、噂で聞いていた方とは全然違ったのね。色々誤解していてごめんなさい。」


 ああ、噂といえばあの花房さんが言いふらしているやつか。


「貴女はとっても素敵な女学生だわ。こんな素敵な方だもの、奏様が貴女をお傍に置くのも分かりますわ。あなたもいつか私のように殿方へ嫁ぐ日がくるのでしょうけれど、それまでの学生生活を楽しんでくださいまし。奏様とも楽しい日々を過ごしてくださいまし。とっても優しくて素敵な雪の王子様ですもの。うらやましい限りですわ。」


 彼女はそのあとに続々と登校する同級生たちを見つけると、私に軽く会釈をして離れた。

そしてお見合いが上手くいったことを話しに行った。彼女の嬉しそうな声や、おめでとう、という声が教室を賑わせた。


 華やかな賑わいの女学生たちの笑い声が響く。なのに私の胸の奥がほんの少しだけチクりと痛んだ。何でだろう。私は自分の胸を軽くさすった。


「ん?琴ちゃんどうしたの?」

「結衣ちゃん。」

「胸、痛いの?」

「ううん、なんかこう、チクっとしたというか。」

「医務室行かなくても大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとね。」




 この日を境に私を取り巻く環境が少しずつ変化し始めた。




「日野さん。あの…こんなこと言っておこがましいんですが、私も今度お見合いがあって…。お洋服を少し見ていただいてもいいですか。」

「私なんかが見ても良いんですか?」

「はい。何となく私には少し大人っぽすぎる気がして…少し意見を聞かせていただきたいんです。」


 お見合いの服を直して、そのお見合いが成功したという噂はあっという間に広がったようで、これからお見合いを控える子からこんな相談をされることがあったり。


「日野さん、この縫い方で合ってるかな?」

「うん、良いと思います。あ、こうしたらもっと縫い目がわかりにくくなるから綺麗に出来ると思いますよ。」

「本当だ!ありがとう。すごいね日野さん。」


 課題で質問されることがあったり。


「日野さん、ボタン取れちゃったんだけど、上手く出来なくて…不器用でごめんね。」

「大変、今付けるから動かないでくださいね。よし、出来た。」

「ありがとう!日野さん、これお礼にどうぞ。お口に合えばいいのだけれど。」

「わあ、美味しそうなお菓子!あとで食べさせていただきます。わざわざありがとうございます。」


 今まではなかったのに、些細なことでお礼を言ってもらえたり、こんな風にお菓子を貰ったり、なんていうか同級生に認められつつあるというか…なじみつつあるというか。今までは登校すればどこかで陰口を言われていたのに、少しずつそれが減ってきている。

 それは一緒に行動することが多い結衣ちゃんも感じてくれているようだ。


「琴ちゃん、最近ね、琴ちゃんは魔法使いって噂あるんだよ。知ってた?」

「何それ?」

「琴ちゃんに助言してもらうと、お見合いが成功するっていう噂。手先が器用で、まるで魔法のようだって。あとは琴ちゃんが助言すると課題でも良い評価がもらえるとか。まさに洋裁の魔法使い。って。この前まで変な噂ばっかり立ってたのが嘘みたいだね。ワンピースを修正してあげた子が最初は言い出したみたいなんだけど、今じゃ教室中の子が言ってるよ。最近助言すること多いでしょ?」

「助言なんて大それたこと言ってないよ。こうしたらいいんじゃないかな?って私の一個人の意見を言っているだけで。」

「謙遜しちゃって。」

「謙遜じゃないよ。でも……ありがたい……かな。」

「そうだね。ありがたいことだよね。じゃあ、行こうか。魔法使いさん。」

「結衣ちゃん、その呼び方はやめて。」


 私たちは笑い合った。教室でこんなに笑える日がくるとは思わなかった。

 お嬢様たちは噂好きっていうのは知っていたけど、ほんの少しのきっかけでこんなにガラリと印象が変わってしまうなんて驚いた。



日が経過すればするほど、同じ教室の子だけではなく、上級生でも私を避けたり陰口を言っていた子たちが私に話しかけてくれるようになっていったのだ。接し方も話方もあれだけ敵意むき出しだったのが、なんというか……普通の同級生…むしろ好意的に接してくれている気がする。



「ごきげんよう。」

「ごきげんよう。」


 丁寧にお辞儀をして通り過ぎる。前に比べて、このいかにもお嬢様っていう挨拶にも慣れてきた気がする。よし、今の挨拶はいい感じだったよね。心の中でグッと拳を突き上げる。

 前はすれ違いざまに陰口を言われることもあったのに、ここ最近はかなり数が減った。



「……あの子だよね噂の子。でも、聞いてた噂とは違うね。」

「挨拶もきちんとできているし、良い子だよね?」

「そういえば、あの子が修正した服のおかげで名家とのお見合いが成功した子がいるんだって。」

「すごいじゃない。私もお見合いの時が来たらお願いしてみようかしら。」

「良いんじゃなくて?魔法使いが助言するお見合いは成功するって最近の噂よ。」

「魔法使い?」

「ええ、手先が器用で、助言が的確で彼女の手が加わると魔法のように綺麗に仕上がって、お見合いでは成功するって噂なのよ。」

「すごい!じゃあ、私のお見合いの時もお願いするわ。……そもそも、あの子に関してのいろんな噂って出所何処だっけ?前は良くない噂が飛び交ってたわよね。」

「確か…花房さんだよね。」

「ああ、あの奏様大好き!って感じの子だよね。」

「うん。もしかしてだけど、……ただの嫉妬だったり?」

「ありえる。でもちょっとそれはなんていうか惨めだよね?」


 結構話し声が大きい子たちだった。その話し声聞こえています。なんて言えるはずもないので、私は気恥ずかしくなって歩く速度を上げようとした時だった。


「何よ?私が悪いっていうの?」


 ん?何やら後ろが騒がしい。私はゆっくり振り返ると、さっきすれ違った生徒二人と、面と向かって腕を組んで思いっきり不機嫌な顔をしている花房さんの姿が目に入った。


「別にそんなことは申していませんわ。花房さん。」

「今私を嘲笑ったでしょう?そんな話をしていたでしょう?」

「違いますわ。思い違いですわ。」

「そんなことないわ!何よ、ここ最近みんな私が悪いみたいな言い方をして。」


 花房さんが声を荒げる。驚いた彼女たちは委縮してしまっている。

 大丈夫かな?あの子たち。


 彼女たちの元へ行くべきか、行かざるべきか悩んでいると、花房さんは私を発見した。そしてあからさまに舌打ちをし、刺すような視線を向ける。


「盗み聞き?性格悪いわね。」

「そんなつもりはなかったんですが、ごめんなさい。」


 私は花房さんへ歩みを進めて、丁寧にお辞儀をした。花房さんは私の動作にさらにイライラした。高い位置で兎のように二つにくくられた髪が逆立つ勢いだ。


「貴女でしょう?私があなたに対して陰口や悪口を言っていたって噂を広めてる張本人は。ほんと性格悪すぎよ。最低ね。いい迷惑だわ。」

「そんなこと言っていませんよ。」

「嘘言わないでよ。」

「嘘じゃないですし、私は別に花房さんの悪口を言う理由がないですし…。」

「あるわよ!私があなたの悪口言ったからやり返そうとしてっ……あっ。」


 花房さんはぴたりと言葉を止めた。それはそうだ。これだと花房さんが私の悪口や陰口を言いふらしたと自供しているようなものだ。花房さんはそれに気づいたのだろう。慌てて両手で口を覆った。しかし時すでに遅し。その場にいた彼女たちも顔を見合わせて驚いた顔をしている。


「今のは、ちょっと語弊があるわ。えっと、だからそのっ。」


 一度口から出てしまった言葉。花房さんは、あれこれ言葉を並べて取り繕おうとしているが、ただの言い訳ばかりの羅列に聞こえる。それはその場にいた彼女たちも感じていたようだ。花房さんが焦れば焦るほど、墓穴を掘り続けていく。


「何かしら?」

「喧嘩?」


 タイミングが良いのか悪いのか、どんどん廊下に生徒が集まっていく。花房さんはさらに焦る。その間私は一言も発することなく花房さんを見ていた。

 焦りに焦って興奮している花房さんはもう言葉を取り繕うどころか、私に向かって直球の暴言を投げてきた。


「貴女が!貴女が悪いのよ!私の奏様をたぶらかして。最低!悪女!貴女なんて死っ。」


 花房さんが言葉を言い切る前に、私の横を誰かが横切る。ふわりと鼻を掠める優しい花の香り。この香りの主を私は良く知っている。この香りは奏さんだ。


「花房さん、それ以上は言っちゃいけないよ。」


 奏さんは花房さんの口を覆った。花房さんは最初はじたばたしていたものの、口を覆ったのが奏さんだと気づくと、びっくりするくらい今度は体が固まった。奏さんはゆっくり彼女の口から手を離す。


「……奏様。………申し訳ありません。」

「それを言う相手は私じゃないよ。」

「………。」


 花房さんはちらっと私を見た。


「少し取り乱してしまいました。すみません。」


 早口で言うと、花房さんは逃げるように走って行ってしまった。

 その場にいた沢山の生徒たちの視線が私に集まる。


「何々?」

「花房さんが下級生と喧嘩なさったとか。」

「でも花房さんが一方的にこの子を嫌っていたように見えたけれど。」

「あら?あの子ってあの噂の子よね。」

「花房さんがあの子の噂を広めていたらしいわ。」

「何で何で?」

「嫉妬かしら?よく分からないけれど。」

「誰か存じ上げないの?」



 ひそひそ声が聞こえる。


「琴ちゃん。行こうか。」


 奏さんは私の手を取ると、その場から逃げるよに私の手を引いて走り出した。


「わっ奏さん。」

「さあ、走って走って。」

「待ってください!」

「待ちませーん。」


 手を引かれて走る。私から見える奏さんの後ろ姿はキラキラしていてまるで王子様そのものだった。


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