第37話 彼女と私の関係って

「私、実は名家の出でもなんでもなくて、ただの庶民なんだ。それで、奏さんとのエスの関係も、そういう関係のフリなの。」


 言ってしまった。結衣ちゃんの顔を見るのが怖い。どんな顔してるんだろう。私はゆっくりと結衣ちゃんの顔をみた。結衣ちゃんはポカンとした顔をしていた。


「えっと、琴ちゃん…ごめん。頭がついていかないんだけど、もう少し詳しく聞いてもいいかな。ちょっと衝撃的すぎたから…。ごめんね。」

「ううん、ごめん。もっと詳しく話す。」


 それから私はもう少し細かく結衣ちゃんに説明した。

 私が仕立て屋で下働きをしていたということ。奏さんとは偶然公園で出会ったということ。奏さんに頼まれて、女学校でエスの関係を演じているということ。エスの関係を演じる代わりに、女学校や寮の費用を全面的に援助してもらっているということ。言葉にするのは難しかったけど、出来る限りちゃんと伝えられるようにと思いを込めて話した。


「というわけなんだけど…。驚いたよね。」

「うん、すごく驚いた。ああでも…。」


 結衣ちゃんはクスクスと笑った。


「そういえば、最初から挨拶がぎこちないごきげんようだったり、何となく変わった雰囲気は出ていたから、なんか…今思えば納得って感じかな。ほら、ゴキゲンヨウ!って。」


 結衣ちゃんは私の不器用な挨拶を真似した。


「ちょっと、結衣ちゃん!私そんなにひどかった?」

「もっとひどかったかも。」

「ええっ?」

「うふふ、冗談。」


 琴ちゃんは目尻に涙を浮かべて笑っていた。そんなに面白いかな。私はなんだかむしろ恥ずかしいんだけど。それに、よく考えたら、本物の女学生の結衣ちゃんから見て、同じ歳とは言えど庶民の私って下に見られてもおかしくないよね。世間は平等と謳っておきながら、結局は生まれや出身の学校や嫁ぎ先や働き先で、格差があるのだから。私はただの庶民じゃなくて、女学生のフリをしていた庶民だ。嘘つき庶民。嫌われてもおかしくない…。


 そんなことを考えると、次はどんどん不安になってきた。結衣ちゃんどう思ってるんだろう。


「まっ、まあ、そんなわけだから。………その……嫌いになった?」

「まさか。そんな大切なこと話してくれてありがとうね。琴ちゃん。」


 結衣ちゃんはにっこり笑った。私も何だかホッとしたのか、ため息に似た笑い声が出た。


「それはそうと琴ちゃん。こんな重要な話私にして大丈夫だったの?」

「それは結衣ちゃんだから……。」

「私、言いふらすかもよ?」

「えっ。」

「冗談だよ。そんなことしない。この心に誓って。」


 そういった結衣ちゃんは、私の手をとってにっこりわらった。

 その笑顔は月明りに照らされてとてもキラキラと輝いて見えた。


「ところで琴ちゃん。私一つだけ疑問なんだけど。」

「なんでしょう。」

「エスの関係はフリだって言ってるけど、私から見てると充分奏先輩のことを意識しているように見えるんだけど。好きだよね?フリじゃなくて。」

「え?」


 考えたこともなかった。いや、違う。考えないようしていたことを、結衣ちゃんに口にされて、頭の中がぐるぐるとする。体の芯からじわじわと熱が迫って来る。


「そんなことないよ。」

「顔、赤いよ。」

「ちょっと夜風が熱いんだよ。もう初夏だからねー。」

「むしろ涼しすぎるくらいだけど。……本当にエスの関係になったら?両想いに見えるけど。伝えたら先輩も喜ぶんじゃないかな?」

「いやいや、きっと奏さんはそんなこと考えてないと思うよ。庶民に興味を持っただけだよ。多分。」


 頭を過るのは、今までの奏さんとのやりとり。紳士的で一緒にいる時間を何だかんだ楽しんでいる自分がいるのは事実で、奏さんの表情一つ一つに心が躍っている。

 もし、もしもだよ?私が奏さんと本当にエスの関係になりたいくらい奏さんのことを好いているとしたら……いや、これ以上考えておくのはやめよう。何となくだけど、奏さんは私が好意を伝えると離れて行ってしまうような気がするのだ。それに、一庶民が大きな屋敷に住むご令嬢に好意を抱くなんて……むなしいだけだ。


「琴ちゃん、本当にそう思ってる?」

「それは……。」



「やあ、お嬢さん方。お話しは済んだかな?」



 ひょっこり現れたのは、噂をすれば…という前振りがぴったり似合う奏さんだった。


「奏さん?」

「琴ちゃん、それに結衣子ちゃん。仲直りは出来たかな?」


 仲直りって。奏さん喧嘩してたこと知ってたの?だとしたらいつから?

 じっと奏さんを見つめると、奏さんはにこりと微笑み、手をヒラヒラと振ってきた。


「いやあ、そんなに見つめられると照れるなあ。」

「そんなこと思ってないですよね。」

「私はいつだって本心しか口にしないよ。大好きな琴ちゃん。」

「またそんなこと言って。」


 私たちのやり取りをみながら、結衣ちゃんは笑った。


「やっぱり大好きなじゃない。」

「違うから!結衣ちゃん!」

「おや?琴ちゃん、顔を真っ赤にしてどうしたのかな?」

「何でもないです!」


 結衣ちゃんの方を向いたり、奏さんの方を向いたり忙しくしながら、私は首をあっちこっち振っていた。それが面白かったのか、今度は結衣ちゃんと奏さんが顔を見合わせて笑っている。なんなのもう。ああ、顔が暑い。


「まあ、それはそうと、二人を部屋までお送りしようと思ってね。このまま寮の正面玄関から入って他の寮生に見つかったら厄介でしょう?」


 さあ、ついてきて。と奏さんは言い放ち、私と結衣ちゃんは奏さんの後に続いた。まさかあの梯子にまた昇るのかあ…と思っていたら、予想は的中した。

 コルリさん、メジロさん、ヒバリさんがばっちり梯子を用意してくれていた。これ、他の寮生に見つかっていないだろうか。


「お帰りが遅かったですわね。お嬢様。」

「ごめんごめん。あとは二人を部屋に戻すだけだから。」

「私たちが何度他の寮生に見つからないように即座に梯子を出したり片付けたりしていたことか…。」

「このお礼は必ずするよ。」

「お礼は結構ですので、お嬢様はもう少し無茶ぶりを減らしてもらえると有難いですわ。」

「それは難しいお願いだね。」


 腕を組んで、ため息交じりに話すコルリさんをよそに、奏さんは私たちに梯子を上るように指示した。梯子は落ちたり揺れたりしないようにコルリさんたちがしっかり支えてくれた。そして梯子の先はもちろん私たちの部屋だ。

 それにしても二階とは言え、この暗い中を梯子で上るのはそれなりに恐怖感が伴う。両手にじわっと手汗が滲んだ。

 そんな私の肩をポンと叩いたのはメジロさんだった。


「ご安心ください。落ちても私たちが責任をもって受け止めますので。」

「ほら、見てください。衝撃吸収のマットを用意していますの。」


 ヒバリさんも続いていつの間にか地面で梯子を囲むように設置されているやけに分厚いマットをポンポンと叩いた。


「どうしても上るのが怖ければ私がおんぶして上ってあげようか。」


 奏さん、それは逆にもっと怖いです。


「まあ、そんな冗談はさておき、いい加減部屋に戻った方がいいね。琴ちゃんが怖いなら、先に結衣ちゃんからいけそうかな?」

「わかりました。」


 結衣ちゃんは暗さや怖さは全然平気なようで、スイスイと梯子を上っていった。そして登りきると、窓から手で上るように合図してくれた。えーと、口の動きを読む。大丈夫、って言ってるのかな。いや、頑張れかな?良くわからないけど、私も行かないと。


 私は梯子に手をかけ、ゆっくり上っていく。ふと強い風が吹いて、梯子にしがみつくも、メジロさんとヒバリさんがしっかり固定をしていてくれているからか、梯子は全然動かなかった。助かった。


 結衣ちゃんに比べて随分上る時間がかかってしまったけど、なんとか部屋まで到達することが出来た。ふう、と胸をなでおろして窓から下を見下ろすと、コルリさんたちはあっという間に梯子を片付けてしまっていた。早すぎる。


「琴ちゃん。」


 私に並んで窓から顔を出す結衣ちゃん。


「奏さん、何か言ってるよ。」

「え?」


 目を凝らして奏さんの口元を見る。


「お……や……す……み?」


 私も口パクで、おやすみなさいと伝えると奏さんは手で大きく丸を作ってくれた。


「相思相愛だね。」

「結衣ちゃん、違うから。」


 奏さんたちが窓から見えないところまで行ったのを確認すると、私はゆっくりと窓を閉めた。


「なんかすごい一日だったね。」

「うん。そうだね。」


 結衣ちゃんと再び顔を見合わせた。


「寝よっか。明日も早いし。」

「そうだね。」

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