第35話 あの子の真相

「どうして結衣ちゃんがここに?」

「琴ちゃん、それは私の台詞だよ。」


 二人とも驚いた顔で目をぱちくりさせている。私たちの様子をみて、志津子さんも何が起きたか理解できていない様子だ。


「結衣ちゃん、このお嬢さんと知り合いだったの?」

「知り合いというか……友達です。同室の。」

「そうなの?あら!じゃあ、貴女が琴子さん?」

「え、ああ、まあ、そうです。」


 志津子さんはなるほど、と頷いている。何が何だか私にはさっぱりだ。志津子さんは私の名前を知っているっぽいけれど、私は志津子さんとは初対面だ。


「結衣ちゃん……えっと、結衣子から話はよく聞いています。いつも結衣子と仲良くしてくれてありがとうね。」

「志津子さん、それ以上は何も言ってませんよね?」

「何の事かしら?」

「もうっ、志津子さん!!」


 こんな結衣ちゃんは初めて見た。いつも内気で、どちらかとえばおどおどしていて、教室の隅で本を読んでいそうな子なのに、顔を真っ赤にして志津子さんに声を上げている。


「ふふっ、何も言ってないわよ。例えば結衣ちゃんが琴子さんのことで私に相談をしているってこととか。」

「ちょっと、志津子さん?」


 どういうことだろう。結衣ちゃんが私の事で志津子さんに相談をしている?何の話だろう。どうして?何のために?頭が混乱する。


「あのそれは一体どういうことですか?」

「あのね。」


 志津子さんが答えようとした瞬間、結衣ちゃんは慌てて志津子さんの口を両手で覆った。


「こここ琴ちゃん。すぐに寮に戻った方がいいよ?ほら、無断外出になっちゃうし。」

「それは結衣ちゃんもじゃない?」

「私は大丈夫だから、ほら、ね。」

「何が大丈夫なの?」


 結衣ちゃんは明らかに焦っている。志津子さんはゆっくり結衣ちゃんの手を外し、塞がれていた口を自由にする。


「ふう。もう結衣ちゃん。息が苦しかったわよ。」

「ごめんなさい。志津子さん。」

「もう…困った子。あら、結衣ちゃんごめんなさいね。手のひらに私の口紅がついてしまったわね。」

「あっ本当ですね。」


 結衣ちゃんが志津子さんの口を覆っていた手には、真っ赤な口紅がしっかりとついていた。


「口紅って落ちにくいのよ。ごめんなさいね。そこで手を洗ってきたら?」

「そうします。」


 すぐ見える距離に手洗い場がある。結衣ちゃんは手洗い場の方へ向かっていった。その後ろ姿を確認しつつ、志津子さんは私に声を掛けた。


「ごめんなさいね。さっきは話が途中になってしまって。」

「いいえ。あの、結衣ちゃんが私のことで志津子さんに相談しているっていうのは…どういうことでしょうか。」

「あのね。」


 そこから志津子さんは教えてくれた。


「さっき私の同室だった子の話したわよね?あれ、実は結衣ちゃんなの。」

「そうなんですか。」

「ええ。」


 つまり、志津子さんが嫌がらせを受けた時に声を上げてくれのは結衣ちゃんだったっていうこと?


「結衣ちゃんから相談を受けたの。新しく同室になった子が私の時のように嫌がらせを受けている。自分はどうしたらいいのかって。嫌がらせをしている本人に声を上げることも出来るけど、前と同じ繰り返しになってしまうんじゃないか。って。」


 そんなこと…。


「私はどうしたら助けられるんだろう。皆が幸せに楽しく学校生活を過ごすにはどうしたら良いんだろう。って。」


 結衣ちゃん。


「もちろん一番良いのはみんなが声を上げて、それは間違っているって言うこと。でもそう上手くいくものでもないでしょう?これは私のエゴで申し訳ないんだけど、琴子さんを助けることによって、再び結衣ちゃんまで傷ついてしまう姿は見たくなかったの。だから私はあの子にこう伝えたわ。」


 すう、と深呼吸をした志津子さん。


「女学生たちは噂好き。そして好奇心の塊。嫌がらせも時間が経てば次の興味へ移っていくわ。面と向かって戦っては駄目。標的が結衣子に代わって、結果的にきっと琴子さんも結衣子も傷つけることになるわ。琴子さんが怪我をしないように、せめて体を傷つけるような嫌がらせだけは先回りして避けてあげてはどうかしら。それで、困っているときには声を掛けて支えてあげたら?って。」


 そんな…。もしかして結衣ちゃんが度々寮から姿を消していたのは…。

 ぐるぐると頭の中に今までの事が過る。言葉や課題の嫌がらせはあるが、体を傷つけたり、持ち物を壊されたり、直接的なものは少なかった。それをもし結衣ちゃんが事前に回避してくれていたとしたら。


「最初は結衣ちゃん自身も、そんなことじゃ琴子さんだけが傷つくから嫌だって言っていたわ。でも私はあの子の傷つく姿を見たくなかった。本当に自分のエゴよ。ごめんなさい。琴子さんに謝らないといけないわね。」

「そんな、謝らないでください。」


 志津子さんは、前を見据えた。そして、ハっとしたように何かに気付くと、小さく頷いて膝の上にのせていた風呂敷包みを私に渡した。


「これ、結衣ちゃんに渡しておいてくれる?今日は私は帰るわね。」

「そんな、もうすぐ結衣ちゃん帰ってきますよ?」

「良いのよ。私がそうしたいと思ったから。振り回しちゃってごめんなさいね。このお詫びは今度かならず。」


 そして志津子さんは私の両肩に手を置いて、私の体を引き寄せて耳元で囁く。


「結衣子の事、よろしくお願いします。少し内気だけど素直で真っ直ぐな子だから。」


 志津子さんは立ち上がると、すぐに中庭を出て行ってしまった。

 そのあとすぐに結衣ちゃんが手洗い場から返ってきた。


「あれ?志津子さんは?」

「帰るって。」

「えっ…そうなの?」

「うん。あと、これ。志津子さんから結衣ちゃんへって。」

「ああ、ありがとう。」


 結衣ちゃんは残念そうな顔をして、私から風呂敷を受け取ると、ストンと私の横に腰を下ろした。


「志津子さんから何か聞いた?」

「うん。」

「そっか。」


 結衣ちゃんは空を見た。いつの間にか薄っすらかかっていた雲は何処かへ行って、小さな星々が見えた。


「琴ちゃん、少しお話ししていいかな?」

「……うん。私も結衣ちゃんに言わなきゃいけないことがあるから。」


 二人で並んで、空を見上げた。

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