第34話 お姉さんと結衣子

「まずは自己紹介からしましょうか。私の名前は一条志津子いちじょう しづこ。数か月前まで、ここの寮生だったのよ。皆と同じ女学校の制服を着て、こんな風におさげ髪にして。ふふっ。」


 お姉さん…志津子さんはおさげを作る真似をして笑った。


「嫁いだのはごく最近なの。私の場合、学業というより花嫁修業の一環でこの学校に通うことになっていたから、在学中に良い家柄のお家に嫁ぐことが決まったの。この着物だってまだ着慣れていないのよ。」


 そういう志津子さんの笑顔は少し寂しそうだった。


「ごめんなさいね。私の事ばかり話して。」

「いえ…。」

「貴女も入学理由は花嫁修業だったりするのかしら?」

「いえいえいえ、私はその…。」


 何というべきか。奏さんの思い付きで…というわけにはいかないので、ここで一番適切な答えは…。


「洋裁や和裁の技術を学びたくて。途中編入なんです。」

「まあ、そうなのね。純粋に学びを得るためなんてとても素晴らしいわ。」


 パチパチと上品に手を叩く志津子さん。嘘ついてしまっているのが少し心苦しいがここは正直なことを言って怪しまれるよりかはマシだ。ボロが出る前に何か話を変えないと。


「あはは……あの、志津子さんはどうしてこんな夜に学校へ?」


 志津子さんは少し困ったような顔をした。


「内緒に出来る?」

「はい。」

「貴女はこの学校のエスの関係っていうのはご存知?」

「ええと…はい。知ってます。」


 自分はその関係で振り回されていることはここでは黙っておいたほうがいいよね。

 志津子さんはスウと息を吸う。艶やかな赤い唇が外灯で照らされている。


「本当はこの学校を卒業したり、中退したり、学校を離れた時点でエスの関係は解消されることは知っているかしら?」

「そうなんですか?」


 それは知らなかった。


「ええ。本当はそうなんだけど…私はどうしてもそれが出来なくて。」

「それはつまり…。」

「こうやって内緒で夜に会ってるの。私の可愛い後輩と。」


 きっと素敵な後輩なんだろう、志津子さんはさっきとは違ってふわっと柔らかい笑みを浮かべた。志津子さんって顔に出やすい人だなあ。


「素敵な後輩さんなんですね。」

「ええ、可愛らしくて、いじらしくて。学生時代は同室だったの。それに…私の嫁ぎ先が決まった時にも助けてくれたのよ。」

「助けた?」

「ええ。一条家って聞いたことあるかしら。」

「すみません…存じ上げないです。」

「いいのよ。謝ることじゃないわ。」


 志津子さんはそれから一呼吸置いて話してくれた。


 志津子さんが嫁いだ一条家はものすごい名家らしい。嫁ぐことが決まった途端、校内では尋常ではない速さで噂が広がった。一条家に嫁ぎたい女学生も大勢いたため、嫉妬で嫌がらせもたくさん受けたらしい。


「それは大変でしたね。」

「ええ、でもそんなときに私を助けてくれたのが彼女だったの。内気な子なのに、こんなことは間違っている!と上級生もいる中で声を上げてくれたの。すごく、優しくて自慢の子。」


 まるで目の前に彼女がいるかのように、志津子さんは目を潤ませて笑った。本当に好きなんだろうな。


「ただ、そのせいであの子にも風当たりが強くなってしまったの。内気だけど、強がりな子でね、自分が嫌がらせされているって私に言わなかったわ。でも彼女の私物が壊されていたり、お洋服が汚れていたりしたからバレバレだったんだけどね。」

「………。」

「私は何も解決していない間に嫁ぐ日が来てしまって、学校を離れたの。申し訳ない気持ちでいっぱいよ。彼女に恨まれるんじゃないか、自分が嫌がらせされるのはお前のせいだって、嫌われるんじゃないかって思ったわ。いえ、むしろその方がよかったのに……あの子は、幸せになってくださいって笑って私を送り出してくれたの。」


 志津子さんは膝の上にのせている風呂敷袋をそっと撫でた。


「学校を離れたあとも、彼女だけが気がかりで。こうして時々理由をつけて彼女に会ってるの。一応学校の部外者にはなっちゃうし、旦那様の目もあるから夜にこっそり会いにくることしかできなくてね。」


 そうだったんだ。……女学校の嫌がらせって私だけじゃなくて、度々あるんだな。


「ごめんなさいね。少し話しすぎてしまったわ。」

「いえ、そんなことないです。」

「その子とは今日会うんですよね。そろそろ私帰った方が良いですよね。」

「ええまあ、あと少しで来ると思うけれど…。」


 すると中庭の葉が揺れた。中から出てきたのはまさかの人物だった。



「結衣ちゃん?」

「え?琴ちゃん?どうしてここに?」

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