第33話 バルコニーからこんばんは
日は完全に落ちても結衣ちゃんは帰ってこなかった。カチカチと秒針の進む時計の音だけが部屋に響いている。
食欲もなかったので、私は食堂へ行くこともなく、ただぼんやりと部屋で過ごしていた。……結衣ちゃんを怒ってたな。疑心暗鬼になっていたからとはいえ、改めて考えるとあの言い方は良くなかったかな…。
「はあ…。」
コンッ
部屋の窓に何かがぶつかる音がする。気のせいかな。
コンコンッ
いや、気のせいではない?
コンコンコン
もしかしてまた嫌がらせかな?にしてはわざわざ窓に石を投げなくてもいいじゃない。
私は窓まで駆け寄って、恐る恐る窓を開けた。
「やあ、琴ちゃん。」
「かなっ」
「シー。静かに。」
そこにいたのは奏さんだった。っていうかここ二階だったよね?
慌てて窓の外を覗き込むと、奏さんは外からの避難用の通路になっているベランダ柵に足をかけていた。少し足を滑らせたら床に体がたたきつけられてしまう。私は息を潜めて奏さんに声をかけた。
「危ないですよ。何してるんですか!」
「大丈夫大丈夫。もし足を滑らせても下でコルリ達が受け止めてくれるから。」
「何言ってるんですか!それにどうやってここに来たんですか。」
「そこの木を登って。」
「嘘!?っていうか片手で柵を掴まないでください!両手で持ってください!落ちたら大変です。」
ははっ、と笑う奏さんは再び両手でベランダ柵を掴んだ。
「ごめん、冗談。実はこの下に梯子が掛けてあるんだよね。」
梯子?ふと見下ろせば、奏さんの足をかけている部分に少しだけ梯子らしきものが見える。
「それでも危ないです。」
「大丈夫大丈夫。それにこうやって琴ちゃんに会いに来るのって、なんだか海外の有名作品みたいでしょ?」
「はい?海外の有名作品?」
「あれ?琴ちゃん知ってると思ってた。」
「……すみません。存じ上げないです。」
「そっか。紋ちゃんが本持ってるから借りるといいよ。ロミオとジュリエットっていう作品なんだけど、ロミオがこうやってバルコニーを上って、ジュリエットに会いに来るんだよ。」
「バルコニーじゃなくて避難用通路ですけど。」
「そこは想像力でなんとかしよう。」
「はあ……それって恋愛小説ですか。」
「まあ、そんなところ。というわけで、琴ちゃん行こうか。」
「はい?」
この人はまた何を急に言い出すかと思えば。
「今の時間は外出禁止なので。」
「だからこうやって外から会いに来たんだよ。」
奏さんは当然のような顔をして話す。
「それに……。」
奏さんは形のいい唇で弧を描く。
「同室の子のこと、気になるでしょう?」
いきなり核心を突かれたような発言に私は目を見開いた。奏さんは結衣ちゃんの何を知っているんだろう。
「何か知ってるんですか。」
「さあ?琴ちゃんがついてきてくれるならその質問に答えるよ。」
「………。」
どうするべきか。考えるまでもない。私は体が動いた。
「行きます。」
「そうこなくっちゃ。愛しのジュリエット。」
「は?」
奏さんはフッと笑うと、私に美しい笑みを浮かべた。そして案内されるままに、私はゆっくりと窓から体を乗り出し、外に出た。風が良く吹いていた。私は落ちないように柵に両手でしっかりとしがみついた。二階の高さとは言え、落ちたら確実に怪我をする。私は慎重にゆっくりゆっくり梯子を下りた。
「お待ちしていましたわ。」
梯子を下り切るタイミングで、小さな声でコルリさんが囁いた。あ、本当にコルリさんたちが下にいたんだ。メジロさんとヒバリさんがしっかり梯子を支えていた。黒いメイド服だから気づかなかった。
「部屋着は冷えますわ。これを。」
コルリさんは私にふわりと上着をかけてくれた。あ、奏さんの家の香がする。そして私に続くように次は奏さんが梯子をおりてきた。
「お嬢様、かっこつけるのも大概にしてほしいですわ。もし落ちたら支えるのは私共ですのよ。」
「それだけ君たちを信用しているということさ。」
「私に上手いこといっても通じませんわよ。」
「それはそうだね。じゃあ、コルリ。梯子の片づけをよろしく。私は琴ちゃんと例の場所に向かうから。」
「はあ、畏まりましたわ。外は暗いですので、これを。」
コルリさんは小さな明かりを奏さんに渡した。
「ありがとう。」
「はあ…こんなに無茶する方ではなかったはずですのに。」
「そうなんですか。」
額に手を当て、やれやれというコルリさんに思わず声を掛けてしまった。
「ええ。大人しく部屋で本を読んでいるような方でしたわ。それに…」
「コルリ、そこまで。」
奏さんはコルリさんの頭をポンと軽く叩いた。
「暴力反対ですわ。」
「これは暴力ではなくスキンシップだよ。」
「よく言いますこと。振り回される私たちの身にもなっていただきたいくらいですわ。」
「ごめんごめん。いつもありがとう。」
さて、と奏さんは私の手をしっかりと握り歩き出した。
向かった先は夜の学校。中庭は昼とは全く違う顔をしている。何か出そうで怖い。静かすぎるし、虫の羽音だけでも思わずビクっと肩を揺らしてしまう。
「あれ?琴ちゃんって思ったよりも怖がり?幽霊とか信じる人?」
「そそそそんなことないですよ。」
「ダメダメ。顔に出やすいんだから、自分に正直に答えてもらわないと。」
「………あっ、あんな頃に髪の長い女の人が。」
「ひっ。」
私は思いっきり奏さんにしがみついてしまった。奏さんは楽しそうにケラケラと笑っている。あ、またからかわれたな。
「ひどいです!からかうなんて。」
「はははっ、琴ちゃんが可愛くてついね。あ、でもからかっていたわけじゃないよ。ほら、あそこ。」
奏さんが指さす方向には、一人の人物が立っていた。服装からして女性だろうか。まとめられた髪に和服姿。良家の奥方のような佇まいだった。
彼女はキョロキョロと周りを気にして落ち着きが無さそうだった。
「さあ、琴ちゃん行ってっしゃい。」
「はい?」
トンっと奏さんに背中を押されて、私は中庭の良く見える場所に出てしまった。一本だけある外灯の丁度真下だ。隠れようがない、丸見えだ。
案の定私の足音に気付いて、彼女はくるりと振り向いた。
「結衣子っ……あら?」
「すみません。」
「いいえ、こちらこそ人違いをして申し訳なかったわ。許して頂戴ね。」
その女性は申し訳なさそうに微笑んだ。
「女の子がこんな時間に一人で出歩いていては危ないわ。」
「それはお姉さんもじゃないですか?」
「そうね、ごめんなさいね。可愛らしいお嬢さん。」
お姉さんがこちらに歩み寄る。外灯に照らされて顔がはっきりする。少し年上の品がよさそうな女性だった。赤い口紅をつけて、上等な着物。手元に持った風呂敷も相まって、なんというか武家の奥様…って感だろうか。……そんな場合じゃない。私はすかさず奏さんの方向に視線を送るが、奏さんはいつの間にかその場からいなくなっていた。一人取り残される私。え、ちょっと、どういうことですか奏さん。慌てる私をお姉さんは小首を傾げてみている。
「えっと、その、お姉さんはどうしてこんなところにいるんですか。」
「人を待っているの。」
「そうですか。」
「貴女はどうしてこんな時間に?ああ、もしかして脱走?」
「そんなことないですよ。」
とかいいつつも、奏さんに誘われて出て行ったから、よく考えれば脱走に限りなく近いような。
「ふふふ、隠さなくていいのよ。私も学生の頃は良く寮から出て行ったものよ。懐かしいわ。楽しいわよね、夜のお散歩。」
「お姉さんはこの学校の卒業生なんですか。」
「卒業生、というのには少し語弊があるわ。私は在学中に御縁があって嫁ぐことになったから。」
「そうなんですか。」
そういうお姉さんは寂しそうな、名残惜しそうな顔をしていた。
「お姉さんにとって学校は楽しい場所でしたか?」
「ええ、とっても。そうだ、貴女の夜のお散歩ついでに少しお話ししない?私の待ち人が来るまでで構わないわ。」
駄目かしら?と小首を傾げるお姉さんは、なんというかとても艶やかだった。
奏さんもいないし、今の時間に寮へ正面玄関から戻るわけにもいかないし、とりあえず私は頷いた。
「良かった。じゃあ、少しだけお話ししましょう。さあ、座って。」
お姉さんは中庭の長椅子に腰かけて、私に隣に座るように促した。
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