6話

宿屋の階段を駆け上がると、そこには地獄を絵に描いたような光景が広がっていた。

「いたぞ! あいつだ! 影が一本しかねぇけど、名前が『カイト』だ!」

「囲め! 逃がすな!」

狭い廊下にひしめき合う、血走った目のプレイヤーたち。装備からしてトップ層ではないが、数で押し潰そうという魂胆が見え見えだった。

『主、まずは露払いだ。右腕を貸せ。細い廊下での立ち回りを教えてやるよ』

ベリアルの声に応じる暇もなく、カイトの右腕が勝手に動いた。重なった影の一部が腕に溶け込み、漆黒の鉤爪(かぎづめ)となって実体化する。

「どいてくれ!」

カイトが叫びながら腕を振るうと、黒い軌跡が空中の粒子を焼き切り、先頭にいた戦士の盾を飴細工のように切り裂いた。

「なっ……耐久値(バリア)が一撃でゼロだと!?」

『当然だ。俺様の爪は「防御」という概念そのものを否定する。さあ、次だ!』

恐怖に顔を歪めるプレイヤーたちを掻き分け、カイトは宿屋の窓を突き破って通りへと飛び出した。着地の衝撃は、セラフィエルが展開した淡い光のクッションが和らげる。

しかし、外はさらに過酷な状況だった。

中立都市ラセツのメインストリートは、カイトという「歩く100万ゴールド」を狙う数千人のプレイヤーで埋め尽くされている。

「……これ、街全体がレイドバトル会場になってるじゃないか」

カイトが立ち尽くしたその時、空が割れ、巨大な光の柱が降り注いだ。

そこから現れたのは、白い仮面を被った、機械的な動きの騎士たち。運営が放ったデバッグ・エージェント(システム保護NPC)だ。

『主様、注意を。彼らはプレイヤーではありません。プログラムによる強制排除を目的とした「消しゴム」です。触れればあなたのデータに傷がつきます』

セラフィエルの声に緊張が走る。

エージェントたちは、周囲のプレイヤーを無視してカイトへと一直線に突き進んでくる。その手には、データの削除を意味する「VOID(虚無)」の文字が刻まれた剣が握られていた。

「どうすればいい!? 14人全員出せば、街が壊れるだろ!」

『ふふ、主様。そのための「中立都市」です。ここは天使と悪魔の力が拮抗する場所。ならば、その均衡を少しだけ狂わせてあげればいいのです』

影の中から、新たに鈴のような、しかし冷徹な声が響いた。

第3の天使:知略のザドキエル。

『主様、影を解き放ちなさい。ただし、外に出すのではありません。この「街の地面(テクスチャ)」に潜り込ませるのです。この街の影と、あなたの影を連結させなさい』

「街の影と……連結?」

カイトは言われるがまま、地面に両手を突いた。

瞬間、重なっていた14本の影が爆発するように広がり、石畳の隙間、建物の陰、プレイヤーたちの足元へと、黒い根のように伸びていく。

「な……なんだこれ! 影が動かなくなった!?」

「足が地面に吸い込まれる!」

街中のプレイヤーたちが悲鳴を上げる。

カイトの影は、ラセツという都市の「影」そのものをジャックしたのだ。

『これぞ「境界の観測者」の権能。主様が望むなら、この街の光と影の反転さえ可能です』

ザドキエルの言葉と共に、カイトは視界を切り替えた。

まるでCADデータのように、街の構造がワイヤーフレームで脳内に流れ込んでくる。どこに敵がいて、どこにエージェントがいるのか、全てが手に取るようにわかる。

「見えた……。そこだ!」

カイトが指を弾くと、迫りくるデバッグ・エージェントの足元から巨大な「悪魔の顎(あぎと)」を模した影が飛び出し、彼らを丸ごと飲み込んでデータの塵へと変えた。

「運営のNPCを……一瞬で消しただと……?」

広場を埋め尽くしていたプレイヤーたちが、その光景を見て一斉に沈黙した。

レベル1の少年が、14本の影を自在に操り、世界のルールを破壊する。

その姿はもはや「賞金首」ではなく、新しい「世界の理」そのものに見えた。

カイトはゆっくりと顔を上げ、空に浮かぶ見えない運営の視線、そして自分を見つめる全てのプレイヤーに向けて宣言した。

「僕は、君たちの報酬(エサ)じゃない。この世界のルールが気に入らないなら、僕が新しいルールを上書きしてやる。……かかってくるなら、データの消失を覚悟してこい」

この日。

中立都市ラセツは、この日を境に「境界の支配者」カイトの拠点へと変貌を遂げる。

14の影を引き連れた少年の進撃は、もう誰にも止められなかった。

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