第13話 懐中時計の物語
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この懐中時計の持ち主の名前は、ユーリ・バラノフスキー。
優秀なプログラマーでした。
天涯孤独の身の上の彼は、幼少期から独学でプログラミングを学び、やがてその実力で社会的地位を確立していきます。
ある時、ユーリはとある有名企業のセキュリティのコンサルティングに携わります。
そして、その企業の社長である女性に見初められます。
その女性はとても美しい人で、若くして金も地位も名誉もすべて手に入れていました。
しかし、ユーリは女性に対して冷淡でした。
彼女が囁く愛の言葉にまったく耳を傾けようとしません。
いままで全てのものが簡単に手に入ってきた女性にとって、それは初めての経験でした。
女性はどんなにユーリに冷たくされても、彼を愛していました。
冷たく突き放されるほど、彼女の愛は燃え上がります。
ユーリをどうにか独り占めしたい。
だからある日、女性はユーリを彼女の別荘である海辺の屋敷に閉じ込めてしまいます。
その屋敷はユーリにとって鳥かごでした。
過ごしやすい環境は整えてあるし、欲しいものは言えばなんでも用意してもらえました。
しかし自由がありません。女性にすべて管理される生活でした。
ユーリは多分、鳥かごの生活に飽き飽きしていたのでしょう。
ある日から、今まで冷たく扱っていた女性に対して優しく接するようになります。
女性はやっと自分を愛してくれたと喜びます。
彼女はユーリにすっかり気を許し、ネット通販なども自由にさせるようになります。
ユーリが狙っていたのは、おそらくそれだったのでしょう。
彼はこっそりと拳銃を購入し、その拳銃で頭を打ちぬいて自殺しました。
女性は嘆き悲しみます。
そんなときに女性の妊娠が判明します。ユーリが自殺した直後でした。
女性はお腹の子供をユーリの生まれ変わりと考えました。
そして、その子供をユーリの身代わりとして育てることに決めました。
生まれた子供はユーリにそっくりの顔をしていました。髪や瞳の色も同じです。
やっぱりこの子供はユーリなのだと女性はより確信しました。
机にはユーリの写真が飾られ、女性はそれを
「これはあなたの未来の姿」
と子供に教え込みました。
写真のユーリは首に懐中時計をかけていました。
女性は子供の首にその懐中時計をかけ、その日からこの子供が懐中時計の持ち主になりました。
女性は子供にユーリの真似をさせました。
口調からプログラミング、女性の名前の呼び方まで全てです。
そして女性は、子供にふたつの約束をさせます。
ひとつ目は「屋敷の外に出てはいけない」、
ふたつ目は「自殺してはいけない」。
毎日繰り返し、何度も約束させました。
子供は女性の言いつけを守り、屋敷の中からは一歩も出ず、ユーリの真似をしてプログラミングの学習だけをして日々を過ごしました。
10歳になる頃にはユーリの名義でプログラマーとしての活動を開始します。
日に日にユーリに近づいていくその姿に女性も喜びます。
ただ、子供は気付いていました。
ネットの情報等を通して、自分が写真のユーリと同一人物ではなく、ユーリと女性の間にできた子供だということに。
それでも女性を喜ばせたくて、現状を受け入れていました。
でも、12歳の時に転機が訪れます。
第二次性徴が始まったのです。
胸が膨らみ始め、どんどん女性らしい身体つきに。
いずれ写真のユーリと同じぐらい伸びると言われていた身長も、ピタリと止まってしまいます。
写真から遠ざかっていくその姿に、愛情豊かだったはずの女性は次第にヒステリックになっていきました。
決定打になったのは初潮でした。
女性はその日から子供を居ない者とみなすようになりました。
子供は女性の愛情を取り戻すためにプログラミングに励みましたが、結果は虚しいものでした。
そして、女性から無視され始めてから一年が経ちました。
とうとう、その日を迎えてしまいます。
5月10日のことでした。
子供は意を決して女性に告げます。
写真のユーリは死んでいること。
自分は女性とユーリの間にできた子供であること。
すると女性は「あんたはユーリじゃない!この偽物!」と叫び、屋敷を飛び出してしまいました。
その日以降、女性が帰ってくることはありませんでした。
子供が女性の死を知ったのはネットニュースでした。事故死だったそうです。
子供は女性の後を追おうとしました。
だけど、死ねませんでした。
幼少期から掛け続けられてきた「自殺してはいけない」という言葉は、呪いとして心を縛っていたのです。
こうして子供は本物のユーリとして生きることもできず、死ぬこともできなくなりました。
レプリカとして生きることとなった子供は、そっと懐中時計の針を止めました。
~~
「この懐中時計にまつわる昔話はおしまいです」
ふたりの間に沈黙が流れる。波の音だけが静かに響いている。
「だから、殺してほしいんです」
ユーリはそっと呟く。
「私は本物じゃない、ただのレプリカだから。生きる価値も意味もないんです」
時間の止まった懐中時計を握りしめ、じっと見つめるユーリ。
いつのまにか陽はすっかり落ちて、海はなんだか悲し気な色をしている。
ライラはそんなユーリの手をそっと握りしめた。
「日が暮れる。もう帰ろう」
ライラはそれしか言うことができなかった。
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