第48話 新婚旅行


 孫権(孫尚香)から山越討伐を頼まれた。



 彼女の目の前で活躍して俺の事を少しでも好意的に思って貰わねば!



 奮起して準備に取り掛かろうと思った俺に、今回の山越討伐の説明をする歩隲。


「では、会稽かいけい郡で反乱を起こしている潘臨はんりんを討伐して頂きます。ですが今回は表向き反乱とは成っていますが、本当は投降を申し込まれております。ですから戦闘が起こる事は有りません。現地の者の指示に従って行動なさってください。宜しいですか?」


 な、なんですと?


「戦わないんですか?」


「戦いません」


「なんで?」


「先ほども申しましたが表向きは山越討伐ですが、これは周りの山越族に対して我らに従わないとこれを討つぞと思わせる訳です。まだまだ我らに従わない者達は大勢います。これら従わない者達を一つ一つ戦って従わせる事は軍事的に、また経済的には負担となります。なるべくなら戦わずにすませたいのが現状です。ですから比較的我らに従順な山越族を使って我らが討伐したと見せ掛ける訳です。そしてこれを宣伝して我らに刃向かうよりは恭順した方が良いと思わせるのです。毎回軍を動かすよりは経済的ですから。それに討伐して民を減らすより、そのまま取り込んだ方が良いのですよ。まあ、ある程度の教育(躾)は必要ですが」


 な、なるほど。


 しかし山越討伐が実は茶番劇だったとは知らなかった!


 でも本当に茶番劇なのだろうか?


「危険はないんですか?」


「有りません」


「本当に?」


「姫様が帯同なさるのですよ。それにあなたに頼むのに危険な事はされられません。いい加減察してください」


 おう、怒られた。


 ま、まあ、そうだよな。


 わざわざ嫁取りに来た奴に危険な事をさせる訳ないもんな。


 それに孫家の姫を危険な目に合わせる筈もない。


 なら、なんで尚香は一緒に行こうと言ったんだ?


 お転婆姫だから一緒に戦うのかと思ったのに。


「歩隲殿。危険がないなら尚香はなんで一緒にと言ったんでしょうか?」


 歩隲はため息を漏らして言った。


「退屈しのぎですよおそらく。この豫章よしょうから出たがっただけなのでしょう。気分屋なところがおありですから」


 ああ、なるほどね。


 尚香は閉じ込められるのを嫌っているのか。


 お転婆娘有る有るだな。


「船を用意します。それで会稽に向かってください。長い船旅になると思いますが楽しめますよ」


 船旅か、それは楽しみだ。


「分かりました。あ、そうだ。案内役は居ないんですか?」


「姫様が居ますので必要ないでしょう。姫様は何度も会稽に足を運んだ事がございますから」


 おう、つまり彼女が案内役なのね。


 うん? これってもしかして新婚旅行ではないのだろうか?


 結婚したばかりの夫婦が旅行する。


 まさに新婚旅行。


 これって歴史上初めての新婚旅行になるのでは?


 そう思うとちょっと嬉しいな。



 今回の旅は豫章郡柴桑から長江を下って、丹陽たんよう郡、呉郡を通り一旦海に出て、南下して会稽郡山陰に向かう。


 クルージングによる一月ぐらい掛かる旅だ。


 用意された船はこの当時最強の戦船 楼船ろうせんで人員は約百五十名。


 各地の都市に寄りながらののんびりとした船旅の予定だ。


「おお、凄い! こんな大きな船に乗るのか?」


 赤壁で周瑜が乗っていた船が目の前にある。


 あの時は遠くから見ていたが、間近で見ると大きさに圧倒される。


「はぁ、行くわよ」


 俺が楼船の大きさに驚いている横で尚香はさっさと船に乗った。


 もう少し感動させて欲しい。


「外も立派だが、中も立派だなあ~」


 はぁ~こんな作りになってたのか~


「これぐらい当たり前でしょ。騒がないでよ。恥ずかしい」


 楼船の内装に感心しているのに尚香はそれに水を差す。


 情緒もないのかこの女。



 尚香は美人さんだが、可愛げがない。


 このままだとこの子と一緒に居るのが苦痛になりそうだ。


 そう思っていたが。


「うふふ、こうして外に出れるのは良いわね。退屈な屋敷暮らしなんてまっぴらだわ。ねぇ、向こうに着いたら狩りに行きましょうよ。私の弓の腕前を見せて上げるわ。それで私に負けたら離縁ね」


「はあ~?」


「冗談よ。冗談。あははは」


 こうしてたまに俺をからかう彼女の笑顔はとても可愛いと思ってしまう。


 これが駄目なんだろうな。


 俺はもう彼女に惚れてしまっていると感じる。


 惚れるより惚れさせろと言われるけど、俺には無理そうだ。



 楼船の船足はそれほど早くはないが、揺れが少ないので船酔いになる事は無かった。


 それにたまに船を止めては釣りを楽しんだ。


 しかし俺はその場で釣れた魚をなますにして食べるのには抵抗があった。


 以前川魚を鱠にして食べたところ、見事に当たったのだ。


 だから、それ以後は川魚を生で食べる事は一切していない。



 ちなみに鱠とは魚を細切りにした物だ。


 要は刺身だな。


 これに魚醤ぎょしょうをつけて食べるのが一般的だ。魚醤は醤油の一種ね。


 川魚では無理だったが海の魚は食べようと思う。


「何、食べないの?こんなに美味しいのに」


 尚香はそう言って一匹丸ごと食べていた。


 その後体調に変化は無かったので大丈夫だったのだろう。


 おかしいな。これは慣れているから当たらないのか? それとも俺がたまたま当たりを引いただけなのか?


 その後も尚香は鱠を食べていたが何とも無かった。



 まあ、良いか。



 俺が釣った魚を美味しそうに食べてるのだから、何も言うまい。


 尚香は船旅の間はご機嫌だった。


 以前のようなトゲトゲとした感じはなく。


 本当に船旅を楽しんでいるのが、俺にも伝わってくるほどの上機嫌だった。


 だから立ち寄った都市で夜一緒に寝ようかと誘ったが、グーパンされた。



 なんでだよちきしょう! 俺ら夫婦じゃないのかよ!



 俺の春はまだ遠いらしい。



 そしてそんな旅の最中俺は発見してしまった。


 それは丹陽郡丹陽に寄った時だった。


 そこで出された食事に白い物体がドンっと置かれていたのだ。


「なんだこれ?」


 俺はそう思いながら箸を伸ばす。


 白い物体にズブズブと箸が抵抗なく入っていく。


 あれ? これってまさか!


 その白い物体を口の中に入れて確信した。


「と、豆腐だ!」


「な、何よ。いきなり。大きな声だして」


「ご、ごめん」


 この食感に味わい。間違いない!


 これは豆腐だ。


 日本の豆腐より固くて確りと形を保っているが、紛れもない豆腐。


 俺はこれに魚醤を垂らして食べた。


「お、美味しい。それに懐かしい~」


 思わず声に出してしまうほど懐かしかった。


「これを食べて美味しいって言った奴。初めて見たわ。そんなに美味しいかしら、味もしないのに」


 俺はそれを聞いて尚香に豆腐の美味しさを熱く語った。


 それを聞いた尚香は若干退いていたが、俺は気にしない。


 次々出される豆腐料理を美味しく頂きました。



 米といい、魚醤といい、豆腐といい。


 三国志時代に日本人に馴染みの有る食材が有るとは思わなかった。



 そして呉郡を出るとそこには海が広がっていた!



「おお、海だー!」


 うひょー潮風だ!懐かしい〜


「そんなに珍しいかしら?」


 尚香のツッコミには反応せず、俺は海の広さに感動した。


 久しぶりに見る海は綺麗だった。


 長江の濁った水を見ていただけに海の青さがより鮮やかに見えたのだ。



 そして遂に、遂に待ちに待った海の魚の鱠を食べる。


「もう、最高ー!」


「おかしなやつ。まあ、美味しいけど」


 釣れた魚をその場で刺身にして食べる。


 こんな贅沢がこの時代で出来るなんて!


 もうこのまま孫呉に住もうかと思ったね!


 それぐらい嬉しかった。



 そんな極上の旅を楽しんでいた俺は旅の目的をすっかり忘れていた。



 それにこの旅で尚香との仲が少しだけ近づいた気がしていたので、それだけで旅の目的は達成したと思っていたのだ。



 浮かれていた俺は会稽郡山陰に寄った時に一気に現実に戻された。



「さあ!山越討伐よ!」


 尚香は山陰に着くとそう息巻いていた。


 そして俺は旅の間空気になっていた武装した侍女達を見て旅の目的を思い出した。


「ああ、それが目的だったっけ」


「ほらほら早く行くわよ!」


 俺を急かす尚香。


 そんな俺達に近づいてくる者が居た。



「お待ちしておりました。孝徳殿」


 あん? ここで俺の字を呼ぶ奴なんて居たっけな?



 呼ばれた方向を見るとそこには馴染みのない人物。


「えっとすみません。何方ですか?」


 ほんとすみません覚えがないです。


「同盟時や婚礼時にもお会いしたのですが… まぁ良いですよ。影が薄いとよく言われますから」


 あ、落ち込ませてしまった。


「あら、顧雍こようじゃない。貴方が迎えなの?」


 うん、顧雍?


「姫様もお変わり無く。私では不服ですか?」


「べつに〜」


 顧雍って後の呉の丞相じゃないか!

 

 飛んだ大物が迎えに来たもんだ!


「あの、何か?」


「す、すみません。こ、顧雍殿ですか。よろしくお願い致します」


 無茶苦茶失礼してしまった。


「いえいえ、こちらこそよろしくお願い致します」



 顧雍は笑顔で俺達を迎えてくれた。







『後書』


 豆腐ですが、歴史上では唐の時代にその存在が確認されてます。


 ですが文献では前漢時代に劉安という人物が発見したと有ります。


 それに材料の大豆は紀元前二千年には中国で栽培されていますので、水の豊富な地域で有れば有ってもおかしくないと思って出しました。

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