第47話 孫呉で軟禁生活


 結婚から既に十日が過ぎていた。



 俺と尚香は現在別居中である。



 床を一緒に、いや、一緒に寝てはいないな。


 部屋で一緒に寝たのは初夜のみ、それ以後は別々の部屋で寝ていた。



 これっておかしくない?


 俺と彼女は夫婦なんですよ!


 それなのに寝る部屋が別々なんてあんまりでしょうよ。


 しかし、そんな抗議を彼女は一蹴した。


「夫婦でも別々の部屋で良いじゃない。離縁されるよりましでしょ?」


 と来たもんだ。


 くそっ! 可愛い顔してそんな事言われたらつい、許してしまいそうになった。


 可愛いは正義だが、甘やかしては行けないと思うんだよ!



 孫権に相談しようかと思ったが、彼は色々と理由を付けて俺との面談を拒否している。


 逃げやがったな。情けない兄である。



 魯粛に相談しようと思ったら彼は周瑜の居る襄陽に帰っていった。


「曹操が攻めて来るかも知れませんからな。大丈夫です。私は孝徳殿の味方ですよ。では」


 と爽やか笑顔で逃げて行った。


 ちきしょう! 味方だと信じていたのに!



 そしてこの孫呉の地に俺の味方は居なくなった。



 一様毎朝毎夕の食事を一緒に摂っているのだが、彼女は孫策の話には耳を傾けるがそれ以外は全く反応しない。


 やりづらい事この上ない。


 どうやって彼女の機嫌を取れば良いのか分からない。



 はぁ、誰か助けてくれ。



 このままだと最悪この地に釘付けにされてしまう。


 彼女と一緒に江陵に帰らなくてはならないのだが、今の状態でそんな話をしたらきっと彼女はこれ幸いと『じゃあ、離縁ね』と言い出しかねない。


 それは不味い。非常に不味い。


 ここで彼女と離縁となれば孫権が俺を責めるに違いない。


 そしてこの離縁を理由に色々と無理難題を吹っ掛けてくる可能性が高い。


 それは避けないと行けない。


 避けなければならないのだが、どうしたら良いのやら?



 考えていてもしょうがない。


 とりあえず行動しよう。


 部屋に籠っていても何も解決しないからな。



 俺は日中は暇なので御殿内をぶらぶらしてみる事にした。



 孫権には柴桑の街までは護衛(監視)を連れてなら出ても良いと言われているので、まずは御殿内の把握から次いで街に出て色々と見て回る事にしようと考えた。



 思い返せばこの時代に来て初めてゆっくりしてるような気がする。



 遠征から帰って来てものんびりしていた訳じゃなく、医局開設と張仲景との面談に尚香にやる土産物の選定とかして結構忙しかったのだ。


 それに少しでも時間が出来ようものなら、鬼軍曹が俺を鍛練に誘おうと待っていたからな。


 そんな鬼軍曹は魏延と交州で募兵した新兵と江陵や荊州南郡の四都市で募兵した兵達を毎日しごいていた。


 あの地獄のキャンプに参加出来なくて良かったと思うよ。


 毎日脱走兵が出たが鬼軍曹といつの間にか教官に成っていた陳到がそれらを捕らえて、また地獄のキャンプに連れて行ったそうだ。



 その話は夜に俺のところにやって来て勉強する魏延から聞いた。



 魏延は昼間は鬼軍曹達に鍛えられ夜は俺と一緒に劉巴りゅうは潘濬はんしゅんに法律と兵法を叩き込まれていた。



 俺もまだまだ勉強しないと行けない事が多いからね。



 最初は徐庶に教えて貰おうと思ったが、彼は孔明、龐統らと一緒になって悪巧みに忙しかったので、比較的手の空いている二人に頼んだのだ。



 普段劉巴はその名声の為に色々な人が彼を訪ねて来るのでその応対をしている。


 そして見込みの有る人物を劉備に推挙している。


 つまり人材登用をしているのだ。



 潘濬はその知識を生かして内政全般を見ている。


 彼の書類処理速度は孔明と比較しても遜色ないほどだ。


 そして俺はその潘濬を通して色々と動いて貰った。


 医局やその他諸々の準備は潘濬が居てくれたから出来た事だ。



 その二人は夜になると俺のところにやって来て話をしに来るのだ。


 そこでは天下の情勢だとか、法の大切さとかを話すので俺としてはちょっとした講義を受けている気持ちになっていた。


 そこに昼間鬼軍曹に鍛えられてヘロヘロになりながらも俺に愚痴を聞いて貰いたい魏延がやって来たので、ならちょうど良いやと二人に教師役を頼み俺と魏延は生徒となって勉強する事になったのだ。



 ふぅ、今頃魏延は三人の先生に鍛えられているのだろうな。


 帰ってきたら愚痴をいっぱい聞いてやらないとな。



 そんな事を思い出しながら俺は御殿をぶらぶらする。



 俺がぶらぶらしている周りでは忙しなく働いている官吏達が居た。


 その官吏達は俺を見るとギロっと睨んで仕事場に駆け込んでいく。


 その両手には沢山の竹簡を抱えてだ。



 さぞ俺が羨ましく思えてしょうがないだろうな?


『昼間っからぶらぶらしやがって!』と思っているかも知れない。


 でも俺だって好きでぶらぶらしている訳ではないのだ!


 嫁が相手してくれないんだからしょうがないんだよ!


 あ、今すれ違った奴に舌打ちされた。


 ふ、ふん。好きに思えば良いさ! 俺は負けないからな!



 そしてぶらぶらしていた俺は見知った人物を発見した。


 誰かと思えば交州で会った歩隲ほしつだった。


「おお、お久しぶりです。歩隲殿」


 俺は気さくに歩隲に話し掛けた。


「う、劉封、殿」


 なんだよ。そんな嫌そうな顔すんなよ。


 ここじゃあ俺が知ってる人は少ないんだよ。


 これも何かの縁だ。少し話をしようよ。


「で、ですが私はこれから……」


「うん? どこ行くの?」


「これから我が主に会いに行かねばならないのです」


 おお、それはラッキー!


「ちょうど良かった。私も孫権殿と色々と話をしたかったのですよ! ご一緒しても宜しいでしょうか? いやご一緒させてください、ね? それに歩隲殿は私に借りが有るじゃないですか? いやとは言わせないよ?」


「うぅ、あなたという人は……」


 ふふん。歩隲は俺に借りが有るのだ。


 交州で歩隲に渡した文には歩隲の事を絶賛している内容が書いてある文も渡しておいたのだ。


 そして歩隲は孫権に叱責を受ける事もなく閑職に回される事も無かった。


 それを知ったのは結婚式の宴の最中での事だった。


 孫権がべらべらと話していた内容に歩隲の事が有ったし、それに歩隲も俺に挨拶しに来た時に俺にお礼を言ったから間違いない。



 じゃあ、行こうか。




「なぜお前がここに居る」


 え~、嫌だな~。お兄さんの働きぶりをこの目で見る為だよ。


 それと後でちょっと俺の話を聞いてくれよ。


 逃げんなよなお兄さん。



 俺は目で孫権に訴えた。


「も、申し訳ありません」


「はぁ、まあ良い。では歩隲よ。話を聞こうか?」


「その、よ、宜しいのですか?」


「構わん。聞かれて困る話では有るまい」


「分かりました。では、……」


 ふうん。怒るかと思ったがそんな事は無かったな。


 案外俺に悪いと思っているのかな?


 そうだよなぁ~、毎日毎日面会希望を出しているのに断ってばっかりだもんなぁ~


 昨日なんて『大事な案件が有るから会えん』とか言ってたもんなぁ~



 でもそれは嘘でお前昼寝してたもんな。



 たまたま庭を通りかかった時にそこで寝ていた孫権とばったり出くわして、つい頭に来て叩き起こしたら孫権は俺を怒鳴ったが怒鳴った相手が俺だと気づいた瞬間に逃げやがったもんな。


 追いかけたけど、追い付けなかった。


 逃げ足は劉備に勝るとも劣らないほど見事な逃げっぷりだった。


 昨日は本当に惜しい事をしたもんだ。



「……という事です。誰に任せましょうか?」


「ふうむ」


 孫権と歩隲の話の内容は山越討伐の話だった。



 曹操が河北かほくを制圧、支配下に置いてからは孫呉の開拓民の多くが河北に移動する事が起きている。


 戦乱で故郷を追われた民が河南かなんに逃れてきて開拓民になったのだが、故郷の戦乱が治まればその民が帰るのは道理だ。


 誰も好き好んで故郷を離れて開拓民になる事を選んでいる訳ではない。


 その為、孫呉の人口は減少し続けている。


 その人口減少の歯止めの為に山越を討伐して異民族である彼らを孫呉の民に編入する事にしたようだ。


 まあ、山越に領地を荒らされている孫呉としては一挙両得の策と言えよう。



 しかし、今の孫呉には山越討伐に向かわせる武将と兵が居ない。



 主力を率いる周瑜は襄陽で曹操の南下を警戒しつつ、益州を攻める算段をしている。


 そして残った兵は国境守備に回しており、孫権直属の兵も討伐には使えない。


 となると新しく募兵した新兵しか居ない訳だ。



 しかし、その新兵を指揮する将も居ない。



 ベテランは周瑜と一緒に襄陽に、それ以外の指揮官は国境警備に回している。


 豪族連中に任せても良いが彼らは何かと理由を付けて断るし、受けても討伐した山越を自分達の領地に連れていってしまう。


 つまりその豪族の勢力を増やしてしまうだけだ。



 それに新任の指揮官を抜擢しても返り討ちに会う可能性が高いので任せられない。


 俺は何人か候補を知っているが、それを孫権に教えてやろうとは思わない。


 教えてやったらなんでそいつを推薦するんだと突っ込まれるだろう。


 それに孫権を助けてやる義理はない。



 さて、孫権は誰を選ぶかな?



 孫権は悩んでいたが、ふと俺を見るとニヤリと笑った。


 ま、まさか!


「ふむ。そうだな。お、そうだ。そこで暇そうにしている義弟に頼むとしようかな? どうかな。義弟よ」


 孫権は名案だ、とわざとらしくポンっと手を叩く演技をしやがった。


 ふん、受ける訳ないじゃないか。


 そんな安い挑発で命を掛けるなんてするかよ。


「良いわね。それ、私も付いていくわよ」


 え? な、何ー!?


 俺の後ろで声がしたので後ろを振り返ればそこに尚香が立っていた。


 腰に手を当ててビシッとポーズをとって立っている姿は絵になるが、さっきの言葉はなんですか?


 俺の聞き間違いですか?


「尚香」


 孫権は孫尚香を見て眉間に皺を寄せている。


「良いわよね。兄さん。夫婦の共同作業よ。文句ないでしょ?」


 聞き間違いじゃなかったよ!


 孫権は頭を抱えていたが諦めたようだ。


「好きにしろ」


 そう言った孫権は苦笑いを浮かべていた。


「ええ、そうするわ。良いわよね。孝徳?」


 こんな時だけ字で呼ぶんですか?



 くそ! これは断れない。


 しかしこれはチャンスだ!


 この山越討伐で俺が彼女に良いところを見せれば、彼女との仲も進展するだろう。


 ここは男を見せるところだ!


「ああ、分かった。受けてやろう」


「ふふ、期待してるわね」


 尚香は笑っていた。



 その笑みはいたずらっ子のそれに見えた。

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