第23話 後方待機


 拝啓 お義父様



 私、劉孝徳は現在柴桑に居ます。


 孫呉との盟は無事結ぶ事が出来ました。


 孔明の手紙(竹簡ちくかん)に詳細が書かれておりますのでこちらは省きます。


 そして問題が一つ。


 孫権に請われて周瑜の軍に加われとの事です。


 突然の事で驚かれる事と思いますが、何も心配する必要は有りません。


 軍を率いる周瑜殿は水上での戦は負け知らず。


 私に危害が及ぶ事は有り得ないのです。


 そして孔明と私、二人が残る事に成りました。


 護衛に関しては盟を結んだ今となっては必要ではないでこの手紙(竹簡)を、趙雲殿に託します。


 帰りは曹操を追い払った後になると思われます。



 これから寒く成りますがお体を大事になさって下さいませ。


 私も病に掛からぬように注意致します。



 他の方々にも宜しくお伝え願えれば幸いです。


 ではこれにて失礼致します。



 追伸 本当は帰りたいです。劉孝徳(現代語訳)





 はぁ~。なんで俺が残らないと行けないのよ?



 劉備達に知らせる為に手紙を書いて、送り届けるのを趙雲に頼んだ。


 盟を結んだので護衛は要らないと孔明が言ったからだ。


 護衛が居ては盟を信用していないと言っているようなものだと言われての事だ。


 それもそうだなと思って、孔明の助言に従い素直に趙雲を帰す事にした。


 趙雲には劉備の下で働いて貰えばいい。



 不安では有るが別に特別な事をする訳ではない。


 俺達は周瑜の相談役みたいな事をすれば良いらしい。



 そして今は周瑜の屋敷で軍議を開いている。



 部屋には長江を中心に柴桑から江陵までの地図が広げられている。


 それを俺と孔明、周瑜と魯粛の四人で睨んでいる。


 正確には俺を除いた三人が地図を見ている。


 そして俺は三人から少し距離を置いている



 今正に三人の知恵者がその知恵を振り絞って策を考えている最中だ。



 まあ、どこに布陣するのかとか、曹操はどこに拠点を置くのかとか、誰にどれくらいの兵を任せるのかと言う戦に行く前の準備段階を話しているのだ。



 そしてそれは俺に取っては専門外の事だ。



 だから俺は三人から距離を取っている。


 空気に成っているとも言える。


 だって質問されても答えようがないからね。


 面倒事は全て孔明に丸投げする事にした。



 残ると言ったのは孔明だ。俺じゃない。



 孔明には発言の責任を取って貰わないと困る。


 それに孔明も俺に悪いと思ったのか、ちょっとだけ助言して貰えれば構わないと言っていたので、その好意に甘える事にした。



 議論は白熱している。




 正史での赤壁の戦いは簡単に言うと、曹操は烏林うりんに拠点を置いて、そこで周瑜の火計に有って敗走していると書いてある。


 ここで諸説入り乱れているのだが基本的には火攻めに有って曹操は負けたと言う部分は共通している。


 問題はいつ、何処で、どんな方法で火攻めを行ったのかと言う部分だろうか?



 でもそんな事は俺には分からない。



 俺には分からないがこの三人には分かるのだろう。



「緒戦を制す。これしか有るまい」


 周瑜の力強い言葉だ。


「確かに。では夏口で劉備殿と合流するのは?」


「先に我らで当たる。これは孫呉の戦だ。孝徳殿や孔明殿には悪いとは思うが……」


 まあ、そうなるよな?


「構いません。水上の戦は我らは不得手です。足手まといに成るのは避けるべきです」


「それを言って貰えると助かる。劉備殿が兵を出すのは曹操を追撃する時だと私は思っている。我らが船から陸に上がって曹操を追撃するには時間が掛かるのでな。魯粛。兵站を任せたい。頼めるか?」


「承知。では周瑜殿は直ぐに発たれますか?」


「そうだな。こちらの準備は出来ている。向こうが夏口に着く前に一戦し、足止めを行う。そして時期を見て火攻めを行う事になるだろう。大軍に勝つにはこれしか有るまい」


 はぁ~、やっぱり周瑜は凄いね!


 でも皆考える事は一緒なんだな。


『大軍を破るには燃やすしかない!』って考えなんだから。


 それが船上の戦ではもっとも効果的なんだろう。


 経験豊富な周瑜が考えたんだからそれが正解で、歴史もそれを証明している。



 これは俺や孔明が居なくても全然大丈夫だな。



 と、高を括っていたら……



「孝徳殿と孔明殿は魯粛と一緒に後方に。後で我らと合流して貰う。宜しいか?」


 それは断っては行けない事ですよね?


 うんとか、はいとか、イエスしか言っちゃ行けないってやつですよね?


 それは決定事項って言うんだよ!



「周瑜殿に従いましょう」


 俺に代わって孔明が答える。


 俺は首を縦に振るだけだ。



 はぁ、もっと安全な場所に居たい。



 こうして細々とした事が決まっていった。




 後日、周瑜が先発するので見送りに行く事になった。


 そこでは広場に檀上が築かれ、その檀上の一番上に孫権が、その下の段に周瑜、そしてその下には孫呉の将が並んでいた。


 広場には兵達が揃いその熱気が凄い。


 俺達は檀上から離れた文官連中の席にいた。



 正直居心地が悪い。



 俺達が所定の場所に移動し文官らと顔を会わすと張昭を筆頭に文官連中は露骨に嫌そうな顔をしたからだ。


 あんたらもっと感情を隠せよ!それでも弁舌家なのか?


 と言ってやりたかったが心の中で我慢する。


 それに孔明もそんな敵意を向けられてもすました顔をしていたからだ。



 おっと、周瑜が何か話すみたいだな。



「孫呉の兵よ。汝らに問う。我らの武は江南随一か!」


「「「おおぉぉー!!」」」


「我らに勝てる者は居るか!」


「「「否、否、否」」」


「我らが武を曹操に、天下に知らしめん!」


「「「おおぉぉー!!」」」


 広場に響く兵の雄叫び。


 短い演説だが簡潔明瞭で分かりやすい。


 俺もこんな機会が有ったら真似しよう。



 そうして孫権が見守る中、周瑜は船団を率いて出発した。



 次に会うのは多分赤壁、そこで曹操と対峙するのだ。





「ごほん。では私は兵站を任されたので、改めてその補佐をお二方に頼みたいのですが……」


 周瑜を見送った後に魯粛からそう切り出された。



「分かりました。お手伝い致しましょう」


 ふふ、後方担当なら安全は確保されている。


 周瑜からのツッコミも有るまい!


 ツッコミさえなければボロを出す事も有るまいよ。



「おお、助かります。本陣に居る周瑜殿と合流するまでの間で構いませぬからな」



 で、ですよねー。知ってました。



 ちきしょう!周瑜からは離れられないのかよ!



 それにしても、周瑜に魯粛か。


 後は呂蒙りょもう陸遜りくそんに会えば孫呉の誇る歴代司令官と面識を得る訳だ。


 ここは一つ、その二人と会って見るのも一興か。


 彼らと繋がりを持てればこの後色々と助けて貰えるかも知れないからな。




 こうして俺と孔明は魯粛と共に糧食と武具、予備兵力の確保に奔走した。



 周瑜は魯粛に長期戦になると伝えていたので、既存の量では足りないので慌て集める事になったのだ。


 周瑜はおそらく赤壁の後の戦いも視野に入れているのだろう。



 流石は周瑜と言ったところか。



 そして俺達はそんな周瑜の無茶振りに振り回される事になる。


 今が夏から秋に変わって良かったよ。


 これが春先とか冬だったら大変だ。



 糧食を集めているついでに孫呉の主食を説明しよう。



 それは『米』だ。



 そう、日本人に馴染み深い米が主食なのだ。


 でもこの時代の米の食べ方は炊くのではなくて蒸す。


 長江より南の人々は蒸した米を食べている。


 日本人の俺としては炊いたお米を食べたいが、蒸したお米も存外イケる。悪くないのだ。



 後、余談では有るが長江より北部の主食は『麦』だ。


 ひえあわも食べられている。


 日本では雑穀米と言えば分かるだろうか?


 栄養分が豊富で健康に良いんだ。



 そして麦は粉にして水を加えて捏ねて形を整えて焼いて食べるのだ。


 これはパンと言うよりもインドのナンに近い食べ物で、間に何か挟んで食べたりする。


 戦場では何も挟まずそのまま食べるのが一般的だがそれでは物足りない。


 でも、携帯食としてはとても便利だ。


 ただし、米と違って長く保存が効かないのでこのパンモドキは北では主食だが、南方では主食になり得ない。



 土地が違えば食べ物が変わると言うが、さすがに中国大陸は広い。


 北と南で主食が違うんだからな。


 でもこの違いが後々響いて来るのだ。



 さて、俺達三人はいつも一緒と言う事はない。



 役割分担と言う物が有る。


 得意分野で仕事を別ければ効率も違ってくる。


 そこで二手に別れて仕事をしている。



 屋敷に籠って数字と格闘しているのは孔明と魯粛だ。


 元々孔明は数字に強い。流石は後の蜀の丞相じょうしょう様だ。


 魯粛は孔明の処理速度に驚いていたが、そこはやっぱり歴史に名を残した人物、あっさりと孔明の仕事に追い付いてしまった。



 そんな二人とは別行動で俺は動いていた。



 孔明達が書類仕事なら、俺達は現場仕事と言う事になる。


 日々積み上げられる食料や武具、予備兵達を数えて孔明達に報告するのが仕事だ。


 俺は慣れない仕事を必死でこなしていた。


「公徳殿は文官仕事は苦手見えますな?」


「はは、申し訳ない。机仕事は苦手なんですよ子啓殿」


 いつの間にか魯粛とは字で呼び合う仲になっていた。


 魯粛は孫呉の中では唯一と言っていい親劉備派だ。


 彼が生きている間は劉備と孫権は全面衝突を回避出来ていた。


 まぁ、荊州のイザコザであわや合戦と言う段階も有ったが……


 魯粛との仲を深める事が出来たのは、これからの孫呉との関係を維持する上でも大事な事だ。


 でも、周瑜がな〜


 それに孫権は信用出来ないし。


 先行不安だよ。



 そうして周瑜が発ってから二十日ほどが過ぎていた。



 その間に周瑜は烏林の近くで曹操軍と遭遇し、先発隊を撃破した。緒戦を制したのだ。


 その後は膠着状態が続いている。


 孫呉が積極的に出てくるとは思っていなかった曹操軍は出鼻を挫かれた訳だ。


 そして慎重になっている。



 このまま長期戦に持ち込むのが周瑜の策だ。



 俺達が周瑜と合流するのは本格的な冬を迎える前だ。


 まだまだ時間は有る。



 ……と思っていたが周瑜から伝令がやって来た。



『急ぎ、合流されたし』



 この短い伝言に周瑜の焦りを感じた。



 何かが前線で起こっている。



 俺は不安に思いながらも周瑜と合流するために長江を下った。

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